徳島県立博物館研究報告,(2001年)第11号:1-6.
Abstract: Four cicada species of the genus Tibicen (Homoptera, Cicadidae) are recognized from Tokushima Prefecture, Shikoku, mainly based on our field research in August, 2000. The distribution and habitat in the Iya Area are also discussed. Tibicen flammatus (Distant,1892) is herein recorded from Tokushima Prefecture for the first time.
1. はじめに
日本には32種のセミが棲息しているが,過半数の種は琉球列島に分布し,本土には14種が知られる (林,1984).四国各県から記録されたセミの種数は,愛媛県と高知県からそれぞれ14種,徳島県から12種,香川県から11種で,4県に共通する種は,ニイニイゼミ Platypleura kaempferi (Fabricius, 1794),アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata (Motoschulsky, 1866),クマゼミ Cryptotympana facialis (Walker,1858),ハルゼミ Terpnosia vacua (Oliver, 1892) ,エゾハルゼミ Terpnosia nigricosta (Motoschulsky, 1866),ヒメハルゼミ Euterpnosia chibensis chibensis Matsumura, 1917,ヒグラシ Tanna japonensis japonensis (Distant, 1892),ミンミンゼミOncotympana maculaticollis (Motoschulsky, 1866),ツクツクボ ウシ Meimuna opalifera (Walker, 1850),チッチゼミCicadetta radiator (Uhler, 1896) およびエゾゼミ Tibicen japonicus (Kato, 1925) の11種であるとされていた(林,1984; 林, 1989).[注:出版後,香川県の北川雄士氏,出嶋利明氏より香川県ではエゾハルゼミ,ヒメハルゼミの2種は記録されていないとの連絡をいただいた.これは大原の不注意で,(林,1984; 林, 1989)にも記録はないことがわかった.従って,香川県で記録されているセミ科は正しくは9種である.ここに訂正するとともに,ご指摘いただいた両氏にお礼申し上げる]
徳島県と愛媛県・高知県との種数の差は,キュウシュウエゾゼミTibicen kyushyuensis (Kato,1926) とアカエゾゼミT. flammatus (Distant,1892) が徳島県から記録されていないとされていたためである.しかし後述するように,徳島県からはキュウシュウエゾゼミは平井(1962)および,平井(1970)によって記録されており,実際には徳島県産の既知種数は13種である.なお,香川県からは前記2種に加えてコエゾゼミT. bihamatus (Motschulsky, 1861) も記録されていない.このように,四国各県の種数の差は,エゾゼミ属の種数の差による.
エゾゼミ属各種の分布はかなり局地的である上に,樹木の高所にとまるために採集が困難なこと,鳴き声だけでは種を正確に同定できない場合が多いことなどによって,他のセミより情報は少なく,各県とも本属各種の分布状況を把握するには程遠い.そのため,徳島県におけるエゾゼミ類の分布状況を把握することは,本県のセミ相を解明する上で欠かせないものである.
徳島県立博物館では,平成12年度から課題調査「徳島県の半翅類調査」を実施し,その1回目の調査として,2000年8月8-10日に剣山山系でエゾゼミ属のセミを対象として調査を行った.この調査では徳島県で正確な記録のないアカエゾゼミの分布を確認することと,過去に記録されてはいるが,その実態がほとんどつかめていないキュウシュウエゾゼミを再確認すること,併せてコエゾゼミやエゾゼミの詳細な分布状況を把握することを目的とした.日数が限られていたために,剣山周辺だけの調査しか行えなかったが,徳島県初記録となるアカエゾセミを採集し,祖谷渓での大まかな分布状況を知ることができた.一方,キュウシュウエゾゼミは天候に恵まれなかったこともあって,平井(1962)によって記録されていた東祖谷山村深渕〜落合峠周辺での再確認はできなかった.コエゾゼミ,エゾゼミは採集および鳴き声の確認によって,剣山周辺での分布の概要を知ることができた.
以下,この調査で得られた結果と,過去の記録および徳島県立博物館に収集されている標本のデータをもとに,東祖谷山村を中心とした剣山周辺におけるエゾゼミ属の各種について,分布および棲息環境などについて報告する.
