徳島県立博物館研究報告第11号 1-13ページ,2002年

 

徳島県のヒラズゲンセイ
 

大原 賢二

 

Notes on Cissites chephalotes (Coleoptera, Meloidae) in Tokushima

Prefecture, Shikoku

 

Kenji Ohara

 

 

Abstract: Notes on the distribution and life history of the meloid beetle, Cissites chephalotes (Olivier, 1792) in Tokushima Prefecture, Shikoku, Japan, is reported. Records of additional eight specimens collected in 2001 from Tokushima Prefecture are also given.

キーワード:トサヒラズゲンセイ,ツチハンミョウ,クマバチ

 

1.はじめに

 ヒラズゲンセイCissites cephalotes (Olivier, 1792)は,ツチハンミョウ科に属し,体長が2-3cm,鮮やかな赤色の美しい甲虫である.現在のところ,本州(近畿地方),四国,九州,沖縄に分布することが知られている.本種は高知県で最初に発見され,その時の標本にもとづいて北海道大学の河野広道博士が新種として記載した(河野,1936).本種は性的2型が顕著であるため,河野氏も同種の♂♀かもしれないと考えてはいたようであるが,♀をトサヒラズゲンセイHoria tosana,♂をササキトビイロゲンセイCissites sasakiiとした.その後,高知県の岡本啓氏や徳島県の平井雅男氏らの四国の昆虫研究家たちによって,これらが同種の雌雄であるという報告が出されていった(岡本,1953;平井 , 1954など).それによって,本種の学名はHoria tosana,和名はトサヒラズゲンセイとされ,多くの図鑑などにもこの学名と和名が用いられるようになった.

 しかし,後に黒沢(1985)による再検討が行われ,本種は東南アジアに広く分布するCissites cephalotesと同一であるとされ,和名もトサヒラズゲンセイからヒラズゲンセイに改称され,現在はこの扱いに従っている.しかしながら,大野(1993)によると,Olivierが C. cephalotesを記載したのは南米の標本にもとづくということで,はたしてこの学名を適用できるかどうかは東南アジア産の種を厳密に比較検討する必要があるようである.

 徳島県も最初の発見地である高知県と並んで,以前はかなり本種の記録が多い県であった(平井・武内, 1954;秋田, 1956;武内, 1954など)が,その観察地の多くは木造校舎時代の学校とその周辺の壁内や木製の柱などに作られたクマバチの巣と関係したものであった.しかしながら,学校が鉄筋コンクリートの校舎に建て替えられ,民家の壁の構造も木造からボードなどを多用した現代の建築に変化するに従って,それまで発生が見られていた産地でもまったく見られなくなっていった.1960年代に入ると記録がほとんどなくなり,1990年代までに数件の記録しかなかった.これは生息地の減少に伴って本種が減ったことも考えられるが,一般にはほとんど知られていない昆虫であり,本種を発見したという情報を寄せてくれることもないことなども影響していると思われる.1998年には,徳島市内で久しぶりに採集(死体を拾得)されたことが新聞で報じられ,各地で合計5件の記録が得られた(大原 , 1998)が,これは新聞で写真を見た一般の方からの情報が2件含まれており,一般への情報提供を呼びかけることで県内の分布などもより詳細に把握にできるものと思われた.

ヒラズゲンセイ成虫.左,♂;右,♀

ヒラズゲンセイ♂成虫(2001年6月,南井上小学校で飼育中のもの).左,眉山町西部公園産♂;右,手前の個体 西部公園産♂;奥の個体 南井上小学校産♂.

 筆者は1998年に上記の記録を報告した際に,これまでの県内の記録が発表された文献もまとめたが紙面の関係でその部分は掲載できず,機会を見て徳島県における本種の分布状況などについてあらためて検討したいと考えていた.そういう状況の中で,2000年には久しぶりに徳島市内で発生地が確認され,相当数の個体が得られた.また,2001年には県内各地で8個体が得られ,他に3個体の目撃記録も得られた.2000年の記録は徳島昆虫研究会の会報に別に発表される予定であるのでここでは触れないが,以下にヒラズゲンセイの概説と2001年の記録を報告し,これまでの県内の記録をすべて再録し,それらも含めた分布図を示し,本種の徳島県における分布に関する資料としたい.

 

2.分布

 我が国では,以前は高知県を中心に徳島県,鹿児島県,沖縄県などに分布しているとされていたが,本州の和歌山県(的場, 1976a,b;桑原 , 1979;宮武 , 1981;武内 , 1983など),兵庫県(登日 , 1980;森, 1986;杉浦・郷原, 1996)でも発見され,さらに1994年には大阪府でも本種が記録された(澤田, 1995; 福田, 1995)のに続き,1999年には大阪府泉南郡熊取町(田野, 2000)や堺市でも記録された(山本, 2000; 河上, 2000).

 一方,四国でもこれまでまったく記録のなかった香川県白鳥町でも分布調査をしておられた高知市の吉松靖峯氏によって発見された(高知新聞, 2001).もともと香川県や近畿地方まで分布していたのかそれとも最近分布を拡大していったのかは不明であるが,近年になって急に発見されはじめたことは間違いなく,本種の生活史を考えると分布拡大にはクマバチの移動がなければ難しいと思われることから,本種だけでなくクマバチの動向にも注意しなければならないと思われる.

 本種の分布記録を調べていくと,意外に九州や沖縄などでの記録は少なく,鹿児島県本土からはいくつかの記録が古くから見られる(松田,1937;岡,1988など)が,宮崎県や熊本県をはじめ,他の九州各県本土にはまったく記録が無く,唯一,長崎県対馬での記録が1例ある(江島・志方,1984).この対馬の記録は他の地域とはまったくかけ離れており,大陸側の分布がはっきりしないが,もし対馬だけに分布しているとすれば,本種がどのようにして対馬に入ったものか非常に興味深い.

 筆者の調べた範囲では鹿児島県の離島を含め,沖縄県での記録も非常に散発的で,鹿児島県種子島(尾形,1989),屋久島(岡留,1973),奄美大島(北村,1999),徳之島(野田,1990),沖縄県の石垣島(北村,1997)でそれぞれ1例ずつ記録されており,ほかにデ−タは示されていないが沖縄本島(栗林,1973),あるいは沖縄県に産するとしたもの(屋代ら,1959;東・岩村,1985;東・金城,1987)があるに過ぎない.

 後述するように,本種がクマバチと密接に関係した生活をしていることは間違いないので,本種の分布や個体数だけを問題にすることはできず,クマバチの分布や個体数,クマバチの造巣状況などを含めて検討しなければならないが,これまでの記録から見る限りでは,南に行くほど個体数の多い昆虫とは言いがたく,四国の高知県を代表する昆虫であるということは間違いないようである.しかしながら,なぜ高知県にこれほどまでに本種が多いのかは不明である.

 

3.生活史

 本種の生活については,クマバチと深い関係があることが分かっている.発生消長やクマバチとの関係は,高知昆虫研究会の竹束正氏(竹束,1984,1986)や真鍋泰彦氏(真鍋,1982)石田明儀氏 (石田, 1982)をはじめ,徳島の平井雅男氏(平井,1954;平井・篠原,1954,1955)や須原昭治氏(須原,1957)らのいくつかの報告があるが,前述したようにその観察地の多くが木造校舎時代の学校であった.

 現在は高知市の吉松靖峯氏が精力的に研究を勧めておられ(吉松, 1993, 1996, 1998a, 1998b, 1998c, 1998d, 1999a, 1999b, 2000),高知県では毎年数百頭という本種の情報が得られているようである.これまでの調査によって,本種とクマバチとのかかわりもかなり解明されてきている.吉松氏の私信によれば,「発生が見られる場所はクマバチが巣を作りやすい神社・お寺などの木造建築物が多いが,立ち枯れ木や,枯れた枝などでも見られ,人家周辺は発見されやすいが,比較的山地でもクマバチの巣を見つけられれば本種を発見できる場合もある」ということである.

 ヒラズゲンセイは成虫が見られる6-8月頃にクマバチの巣内に産卵し,孵化した1令幼虫はクマバチ成虫の体について一度巣外へ出る(吉松,1996).その後,これらの幼虫がどのようにして新しいクマバチの巣へ侵入するかについてはまだ詳細は明らかになっていない.

 しかし,竹束正氏は3月に(竹束,1984),吉松靖峯氏は12月に(吉松,1998b),それぞれ擬蛹と思われるものを発見した.その後吉松氏は,1997年8月29日に,および1999年7月8日に擬蛹室を作っているヒラズゲンセイの幼虫を発見した(吉松,1999,2001).これら擬蛹と幼虫は竹束氏のものは同年,吉松氏のものは翌年の5-6月に成虫になるまで観察されている.吉松氏が1999年7月8日に発見したものは,7月8日〜13日の間に脱皮して擬蛹になり,翌年4月13日脱皮して終令幼虫,5月7日に蛹化,5月26日に羽化・成虫となったとされており(吉松,2001),擬蛹の期間が9ヶ月にも及ぶことになる.吉松氏は,1997年8月に発見された擬蛹が入っていたクマバチの巣は7月13日以前にはなく,それ以降に新たに穿孔されたものであることから,この擬蛹は7月13日から8月29日までの間に,新たに作られたこのクマバチの巣内にどこかから入ってきたことになるが,そのころの幼虫の運動能力や大きさを考えると,どのような方法でこの巣に入ったものか理解困難であるとしている(吉松,1999b).

 これらの情報をもとに四国での本種の生活史を整理してみると,ヒラズゲンセイの成虫は5月中旬から8月頃に現れ(6月の記録が多い),すぐに交尾し,♀はクマバチの巣穴附近に産卵する.卵期間は約2週間ほどであると考えられる(平井・篠原,1954).孵化した1令幼虫はクマバチ成虫の体にしがみついてどこかへ出ていく.翌年の7月から8月頃には擬蛹の段階まで発育して,クマバチの巣に戻り,擬蛹となって越冬し,擬蛹が脱皮して終令幼虫,さらに蛹化してその年の5-6月に成虫になるという2年1化の生活史であると考えられるが,孵化幼虫が一度クマバチの巣外へ出てから約1年間どのような生活をしているのかがまったくわからないということになる.

 また,杉浦・郷原(1996)は,郷原が島根大学の中でクマバチを飼育し,クマバチ(キムネクマバチ)の生活史を明らかにし,神戸市で得られたