巡回展 丹波マンガン鉱山の記録

― 在日コリアンの労働史 ―

 

徳島県立博物館展示会場風景(QuickTime VR)

 

●開催趣旨

 丹波地方には,約300のマンガン鉱山があり,1896年頃から1983年頃まで採掘が行われました。これらの鉱山で働いていた人々の多くは,朝鮮半島からやって来た人たちであり,なかには,戦時中に労働力不足を補うために強制連行されてきた人もいました。また,被差別部落の人々も職を求めて鉱山にやって来ました。丹波マンガン鉱山の労働を支えた人々には「じん肺」という病気が降りかかり,鉱山労働を離れた後にも苦しめられることになりました。また,その病気が偏見と差別を増幅してきた事実もあります。

 この展示では,在日コリアンの元鉱山労働者が独力で設立した人権博物館である,丹波マンガン記念館(京都府京北町)の収蔵資料をもとに,鉱山に生きた人々のおかれた状況を示し,日本の歴史のなかに刻まれた人権侵害の実態を示すことにします。差別と人権について考える機会となれば幸いです。

 

●丹波と徳島―個別から普遍の理解へ

 この展示は以上のような趣旨のもと,2002年6〜9月の間,徳島県内5会場(徳島県立博物館,海南町立博物館,石の博物館,土成町郷土歴史館,松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居記念館)で開催されています。「丹波」やマンガン鉱山といってもピンと来ない方も多いでしょう。また,朝鮮人強制連行・強制労働といっても遠い話のように感じる方もいるでしょう。

 確かに丹波は,徳島からは地理的には遠いところです。しかし,マンガンという鉱物は広く日常生活のなかでも使われています(例えば乾電池)し,鉱山の開発と労働,朝鮮人強制連行・強制労働の問題は徳島県の歴史にも深く関わるテーマです。したがって,この展示は丹波マンガン鉱山を事例としながらも,そこから普遍的な広がりをとらえていただこうという意図を込めているのです。

 

●現地への起点として

 この展示は丹波マンガン記念館の収蔵資料を中心に構成しましたが,もちろん鉱山のすべてを物語るものではありません。これをきっかけとして,ぜひ丹波マンガン記念館を訪ねていただきたいと思うのです。

 丹波マンガン記念館は,1989年に開館しました。在日コリアンの元鉱員李貞鎬さん(1995年死去)が,自身の所有する新大谷鉱山を家族で整備し,資料館とともに設立したものです。以後,在日コリアンの労働史を伝える希有な人権博物館として根付いてきました。現在は,李貞鎬さんのご子息李龍植さんが館長を務めておられます。また,館を運営する基盤整備の一環としてNPO法人も立ち上げられています。

 

詳しくはこちらへ丹波マンガン記念館WEBサイト

 

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