徳島県のアサギマダラ調査

大原 賢二

 

1.アサギマダラの調査の始まり

 アサギマダラのハネに油性のペンで記号を付けて放し,それがどこか別な場所で再発見されないかという移動調査が1980年に鹿児島県で初めて始まりました.1981年春に鹿児島県の種子島でマークされた個体が,福島県会津若松市へ移動したことがわかり,このチョウは一躍脚光を浴びるようになりました.その後2-3年はまったく記録が出ませんでしたが,それでも毎年調査は行われていて,数件ずつではありましたが記録も増えていきました.

 しかしこの時期はアサギマダラの移動調査といってもごく一部の人にしか興味を持ってもらえず,このチョウの移動の姿はなかなか見えてきませんでした.その後,鹿児島昆虫同好会の福田晴夫・田中洋氏らを中心に行われていたこのチョウの移動調査に,強い興味を持ってくださった大阪市立自然史博物館の故日浦勇氏(徳島県出身)が,全国の方々へ協力の呼びかけをしてくださり,大阪を中心とした方々の精力的な調査が始まりました.それによって,移動記録の増加とともに,協力してくださる方が全国に増えていきました.

 この調査に参加されている方々の多くは,大学の研究者やチョウ好きの人ではなく,それまであまり昆虫などを調べたことなどないごく普通の方々でした.また,野鳥の会などの鳥の好きな方,特にタカ類の渡りを調べておられる方が多いのも特徴です.

 そして,1995年以降は急速に移動の記録が増えました.これはおもに秋の南下に関する記録で,夏の間に本州の各地でマークをつけて下さる方が増えたことと,それを待ち受ける人が増えたことが大きな要因であることは間違いありません.

          ヒヨドリバナで吸蜜するアサギマダラ(オス)

2. 四国での調査

 しかしながら,四国ではその1990年代前半はまだまだ記録が少なく,高知県の室戸岬に集まってくるのではないかということがようやくわかってきた・・というほどの記録しかなかったのです.その後1997-98年頃,本州から室戸岬にかなりの個体が移動するという記録がたくさん出るようになりました.四国の他の地域ではまったく記録がないときに,室戸岬だけは特別な場所として脚光を浴びていたのです.

 するとその前にある徳島県はどうなっているのだろうと誰もが考えます.つまり本州各地からいきなり室戸岬へと一気に行くと考えるより,淡路島を経由して四国を斜めに横切って行ったり,紀伊半島から徳島県に渡ってから室戸岬へと移動していくのではないだろうかということです.

 徳島県でもこのチョウの調査をまったくやっていなかったわけではありません.よその地域に負けないくらい古くから一応の調査は行われていました.しかし調査に適した場所がなかなか見つからなかったことや,調査をする人が少なかったことも事実でした.

3. 徳島県での調査

 1990年ころ,徳島県でこのチョウに一番興味を持って下さったのが,当時NHK徳島放送局のアナウンサーだった入江憲一さん(現:NHK大分放送局)でした.入江さんが何とかこのチョウのことを紹介したいと言って下さったおかげで,ラジオやテレビでこのチョウの移動の話しをすることができました.するとラジオを聴いた岐阜県や長野県のタカの渡りを調べている方々から「タカの渡りを見ていると,いつもタカと同じ方向にチョウが飛んでいるのでいったいなんだろうと思っていたけど,きっとそのアサギマダラだったのですね」という電話をいただきました.私もその話には驚いてしまいましたが,そのころからタカを調べている人たちは,このチョウがタカ類と同じような時期に,同じような方向へ移動していることをすでにご存じだったのです.

 四国内からも何人もの方が電話で連絡を下さいましたが,すぐに移動記録に結びつくようなことはありませんでした.しかし,四国でこのチョウを調べてほしいという私たちの思いを伝えることができたのは本当に入江さんのおかげでした.多くの人に,このような不思議なチョウがいるということを知ってもらえたのです.

 徳島県での調査は継続されましたが,入江さんが徳島放送局におられる間には残念ながらこのチョウの移動に関する記録を得ることはできませんでした.

4. 徳島県に関係する移動記録

 他の地域でマークを付けられた個体が徳島県ではじめて確認されたのは2000年9月のことでした.名東郡佐那河内村大川原高原の中腹で,滋賀県大津市の「びわ湖バレイスキー場」で標識を付けられた個体が初めて確認されたのです.そのすぐ後には鳴門市で,びわ湖バレイに近い比良山でマークされた個体も再確認されました.マークされた場所と,再確認された地点を結ぶと直線になってしまい,アサギマダラがそのとおりのコースで飛来してきたということは普通は考えられないのですが,移動距離や移動方向を見る目安として現在のところこれしか方法がありません.そうしてみるとこれらの個体はまさに淡路島を経由して鳴門方面へ入ってきたと考えるのが一番妥当であると思われました.

 この年(2000年)は11件の移動記録が出たのですが,徳島県へ移動してきた個体が6頭,徳島県でマークされた個体が他の地域へ移動したものが5頭でした.これらのうち一番遠くから来たものは三重県度会郡藤坂峠から海部郡日和佐町に飛来した個体で,あとは滋賀県と大阪府,和歌山県からという比較的短い距離の移動でした.徳島県から移動した5個体が再発見されたのはいずれも高知県室戸岬で,それよりも遠くへ移動した個体はいませんでした(アサギマダラの移動に関する徳島県の記録(2000年)参照

 さらに2001年秋には福島県や長野県白馬村や美ヶ原,石川県輪島市などから徳島県へ移動してきた個体が記録されました.また徳島県から高知県室戸岬をはじめ,愛媛県西部や鹿児島県薩摩半島最南端への移動が確認され,南西諸島への移動記録はでなかったものの,これらの記録から四国を通って九州東岸へたどり着き,そこから南下していくコースがあることが示唆される記録となりました.これらの移動個体の再確認,マーキング個体の他地域への移動のすべてが海部郡由岐町明神山で行われたもので,鳴門市や徳島市眉山などでも調査は行っているにもかかわらず,他の場所での再確認及びそこからのマーキング個体の他地域への移動はありませんでした(アサギマダラの移動に関する徳島県の記録(2001年)参照).

