博物館における資料収集の六法は,購入,寄贈,寄託,借用,製作,採集,保管等がある。当館が開館した当時,館所蔵資料といえば県民からの寄贈によるものがほとんどで,購入は開館後数年を経てから次第に増加した。したがって,開館時の展示資料のほとんどは寄贈や寄託,借用によるもので,自前で確保できたものは数少ない。
この30年間の資料の増加数をみると,購入件数よりはるかに寄贈件数が上まわっている。購入件数の少ない理由は,いうまでもなく予算措置によるものである。ある年度では,科学室の資料を1点購入するだけで購入費を消化してしまうということもあった。したがって,年度ごとに室に割り当てるという状況となってしまった。ただ,新館の準備に入った59年度からは,知事部局において美術品等取得基金を設置し,新館展示資料を主として購入できるようになり,購入による資料は飛躍的に増加した。
振り返ってみると,県民各位からの寄贈がなかったら館の資料充実はわずかなものしかできなかったということになる。なかでも,特記しておきたいのは,阿波の画人として代表される守住貫魚の遺品が御遺族から一括されたが,こうした資料は館にとって購入しようと思ってもなかなか入手できない貴重なものである。この資料をもとに,早速,特別展を開催することができた。今後とも,県民各位からの御好意は大切にしていきたいものである。
博物館資料の充実で留意しなければならないのは,寄贈,寄託,借用にあたって,県民の館への信頼,学芸員への信頼をいかに高めるかである。館への信頼とは,借り受けた資料が損傷を受けることなく,安心して出品できる,預かってもらえる施設・設備であるかということであり,学芸員への信頼とは,資料を扱う学芸員に安心してまかせられる資質をそなえているかどうかということである。このことに関しては,県民から十分信頼されていたとはいえない。施設・設備面においては,職員でさえ不十分であることを認識していたし,学芸員についても数の少なさ,また短期で異動するなど問題点は多かった。
当館は郷土室,科学室,産業・天文室,現代美術室,生物室,地学室の6室の展示室で構成され,各室の展示方針や資料整備の方針の下にその収集が行われてきた。博物館における資料収集は,展示活動の円滑化を図る手段として,最も重要な部分を占めている。この資料収集の基本手段は,計画的に実施される資料購入である。
当館における資料の購入は,購入予算の限定から,効果的な収集が行われていないのが現状である。しかしこうした中で,主として理工系分野の科学室,産業・天文室や,人文系の郷土室において,資料購入による整備が行われてきた。科学室においては,一般観覧者に親しみの持てるテレビ電話・人間能力測定器,産業・天文室は,初歩の天文学習を目的として,十球儀・ケプラーの法則模型,郷土室は,日本漆芸史に高く評価される飯塚桃葉・谷田忠兵衛の蒔絵作品,徳島藩御用絵師の作品などの購入を行った。
以上の他に,昭和59年当館が購入した重要な資料として上げられるのは,近世の阿波の茶陶を網羅した庸八暁の「豊田コレクション」である。「豊田コレクション」は,コレクションの収集者である医師豊田進氏より,一括購入したもので,質・量ともに高く評価されるコレクションである。以下,購入点数ならびに主な購入資料をみてみよう。
資 料 購 入 点 数(平成元年3月31日現在)
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|
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比率 |
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46(点) |
9.8(%) |
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1.094 |
54.9 |
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0 |
0 |
|
|
203 |
10.4 |
|
|
0 |
0 |
|
|
|
3 |
30.0 |
|
2 |
18.1 |
|
|
0 |
0 |
|
|
1 |
16.6 |
|
|
5 |
21.7 |
|
|
0 |
0 |
|
|
0 |
0 |
|
|
0 |
0 |
|
|
|
21 |
55.2 |
|
11 |
64.7 |
|
|
|
1 |
100.0 |
|
13 |
86.6 |
|
|
|
88 |
0.3 |
|
839 |
8.5 |
|
|
75 |
10.1 |
|
|
0 |
0 |
|
|
171 |
19.1 |
|
|
|
39 |
6.1 |
|
86 |
44.7 |
|
|
102 |
19.2 |
|
|
4 |
6.1 |
|
|
|
2.804 |
6.7 |
○郷 土 室
大唐国寺経塚出土品
一括10点
板野郡板野町吹田字高尾山出土蔵骨器
1点
清成古墳出土内行花文鏡
1点
蜂須賀至鎮書状
2点
豊田コレクション庸八焼
99点
大坪流馬術伝書
32点
阿波焼肩衝茶入
1点
みん平焼水禽花文水指
1点
松竹梅蒔絵抽出 飯塚桃葉作
1点
みとものつら絵巻 村頼魚親画
3点
○現代美術室
ビル術の魚窓 富永青鱗画
1点
ミトゥナ像 林 正明画
1点
○科 学 室
人間能力測定器
9点
テレビ電話
1点
発電のしくみ模型
5点
○産業・天文室
太陽系十球儀
1点
人工衛星模型
1点
ケプラーの法則模型
1点
○生 物 室
