もうひとつの細川成之画像

(徳島県立博物館ニュース56[2004年]の「館蔵品紹介」欄を一部修正)

 

  阿波を代表する古刹であり、文化財の宝庫としても有名な丈六寺には、国指定重要文化財である細川成之画像(図1)があります。成之(1434〜1511)の晩年の姿を描いており、茶色の袈裟を着け、腰をかけた様子です。やせた出家姿とはいえ、鋭い目や真一文字に結んだ口などは、戦国武将の面影をとらえています。当館では、この画像の原寸大の複製品を制作し、常設展の「中世の阿波」コーナーで展示しています。

 細川成之は、阿波国守護だった細川持常(1409〜1449)の養子となって阿波細川家を継ぎ、守護を務めました。成之は室町幕府が弱体化するきっかけとなった応仁・文明の乱(1467〜77)に際し、同族の細川勝元を助けて活躍しました。勝元の死後には、細川氏一族の中心として幕府内でも重きをなしました。和歌や絵画に優れるなど、文化人としても知られ、荒廃していた丈六寺を曹洞宗寺院として再興しました。

 ところで、当館には、別の成之画像が収蔵されています(図2)。丈六寺所蔵細川成之画像の模本ですが、現状とは異なり、画面が欠けているところがたくさんあります。かなり傷んでいる状況を描いていることが分かります。

 この成之画像が収められた箱には、1915年(大正4)12月の箱書があります。それによれば、石原六郎(1873〜1932)の依頼により、京都大学の絵師が模写したものだということです。丈六寺にある実物は1916年に修理されているので、この模本は、今では分からない修理以前の様子を、実物に即して記録した資料といえます。

 ここで石原について触れておきましょう。彼は、現在の吉野川市鴨島町の旧家に生まれた実業家でした。1915年10月、阿波郷土史を中心とする日本史の資料を集めた私設図書館「呉郷文庫」を設立したことでも知られています(呉郷文庫の蔵書の多くは、現在、徳島県立図書館に収蔵されています)。模写された成之画像も、この文庫に収められていたのではないかと思われます。呉郷文庫には、徳島県出身の歴史学者として著名な喜田貞吉(1871〜1939)が顧問として迎えられていました。喜田は当時、京都大学講師でしたから、彼の仲介により、模写が実現したのでしょう。

 模本や複製品というと、「ニセモノ」と思われることが多いですが、ここに紹介した画像のように、それ自体が資料として固有の意味を持つことがあります。また、この世にただ一つしかない文化財と同質ではないものの、それが持つ情報を伝えるものであることはいうまでもありません。

   

図1 細川成之画像 丈六寺所蔵
(国指定重要文化財)
図2 細川成之画像模本 当館所蔵

  

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