思想としてのゴジラ

(2000.11.11 徳島県立博物館土曜講座「ゴジラとウルトラマン−大衆文化の現代史−」のうち、ゴジラ関係部分の要旨に加筆)

 

世紀末大博覧会とゴジラ

 2000年秋、文化の森総合公園開園10周年記念企画展「世紀末大博覧会」が開催された。会場の入口に展示されたのは、ゴジラの着ぐるみ(vsビオランテバージョン)、第1作関係資料などである(写真参照)。ゴジラを展示したのは、そのキャラクター自体が現代史の所産であることに注目し、20世紀の象徴としての意味を込めていたのだが、その意図がどれほど認識されたかはわからない。

 

ゴジラ誕生

 怪獣ゴジラの誕生というべき映画「ゴジラ」が公開されたのは、1954年11月のことだった。

 ゴジラはもともと、深海で生き延びていた約1億4000万年前の恐竜だった。それが度重なる水爆実験によって眠りからさめ、水爆エネルギーを全身に充満させた巨大怪獣となって人類に襲いかかるのであった。この怪獣は、最初に姿を現した大戸島の伝説によって「ゴジラ」と呼ばれた。

 いまさらいうまでもないが、第2次世界大戦は核兵器という怪物を生み出した。戦後世界は、アメリカとソ連(いずれこの国が存在したことも忘却されるであろう)の対抗関係を基軸に動いた。いわゆる冷戦だが、そのもとで両勢力は相互に恫喝しあうかのように核兵器開発を推進した。こうした中で起こった悲劇が1954年3月の第5福竜丸被爆事件である。アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験により、日本のマグロ漁船第五福竜丸が被爆し、日本中に衝撃が走ったのである。日本にとってはヒロシマ・ナガサキに続く、3度目の核兵器による被害であり、これをきっかけに原水爆禁止運動が高まっていった。

 さながら核爆弾を体現したかのようなゴジラは、こうした核開発と反核のうねりのなかで登場したのである。「ゴジラ」のポスターには「水爆大怪獣」と銘打たれている。

 

ゴジラのリアリズム

 「ゴジラ」は怪獣映画だが、なかなか興味深い要素が多い。子ども向けの怪獣大暴れものと思うと、それは大きな勘違いとなる。試しに一度、「ゴジラ」を全編見ればよい。

 ゴジラに蹂躙された東京で、人はこんな台詞を口にする。

  「また疎開か」

 「また」には注目すべきである。1945年の敗戦から10年もたたないだけに戦争の記憶はまだ生々しかったはずだ。暴れるゴジラはアメリカ軍による空襲と対比されるに足るものだったと思われる。まさに生命を持って暴走する兵器ともいえる。

 女性がいうこんなことばもある。

  「早くおとうちゃんのところへ」

 夫はなぜ死んだのか。先に見たように、この映画がつくられた時代からすれば「戦死」かと思われる。

 さらに圧巻に感じるのは避難所の場面だ。荘重な音楽をバックに描かれ、戦争映画に出てくる野戦病院を彷彿させる。そこに集まった人たちのうめき、暗い表情。とても重い演出である。

 いくつか例示したことを通じていいたいのは、「ゴジラ」の背景としての戦争の影である。敗戦からほどない時期であるということはもちろんだが、冷戦と核開発競争、朝鮮戦争、すでに始まった日本の再軍備など、当時の日本を取り巻く状況は戦争への危機感を募らせるに足るもので、それが反映されているといえるだろう。「ゴジラ」が核批判を底流にした作品であるという評価は定着しているが、核をも含む「反戦」の思想を見出すべきであろう。

 なお、ゴジラはオキシジェンデストロイヤーという秘密兵器によって最期を遂げる。「水爆大怪獣」を超越する兵器の登場は、あたかも核抑止論のような発想である。その後の世界の流れを予見していたかのように思えてならない。

 

ゴジラのその後

 第1作公開の翌年、「ゴジラの逆襲」が公開され、1962年から1975年までシリーズとして13作が制作された。私が子どもの頃、夏休みには決まってゴジラ映画を柱とした「東宝チャンピオンまつり」があったことを覚えている。

 シリーズ化したゴジラは社会的リアリズムを失っていった。他の怪獣と戦う形態が定着し、「怪獣プロレス」と揶揄されるようなストーリーが定着した。息子ミニラが登場したり、地球の守護者として立ち回ったり・・・。