キュウシュウジカ他動物剥製標本
2点
クイナ他鳥類剥製標本
18点
徳島県の蝶
210点
世界の蝶
816点
脊椎動物骨格標本
5点
○地 学 室
岩脈・富士山熔岩他岩石標本
14点
三葉虫・ヒトデ他化石標本
30点
マンガン鉱他鉱物標本
29点
博物館における資料収集手段の中で,最も大きなウェイトを占めるのは,一般県民による資料の寄贈である。この一般県民による資料の寄贈は,資料購入予算の限定化の中で,資料収集を命題とする当館にとっては,極めて有意義である。特に生活様式の急激な変貌の中で,しだいに遺棄される飲食具・農具などの民俗資料を収集し,後世に残すことは,現在の我々に課せられた大きな責務であると考えられる。
当館における寄贈資料の受け入れは,産業・天文室を除き,各室とも著しいウェイトを占めている。特に郷土室の考古資料,生物室の植物標本資料・昆虫標本資料は,一般県民による寄贈資料から成り立っており,そうした意味において,寄贈者各位に謝意を表さなければならないであろう。
開館以来,一般県民からの主な寄贈資料をみれば,郷土室においては,県内古墳出土資料,弥生遺跡出土資料,古代廃寺出土瓦,守住家資料,飯沼家資料,阿波藍栽培加工資料,阿波古美術資料などである。科学室においては,NKS鋼磁石,21世紀をささえるINS,サンタ・マリア号模型などが上げられる。生物室においては,故伊延敏行氏採集の植物標本,県産シダ類標本,トンボ標本,甲虫標本などがあり,さらに地学室においては,徳島県博物同好会による岩石標本や,鉱物標本などがあげられる。以下,寄贈点数ならびに主な寄贈資料をみてみよう。
寄 贈 資 料 点 数 (平成元年3月31日現在)
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|
比率 |
|
|
422(点) |
90.1(%) |
|
901 |
45.2 |
|
|
478 |
87.5 |
|
|
1.746 |
89.7 |
|
|
34 |
100.0 |
|
|
|
5 |
50.0 |
|
9 |
81.8 |
|
|
36 |
100.0 |
|
|
5 |
83.3 |
|
|
18 |
78.2 |
|
|
1 |
100.0 |
|
|
1 |
100.0 |
|
|
9 |
100.0 |
|
|
|
14 |
36.8 |
|
5 |
29.4 |
|
|
|
0 |
0 |
|
2 |
13.3 |
|
|
|
21.141 |
90.5 |
|
8.970 |
91.4 |
|
|
513 |
69.5 |
|
|
398 |
85.7 |
|
|
723 |
80.8 |
|
|
|
586 |
91.7 |
|
106 |
55.2 |
|
|
381 |
71.8 |
|
|
28 |
43.0 |
|
|
|
36.532 |
87.2 |
○郷 土 室
愛宕山古墳出土銅鏃
森 敬 幸氏寄贈
20点
恵解山8号墳出土品
山 口 浩氏 〃
一括
〃
武 市 清氏 〃
〃
〃
福 井 純 一氏 〃
〃
徳島城鬼瓦
山 田 大 助氏 〃
5点
松浦春挙筆弱檜五疋猿図
西野 嘉右衛門氏 〃
1点
蜂須賀侯日光参詣絵巻
三 谷 貴 啓氏 〃
1点
日露戦争関係資料
中 川 善 博氏 〃
83点
カンコ舟
上 村 昭 一氏 〃
1点
太布織機
榊 野 仁 吉氏 〃
1点
農村歌舞伎衣装・道具
早 渕 ハマノ氏 〃
133点
チャチャリコ踊り道具
旧佐古町内会 〃
1括
守住家資料
北村 喜久氏他 〃
1.442点
紺糸威具足
松 山 信 子氏 〃
1点
○現代美術室
春夜桃李園に宴するの序
小 坂 奇 石氏寄贈
22点
田中松亭書作品
田 中 松 亭氏 〃
7点
○科学室
NKS鋼磁石
住友特殊金属怺贈
1式
21世紀をささえるINS
N T T 怐@ 〃
1式
自動車カット模型
徳島トヨタ 怐@〃
1点
○生物室
植物標本
伊 延 敏 行氏寄贈
9.385点
シダ類標本
加 藤 芳 一氏 〃
221点
ツルギハナウド他植物標本
阿 部 近 一氏 〃
7点
オオサンショウウオ
乃 一 市 二氏 〃
1点
ニホンカワウソ
大 沢 守 生氏 〃
1点
甲虫・ガ・トンボ他昆虫標本
徳島県博物同好会 〃
1.524点
昆虫標本
原 田 雅 実氏 〃
1.901点
○地学室
礫岩片岩他岩石標本
徳島県博物同好会寄贈
177点
ザクロ石他鉱物標本
武 知 清二郎氏 〃
47点
アンモナイト他化石標本
山 口 昭 典氏 〃
87点
エントモノチス他化石標本
橋 本 陰 歳氏 〃
35点
博物館資料を主体的に収集する方策は,学芸員の調査研究活動の充実にかかっている。もちろん調査研究活動を円滑にすすめるためには,スタッフと調査費の確保が欠かせない。その点,当館は,調査研究活動が充実していたとはいえない。
開館から約10年間,県内各地で行われた総合学術調査の成果は,とりわけ自然部門の資料充実に大きな役割をはたした。この調査は,博物館が独自に行ったものではなく,博物同好会のメンバーが中心になって実施したものである。
館が実施した学術調査については前述したとおりであるが,古墳を中心に行った発掘調査は,県下の古墳文化を解明する貴重な成果を得たと同時に,展示資料の充実といった点においても大きな成果があった。しかしこの調査においても,館員のみによる調査は不可能で,徳島考古学研究グループの全面的な協力があったから実施できたものである。
今後の博物館資料の収集は,調査研究活動を積極的かつ計画的に行うことに重点をおくべきであろう。