こころの歴史への招待
(徳島新聞1993.5.7〜8文化欄に掲載されたもの)

 

 企画展「祈り・のろい・はらい」は、最近の歴史学などの研究成果をもとに、日本人の信仰の歴史を紹介することを目的としている。日本の文化を見つめ直す機会となることを祈っている。

 最近は、宗教ブームだという。無数ともいえるほどの宗教団体の動きがあり、占いや神秘主義の流行も見られる。ゲームセンターなどに行けば、幾種類もの占い機にめぐりあえる。大都市にある占いや魔術の専門店は大繁盛だという話も耳にしている。

 その一方で、正月の初もうで、結婚式、葬式などという一年や一生の節目、家に置かれている仏壇、柱に張り付けられたお札などに、目新しくもないが、ごく普通に生活のなかに溶け込んでいる宗教の影を見ることもできる。

 だが、私たちはともすれば、宗教を日常生活とは必ずしも関係ないものだとか、人間個人の内面の問題とだけ、見なしがちである。そのことの当否をいうつもりはないが、日常的に意識するか否かは別にして、宗教が身近なところにあることを思い起こしてみたいのである。

 では、歴史をさかのぼっていけば、生活と宗教との関係はどのようなものだったのであろうか。

 今日の感覚からは想像もつかないが、近代以前において、宗教は生活そのものと重なりあっていた。日々の生活においては、農業や漁業、林業などの生産活動が中心であり、当然のことながら、自然との対話、あるいは戦いが生活のなかで大きな比重を占めていた。しかし、技術が高度に発達していない段階においては、労働や技術だけで自然をコントロールし、豊作を導いたり、病気などの災いをはらったりして、日々の安らぎを手にすることはできなかった。そのため人間を超越した力をもつ存在にすがること、すなわち信仰が不可欠だった。そういう存在が神や仏などといわれるものである。

 ところで、生活と一体化していた宗教というとき、宗派や教団の展開を中心に構成されている教科書的な宗教史のイメージが、いったん棚上げにし、近年の考古学や歴史学、民俗学が提示している知見に注目してみたいと思う。

 その知見とは、密教を中心とした仏教、神祇信仰、道教・陰陽道などが絡み合った呪術的な習合宗教こそが社会に根差し、生活に密着していたというものである。このことは、今回展示した徳島市中島田遺跡などの古代・中世遺跡から出土したまじない札に書かれたことばなどから、容易に理解される。

 また、高知県物部村(木頭村の西隣)に伝わる「いざなぎ流」という民俗宗教の関係資料も展示したが、そこには、起源は不明ながらも、陰陽道や仏教などの習合のありさまが示されており、注目される。

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 呪術宗教における信仰のありさまを分類したとき、企画展の表題に掲げている「祈り・のろい・はらい」という要素が見いだせる。

 「祈り」とは、信仰一般と同義ともとれるかなり包括的な言葉である。が、ここでは「のろい」や「はらい」に含み込み難い祈願を差し、主に積極的な願望実現のための信仰が当てはまる。展示資料では、奈良市平城京跡などから出土した絵馬や現代の小絵馬、徳島市中島田遺跡から出土し、法華経の一部が書写された柿経(こけらきょう)などがこれにかかわるものである。

 「のろい」は、個人から個人に向けられ、他人の運命や精神をあやつろうとするものである。東祖谷山村に伝わり、のろいの人形といわれるわら人形や、奈良市平城京跡から出土したクギの刺さった人形(ひとがた)が主な資料である。奈良市元興寺の夫妻和合祭文・夫妻離別祭文も、特定の個人を対象とする呪術の作法を示すので、「のろい」の一例とみなせよう。

 「はらい」は、現に身に降りかかっている災いや、これから遭遇するかもしれない不幸から逃れるために行われるものである。病気はらいなどのように自然に対する働きかけも多く、魔除けと安楽のために行われるといってもよいであろう。

 これに関係する資料は、徳島市庄遺跡の人形や鳥形などの形代(かたしろ)、中島田遺跡のまじない札をはじめ、各地の古代・中世遺跡から出土したまじないの道具、それらとの関連性がうかがえる民具などである。なかには「阿州足利家」という銘のあるマムシよけの札もあるが、徳島県にしか見られない独特のもので興味深い。

 先にも述べたように信仰とは、人間を超越した力を持つ神や仏などにすがることだが、人間が生活し、その理解可能な世界を「この世」とすれば、神仏などの世界は人知を超えた「あの世」といえる。

 「祈り・のろい・はらい」は「この世」から「あの世」へメッセージを送ることといえよう。その仲立ちをするのが、山伏や陰陽師などの呪術者である。中世に作られた「職人歌合(しょくにんうたあわせ)」や絵巻物などから、そのすがたを知ることができる。

 「あの世」の存在には、神仏のほかにもさまざまなものがある。幽霊や怨霊、鬼神、動物霊などは「この世」に現れ、影響をもつものと信じられ、恐れられもした。だから、これらも「この世」と「あの世」を結ぶものと位置づけることができる。

 今回の展示資料の中では、人形富作酒呑童子や県内の鬼神系仮面17点、犬神信仰資料などが関連し、それらによって「あの世」のいろいろな住人たちのイメージを知ることができるだろう。

 さまざまな資料に触れることで、日本人の「こころの歴史」をめぐる周遊をお楽しみいただければ幸いである。

 

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