2. エゾゼミ属について
エゾゼミ属 Tibicen Latreille は全北区の温帯域に分布し,世界で約60種が知られており,そのうち,日本からはコエゾゼミ,エゾゼミ,アカエゾゼミ,キュウシュウエゾゼミおよびヤクシマエゾゼミTibicen esakii Kato,1958 の5種が知られており,四国からはヤクシマエゾゼミ以外の4種が全て記録されている(林, 1984).
3. 徳島県のエゾゼミ属
(1)コエゾゼミ Tibicen bihamatus (Fig. 1)
[三好郡東祖谷山村落合峠 (Ochiai-toge Pass, Higashi-Iyayama), 標高1,400 m] 1♂,8. viii. 2000, 林 正美 (ZIN-12424).
[那賀郡木沢村高城山 (Takashiro-yama, Kisawa)] 1♂,20. vii. 1980,吉田正隆 (ZIN-9003)
[美馬郡一宇村夫婦池 (Meoto-ike, Ichiu), 標高1,450 m] 2♂,7. viii. 1967, 河野仁一郎 (ZIN-9000-9001);1♀,8. viii. 2000, 大原賢二 (ZIN-12425);4♂,9. viii. 2000, 大原 賢二 (ZIN-12426-12429).
[三好郡東祖谷山村見ノ越 (Minokoshi, Higashi-Iyayama),標高 1,400 m] 1♂,9. viii. 2000, 大原賢二 (ZIN-12430).
林(1989)は愛媛大学農学部昆虫学研究室および大阪市立自然史博物館に保存されている剣山産の標本データを報告している.今回の調査では,東祖谷山村深渕(標高1,100 m付近)から落合峠(標高1,500 m)付近,および剣山周辺では一宇村夫婦池から東祖谷山村見ノ越の直下にある第2駐車場付近(標高約1,300 m)などで確認された.これらの地域より上部でみられたエゾゼミ属は本種だけである.当館に保存されている標本もかなり標高の高いところ(1,300-1,400m)のものであり,本種はブナ帯を中心に棲息しているものと思われる.なお,今回採集できた個体のほとんどはモミなどの針葉樹の枝先にとまっていたものである.
(2)エゾゼミ Tibicen japonicus (Fig. 2)
[徳島市八多町五滝(Gotaki, Hata-cho, Tokushima)] 1♂,7. viii. 1965, M. Harada (ZIN-8998).
当館に収蔵されている本種の標本はこの1個体だけであるが,五滝そのものは徳島市郊外の標高の低い場所(およそ300-350 m)であり,そのような標高帯に多数の個体が棲息しているとは考えにくい.本来の棲息地はその背後にある中津峰山(標高773 m)を中心とした山地であると思われる.
本種は県内の標高500-1,200 m程度の山地に棲息していると考えられ,平井(1976)は,神山町柴小屋山の広葉樹林内(標高1,100 m)のシロモジ末端葉で羽化していた♀個体を採集したことを報告している.
また,林(1989)は,埼玉大学所蔵の美馬郡脇町大滝山(標高946 m)の個体と,大阪市立自然史博物館所蔵の名西郡神山町高根山(標高700 m付近)の個体を調査し,分布図に含めている.これら以外には,鳴き声を聞いたという報告はいくつかあるが,標本に基づく記録はないようである.
今回の調査では,三加茂町 / 東祖谷山村にある桟敷峠(標高1,000 m)の東祖谷山村側の放牧場,東祖谷山村霧谷渓谷(標高1,200-1,300 m付近),名頃ダムの少し上流にある奥祖谷のかずら橋付近(標高1,000 m付近)から見ノ越方面へ登る車道沿いの標高1,200 m付近まで少数ではあるが,鳴き声を確認できた.奥祖谷のかずら橋付近は後述のアカエゾゼミが優占しており,本種の個体数は非常に少なかった.しかし,アカエゾゼミはほとんどが広葉樹林で鳴いていたのに対して,本種はスギ植林で複数の個体が鳴いていた.
(3)キュウシュウエゾゼミ Tibicen kyushyuensis
[三好郡東祖谷山村・深渕〜矢筈山 (Mibuchi〜Mt. Yahazu, Higashi-Iyayama),標高 1,100- 1,800m] 1♂,5. Aug., 1961, 阿部近一採集(平井,1962に記録された個体)(ZIN- 9004) (Fig. 3).
[那賀郡木頭村石立山 (Mt. Ishidate-yama, Kito)] 1♂,21. Aug., 1969, 加藤芳一採集(平 井, 1970).
本種は四国では最近まで愛媛県と高知県だけに産するとされていた(林,1989ほか).しかしながら,実際には徳島県からも過去に上記の2個体が記録されており(平井, 1962; 平井, 1970),東祖谷山村で採集された1個体の標本は当館に保存されている.しかし,その記録が掲載された文献が徳島県外ではほとんどみることができないものであるために,著者の一人,大原は当館に保存されている標本を詳しく調査し,過去の2件の採集記録を再録した(大原,2000).その時点では,採集者の阿部近一氏はすでに故人となり,東祖谷山村で採集された標本の詳細なデ−タは不明であるが,採集日の調査コースが深渕から矢筈山への往復となっていたため,その途中での採集品として扱った.再記録後に報告者である平井雅男氏に採集地点などを照会し「深渕の旧営林署小屋付近(標高約1,100m )を早朝出発し,日浦谷に入ってすぐの所で阿部近一氏が採集したものだったと思うがはっきり記憶していない」というお手紙をいただいた.平井氏がご教示くださった付近は標高約1,200mほどで,筆者らの調査ではその付近ではコエゾゼミが複数個体鳴いていた.また,日本セミの会会員の児島孝宣氏からもこの付近はコエゾゼミだけであり,成虫を採集しているというご教示を受けた.このキュウシュウエゾゼミが間違いなくその付近で採集されたものであるとすればコエゾゼミと混棲しているということになるが,今回の調査ではこの付近では他の種の鳴き声は聞かれなかった.
また,その調査に同行された植物研究家の森本康滋氏は「落合峠(約1,500m)から矢筈山(1,848m)の間で,落合峠の上の稜線に出て樹木が低くなったあたりだったような気がするがはっきり覚えていない」という情報を下さった.落合峠から上部は筆者らの調査時は天候が悪く,曇りと霧のためにセミ類が鳴かない状況になったため,途中で調査を打ち切ったが,峠の少し下の,標高1,400 m付近で,林がコエゾゼミを採集しており,峠付近であってもコエゾゼミが優占しているであろうと思われた.
このように阿部近一氏の採集された個体の正確な採集地点の確認がとれず,われわれも本種の再確認ができなかったため,標本のデ−タは今のところ,深渕の旧営林署小屋から矢筈山の間としておきたい.森本康滋氏のお話では,当時は深渕から落合峠までの車道はなく,日浦谷を登って落合峠で休息し,そこから稜線に出て矢筈山というルートであったという.
石立山の個体の採集者である加藤芳一氏もすでに亡くなっておられたため,加藤氏と懇意であった森本康滋氏を通じ,ご遺族に標本の有無を確認していただいたが,すでに虫に喰われて残っていないということで,詳細な採集地などの情報は不明である.
また,木村晴夫編(1977)の「徳島の自然・動物」の中で,平井雅男氏が徳島県のセミを解説しておられ,その中に剣山富士ノ池産のキュウシュウエゾゼミの写真がある.この写真の個体については採集デ−タが示されておらず,大原(2000)による再記録時には引用しなかったが,その後,平井雅男氏から「この本の写真の個体は,博物館(旧館)から借用して写したもので,剣山富士ノ池(木屋平村,標高約1,150m)で阿部近一氏が採集された個体である」というお手紙をいただいた.残念ながら,この標本は当館には残っておらず,追跡は不可能であった.しかし,今回筆者の一人,林は写真から間違いなく本種であると確認しており,今までの記録を総合すると,徳島県では3個体が採集されていることになる.
東祖谷山村と美馬郡木屋平村の個体の採集場所はいずれもコエゾゼミが優占して棲息している地域と考えられ,他県では両種が同所的に記録されている地域が知られていないことからも非常に興味深い.今後,本種がどのような分布をしているのか調査を急がねばならない.
(4)アカエゾゼミ Tibicen flammatus
[三好郡東祖谷山村名頃 (Nagoro, Higashi-Iyayama), 標高950-1,100 m] 2♂,10. viii. 2000, 大原賢二 (ZIN-12432-12433)(Fig. 4).
