戦争のモニュメント
― 奉納砲弾のこと ―

(徳島県立博物館ニュース52[2003年]の「歴史散歩」欄を改題・改稿)

 

 寺社を訪れると、石灯籠や玉垣などの奉納物が多々あります。これらは、信仰の基盤や消長などを考える上で大切な手がかりとなります。最近、そうした奉納物のうち、戦争にかかわるものに興味を持っています。 

 神社の境内や公園などには、戦死者を供養する忠魂碑(図1)が建立されていることが多々ありますが、これらは独立したモニュメントとして設置されており、「奉納」という趣旨ではありません。それとは別に、戦争そのものを想起させるような物品が奉納されている場合があり、興味深いのです。

 図2は、佐那河内村の朝宮神社にある砲弾です。日露戦争(1904〜1905年)の記念として奉納されたものです。石段の登り口脇にひっそりとあるので、ついつい見落としそうになります。砲弾には「明治四十年四月、日露記念、奉納 星山宇平」いう銘が直接彫り込まれています。慣れない手で彫ったのでしょうか、たどたどしい文字です。そのため、かえって生々しさを感じさせられます。図3は、徳島市の忌部神社で見かけた砲弾です。やはり日露戦争の記念として奉納されています。石製の台座には「戦利品、御奉納」と刻まれています。

 兵員の立場としては、大国ロシアとの厳しい戦争に参加したことを誇る気持ち、戦死者の慰霊の念などから、砲弾を奉納したものかと思われます。ちなみに、忠魂碑が多数建立されたのも、日露戦争後のことです。

 ところで、私たちは「戦争」というと、アジア太平洋戦争を思い浮かべがちです。しかし、近代日本が経験した戦争は、日清戦争、日露戦争をはじめとして、多数ありました。さらに、1945年の敗戦以後の日本の経済復興の陰には、朝鮮戦争やベトナム戦争などによる物資需要の増大がありました。「戦後」の日本は戦争と隣り合わせだったのです。そして今も、地球上から戦争が絶えることはないのが現実です。

 こうした事実を羅列しても、どこか遠い話と感じてしまいがちです。私たちがくらす地域と戦争の関係という観点から、いろいろな痕跡を探ってみてはどうかと思うのです。例えば、ここで紹介した奉納砲弾なども、地域に生きた人々にとっての戦争の意味を探る恰好の素材となっていくはずです。 

 

   
図1 忠魂碑(佐那河内村中辺)
図2 奉納砲弾(佐那河内村井開 朝宮神社)
図3 奉納砲弾(徳島市二軒屋町 忌部神社)
  
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