5. 今後の課題

 アサギマダラの秋の移動に関しては,この2年間の記録のおかげで,徳島県は四国の入口のひとつとして存在していると考えられるようになってきました.どのような地域からどこへやってくるかを知ることは,アサギマダラの移動ルートを考えるときに非常に重要なことです.そのために徳島県東岸の鳴門市,徳島市,阿南市,由岐町などでの調査を重点的におこなってきましたが,2000年と2001年の記録から,淡路島を経由して鳴門市へはいるコースと,和歌山県の日ノ岬付近から阿南市伊島,蒲生田岬付近を目指すコースがあることが強く示唆されています.もちろん全ての個体がこのようなコースをとるわけではなく,素通り組や別な場所から四国へ渡って来るものは相当な数であろうと思われます.

 アサギマダラの移動に関する調査を行っている「アサギマダラを調べる会」などに寄せられた記録を全てデータベース化し,いろいろな条件で検索してみると,いくつかのおもしろいことがわかってきます.7月末から8月に本州の山地帯(特にスキー場)でマークされた個体が,9月に入った頃から次第に南西へ向かい,静岡県や愛知県へやってきます.特に愛知県の知多半島には多くの個体が移動してきていることがこれまでの記録から分かります.その地域からしばらくすると伊勢湾を越えて三重県にやってきます.三重県はこれまでは記録が特に多く出ているという県ではなかったのですが,2002年には多くの記録が出ています.

 さらにそこから数日後に,和歌山県の西岸にある日ノ岬を目指すのかと思われるような動きで,その付け根に当たる所にある日高郡日高町と美山町の境にある西山という山に集まるかのような動きをします.この西山では移動個体の再確認や多くの個体へのマーキングが行われています.徳島県への移動もこの西山からのものが多く記録されています.

 徳島県への移動は,前にも書いたように,淡路島から鳴門方面へ入ってくるコースと,西山・日ノ岬方面から伊島・蒲生田岬方面へと真西に向かう大きな2つのコースがあるのではないかと考えられます.

 西山でマークされた個体が,翌日,由岐町明神山で再確認された例がいくつかあります.この明神山というのは,徳島県の最東端に位置する蒲生田岬から西へ約5kmの所にあり,海部郡由岐町と,阿南市の境界を稜線に持つ標高400mほどの山です.山の稜線部には由岐町やもっと南の方へのテレビや無線などの中継アンテナが立ち並び,その管理のために作られた道路が東西方向に3kmほど続いています.この道路は登山口から山頂近くの広場まで全て由岐町に入ります.この道路の両側に,ヒヨドリバナやアザミが咲き,それらの花で吸蜜するアサギマダラがたくさん発見できるのです.2002年10月13日に博物館の行事としてこの場所でアサギマダラのマーキング調査を行いました(写真).残念ながら今年はアサギマダラが少なく,みんなで20頭しかマークできませんでした.

 

由岐町明神山でのマーキング調査のようす(明神山登山口,2002.10.13)

 アサギマダラの秋期の南下に関しては,記録数も多く,移動コースもかなり明確になりつつあります.しかし,春の北上に関しては記録が非常に少なく,幼虫での越冬可能な地域から春の第一世代の個体がどのあたりまで移動しているのかなどまだまだ不明なことが多いのです.初夏の個体が石川県からさらに北あるいは東側へと本州内で移動している記録がいくつか得られてきており,このような記録を増やすことによって春から初夏の移動も次第に明らかになることと思われます.喜界島で精力的に調査されている福島誠氏の努力によって,南西諸島から北上しているアサギマダラの個体数や時期などの情報がかなり集まってきてはいますが,それらが九州や四国,本州で再捕獲されることがほとんどなく,秋に南西諸島へ南下していく個体と,その逆のコースである春の北上個体のもつ意味がうまく関係づけられていません.

 ただ,1000Kmを越えるような移動をする個体(これらはほとんどが南西諸島や台湾などへの移動ですが)のほとんどが♂であることから,越冬や産卵を目指した移動とは考えにくい点もあり,これも不思議な現象です.また,春から初夏,そして秋の南下ともに喜界島へ集まる個体がきわめて多いことについても,喜界島に集まる何らかの意味があるのか,あるいは風まかせであるのかなどまだまだ説明がういまくできません.現時点では標識して再確認する方法を続けて記録を増やす中で考えていくしかないと思われます.

 また,夏には四国の高い山(剣山山系や石鎚山系など)でもかなりのアサギマダラが見られますが,これらにマークしたものがどこへ移動するかという調査はまだほとんどできていません.夏季のアサギマダラはおそらく秋に山を下り,さらに南下していくと思われるのですが,これに関する調査も急がなければならないと考えています.

 まだまだわからないことだらけのアサギマダラですが,県内各地に調査網を広げて記録を増やし,このチョウの移動の意味を知りたいものです.

 このチョウの移動に関して興味を持っていただけるかたがおられましたら,どうか徳島県立博物館までご連絡をいただけると幸いです.

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