世紀末の地平から
−世紀末大博覧会へようこそ−
(『世紀末大博覧会公式ガイドブック』[徳島県立博物館編・刊、2000.10]の序章)
世紀末がやって来た
今、私たちが迎えつつある20世紀の終わりは、キリスト教世界における第2ミレニアム(千年紀)の終わり(ただし、ローマ教会は2000年を「大聖年」とし、あわせて第3ミレニアムの初年と位置づけている)と重ね合わせ、大きな節目であるかのように喧伝されてきた。世紀(千年紀)末に時間の断絶があるわけでもないことは知っていながらも、「節目」を意識するのは、ちょうど年末年始の気分と同じだろう。何とはなしに現状の終焉を思い、同時に新たな何かを期待する、淡く、また浅はかな願望は、バブル経済崩壊後に続く大不況から抜け出せず、旧来型の社会規範・倫理の解体など、混乱と不安を抱いて闇の中を手探りしている世相からすれば、やむなしというべきかもしれない。現状が新しい社会の誕生に向けての「陣痛」なのか、それともただの退廃なのかは、今のところ見極めがたいだけに、厄介なのである。
世紀末のとらえ方はさまざまである。「末」と今の世相に引きずられて、終末をイメージする向きもあろう。数年来話題になってきた某カルト宗教教団が説いた終末論や、1970年代以来、1999年における人類滅亡の予言として話題に上ることの多かった「ノストラダムスの大予言」のような神秘主義が流行するのはさもありがちなことと思える。日本史を顧みれば、古代・中世移行期の浄土信仰・末法思想の流行、中世・近世移行期の宗教一揆、近世・近代移行期の「ええじゃないか」運動や天理教・金光教などの新興宗教の勃興というように、社会の変動期には必ずといってよいほど宗教の影が浮かび上がることに気づく。これらと現代社会における事象が同質であるとはいえまいが、宗教への期待度は社会不安と比例して高まる傾向にある。
一方で、現実に進行している地球規模の環境破壊と、それに伴う生態系の変容は、生々しい危機意識を醸成している。核兵器の開発も途絶えはしないし、原子力発電等に伴う核廃棄物は今や重荷となっている。世相とは別の次元で、しかも、明日、あさってという切羽詰まった話ではないにせよ、破局への道程を意識せざるを得ない状況は否応なく進行している。
20世紀という時代に
20世紀という時代は、とくに生活史のレベルで考えてみると、過激なまでの「変化の時代」であり、人々は知らず知らずのうちに便利さを享受し、豊かさを謳歌する生活にどっぷりと浸ってきた。今日では当たり前のように普及した自動車、電気冷蔵庫、電気洗濯機、電子レンジ、電話なども、「当たり前」になったのはせいぜい数十年ほど遡るに過ぎない。コンピュータや携帯電話も、想像を絶するスピードで一般家庭に入り込んでしまった。こうした日常の道具類はもちろん、インスタント食品や清涼飲料水の浸透と多様化など、食生活の変化も目立つ。
注意しなければならないのは、こうした変化が100年間のうち、後半50年間ほどで急激に進行したことであろう。高度経済成長が物質的な豊かさをもたらした原動力であったことは誰もが認めるところである。急テンポの技術革新による大量生産と大量消費が進み、コマーシャリズムの発達がそれに拍車をかけた。
経済発展が内包した矛盾が環境破壊につながっており、社会問題化しながらも、人々は「進歩」と無限の豊かさへの期待を抱き続けてきた。20世紀といっても、とりわけ過去50年間の変化の重みは、実に大きいのである。
この50年間がことに大きな意味を持つと感じられるのは、1945年8月まで続いた長い戦争と、それによる破局的といってもよいほどの荒廃(とくに都市部における)があったからでもある。私たちが今もしばしば用いる「戦前」「戦後」という表現は、直接体験の有無に関わらず、あの戦争に断層を見出しているからにほかならない。
さて、「進歩」への揺るぎない期待と信頼の極点として、30代後半以上の人たちなら、1970年の日本万国博覧会(万博=バンパク)を郷愁の念さえ抱きながら思い起こすだろう。大阪千里丘陵で開かれたバンパクは「人類の進歩と調和」をテーマとした一大イベントだったが、多種多様な民族の行き交う雑踏と「未来」イメージの演出、タイムカプセルなどの趣向は、輝かしい魅力を放っていた。だが、このイベントが終わった後、跡地はすぐに再整備されたわけではなく、しばらくの間は、一部を除けば荒涼たる光景をさらしていた。思えば、バンパクの会期中と後に残った光景の落差は、皮肉にも、そっくりそのまま戦後日本の繁栄とその後の凋落を象徴していたのかもしれない。
?未来?
かつて「未来」といえば、宇宙への夢、快適で物質的には困ることのない生活など、経済成長や技術開発、生産の発展の延長線上に、「明るい」希望を散りばめたイメージが抱かれてきた。少なくとも子ども向けに流布されものはそうだった。今となってはお笑い草である。
最初に述べたとおり、世紀の終わりと始めに時間の断絶があるわけではない。私たちが新世紀の最初の瞬間に目にする光景は、その直前と何も変わりはしないだろう。だが、それから100年後はどうか。見据えるべき「未来」は、むしろそこにあるだろう。私たちの子孫が手にするのは、繁栄か破滅か、はたまた・・・。その選択肢が問題なのである。
ふと思い出す。あの有名なSF映画『猿の惑星』のラストシーンである。宇宙飛行士である主人公は、猿が支配する惑星で、海から一部がのぞいている自由の女神像を見る。彼は、人類が愚かにも自らの文明を滅ぼした後の地球に帰ってきていたことを知り、痛哭するのである。こうなっては笑えない。
そして、「世紀末大博覧会」
この企画展は不遜にも、「大博覧会」と称してみた。所詮は幻想に過ぎなかったといってもよい「繁栄」の味わいを教えてくれたあのバンパクになぞらえたからである。同時に、19世紀後半から20世紀が「博覧会の世紀」といわれ、文明の見本市として博覧会が機能したことを考えれば、20世紀の幕引きには「博覧会」がふさわしいと考えたのである。したがって、骨格をなす3つのテーマをそれぞれパビリオンになぞらえている。
展示を構想するに当たって、考えるべき要素は多かったが、整序しきれず、またあえて混沌とした状態を残しながら、開催に至った。それでもなお、私たちが考えてきたことのすべてを尽くしているわけではない。交錯するテーマ群が紡ぎ出す世界は、まさに行方の見えない現代の状況に通じるだろう。
皮相かつ情緒的な駄弁を弄してきた。この世紀末と新世紀(未来)に何を見出せるか−これから足を踏み入れる「大博覧会」を通じてお考えいただきたいと思う。