本種はこれまで徳島県で採集されたという確実な記録はなく,これが初めての記録となる.本種が多かったのは東祖谷山村名頃の,奥祖谷のかずら橋より下流のイゴウ谷川から上流の車谷川付近の範囲(標高950-1,200 m)であった.また,名頃ダムのすぐ下から祖谷川を渡り,三嶺登山道と反対側より左側の谷沿いにある小さな発電所の東側斜面(四ッ小屋谷川;標高 950-1000 m付近)でも数個体の鳴き声を確認した.しかし,祖谷渓の他の場所(名頃ダム付近の北側斜面,落合峠周辺,霧谷渓谷,小島峠付近など)では本種の鳴き声は聞かれなかった.
奥祖谷のかずら橋の付近では個体数はかなり多かったが,そこより上流側の標高1,150m付近では,道路側も対岸もスギ植林になっており,この間ではほとんど確認されず,さらに上流側で植林が切れると再び鳴いており,明らかに広葉樹林を選好していると思われた.この祖谷渓の道路周辺では,本種の鳴き声が聞かれたのは標高約1,200mくらいまでであり,コエゾゼミが出現し始める標高約1,300mの間はどちらもみられない空白地帯があり,ここでは両種が標高帯で棲みわけしている可能性が示唆された.
本種を採集したのは奥祖谷のかずら橋の少し上流で,林が鳴き声で本種と判断し,午前9時過ぎ鳴き移りをしなくなった時間帯に採集した.両個体とも地上から約10mほどの高さで鳴いていたものである.この付近でも日中はほとんど低いところに降りてこず,また鳴き移りをする時間帯には,ほとんどの個体は道路と谷を挟んだ反対側の広葉樹林へ移動し,採集するのはほとんど不可能であった.鳴き声から判断すると,車の震動や音の影響を受けない谷の反対側の斜面で多くの個体が鳴いていた.
前出の「徳島の自然・動物」の中には,本種も徳島県に棲息するとして和名のみがリストアップされている.これは平井雅男氏が,当館の前身である徳島県博物館の時代に行われていた夏休みの昆虫採集標本の同定会に持ち込まれた本種を見いだされ,ラベルは付いていなかったが東祖谷山村で中学生が採集したものと聞いて,それに基づいて書かれたもののようである.当館には,本種の旧館時代の1♂の標本が残されているが,ラベルは何も付いておらず,残念ながらこの個体が祖谷地方で採集されたものであるという確証はない.
このように,今回の調査で徳島県からアカエゾゼミが初めて確認され,愛媛県,高知県とならんで14種のエゾゼミ類を確認することができた.今後はすべての種について,詳細な分布情報を蓄積していきたいと考えている.
文末になったが,過去の記録に関して,採集者や採集地などについて貴重な情報をご教示下さった小松島市の平井雅男氏と,標本の所在の確認などでお世話になった森本康滋氏,落合峠周辺のコエゾゼミの情報を提供された日本セミの会の児島孝宣氏に厚くお礼申し上げる.
引用文献
林 正美,1984.日本産セミ科概説.Cicada, 5: 25-75.
林 正美,1989.日本産セミの分布調査報告(1),−アブラゼミ属・エゾゼミ属−.Cicada, 8: 1-27.
平井雅男,1962.「東祖谷の昆虫(六)その他の昆虫」.阿波の自然 特集号 第2回学術綜合調査,東 祖谷山村調査報告書 1961.pp. 34-36.
平井雅男,1970.木頭村の昆虫.「総合学術調査報告書 木頭.郷土研究発表会紀要, (16): 11-27.
平井雅男,1976.神山町のトンボ類付記,その他の昆虫.総合学術調査報告「神山町」.郷土研究発表会紀要, (22): 67-85.
木村晴夫編,1977.徳島の自然・動物. 徳島市民双書 11, 241 pp.
大原賢二,2000.徳島県のキュウシュウエゾゼミの記録.Cicada, 15: 55-56.
1 徳島県立博物館, 〒770-8070 徳島市八万町文化の森総合公園.Tokushima Prefectural Museum, Bunka-no-Mori Park, Tokushima 770-8070, Japan
2埼玉大学生物学研究室,〒338-8570 浦和市下大久保255.Department of Biology, Faculty of Education, Saitama University, Urawa 338-8570, Japan