 それでも例外的に、社会性をもつ作品があることも事実である。「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)は、当時深刻化してきた公害問題を背景としている。

 こうしてゴジラ映画は、1975年を最後に制作が途絶える。いったん、1984年に先祖帰りするかのように人類を襲う「ゴジラ」が公開され、1989年の「ゴジラVSビオランテ」以後、「平成ゴジラシリーズ」が始まる。怪獣同士の格闘はあるが、ここには批判精神が散見され、明らかにかつてのシリーズとは異なる。

 例を挙げると、生命倫理の重要性や行きすぎたバイオテクノロジーを批判する「ゴジラVSビオランテ」、バブル経済に驕り高ぶった日本を批判する「ゴジラVSキングギドラ」(1991年)、環境への関心の高まりを背景として環境破壊を批判する「ゴジラVSモスラ」(1992年)などがある。

 このシリーズも1995年でいったん終わり、期待はずれだったハリウッド版「GODZILLA」をはさみ、1999年から再びシリーズ化している。

 

おわりに

 ゴジラの登場から、平成ゴジラシリーズまでを通観したが、シリアスさとメッセージ性の明確さからいえば、原点というべき第1作を越えるものはない。不況と閉塞感に悩みながらも、すこしずつ軍靴の音が近づきつつあるように感じられる現代日本。それだけに「ゴジラ」が放つ輝きは今も褪せていないといってよかろう。

 

 
表1 関係年表

事項

1945

7

アメリカ、初の原爆実験に成功

8

広島に原爆投下

長崎に原爆投下

ポツダム宣言受諾

1948

5

ベルリン封鎖(〜49.5)

1949

4

北大西洋条約機構(NATO)発足

8

ソ連、初の原爆実験

1950

6

朝鮮戦争(〜53.7)

8

警察予備隊発足

1951

9

サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約調印

1952

10

イギリス、初の原爆実験

保安隊発足

11

アメリカ、初の水爆実験

1953

8

ソ連、初の水爆実験

1954

3

アメリカがビキニ環礁で水爆実験、第5福竜丸被爆

7

自衛隊発足

1955

5

ソ連・東欧7か国、ワルシャワ条約調印

8

第1回原水爆禁止世界大会

1957

5

イギリス、初の水爆実験

8

ソ連、大陸間弾道弾(ICBM)実験

12

アメリカ、大陸間弾道弾(ICBM)実験

1959

3

安保改定阻止国民会議結成→安保闘争

1960

1

日米新安保条約調印

2

フランス、初の原爆実験

5

新安保条約、衆議院通過→安保闘争高揚

12

南ベトナム民族解放戦線結成→ベトナム戦争本格化(〜75)

1962

10

キューバ危機

1963

8

米・英・ソ3国が部分的核実験禁止条約に調印

-

四日市ぜんそく被害広がり、問題化

1964

10

中国、初の原爆実験

11

アメリカの原子力潜水艦シードラゴン、佐世保入港

1967

4

イタイイタイ病問題化

6

中国、初の水爆実験

8

公害対策基本法公布施行

1968

1

アメリカの原子力空母エンタープライズ、佐世保入港

8

フランス、初の水爆実験

-

大学紛争多発

1969

2

B52撤去要求沖縄県民統一行動

1970

6

日米安保条約自動延長←70年安保闘争

表2 ゴジラ映画一覧

No.

公開年

タイトル

1

1954

ゴジラ

2

1955

ゴジラの逆襲

3

1962

キングコング対ゴジラ

4

1964

モスラ対ゴジラ

5

1964

三大怪獣 地球最大の決戦

6

1965

怪獣大戦争

7

1966

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘

8

1967

怪獣島の決戦 ゴジラの息子

9

1968

怪獣総進撃

10

1969

ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃

11

1971

ゴジラ対ヘドラ

12

1972

地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン

13

1973

ゴジラ対メガロ

14

1974

ゴジラ対メカゴジラ

15

1975

メカゴジラの逆襲

16

1984

ゴジラ

17

1989

ゴジラVSビオランテ

18

1991

ゴジラVSキングギドラ

19

1992

ゴジラVSモスラ

20

1993

ゴジラVSメカゴジラ

21

1994

ゴジラVSスペースゴジラ

22

1995

ゴジラVSデストロイア

23

1999

ゴジラ2000ミレニアム

24

2000

ゴジラ×メガギラス G消滅作戦

 
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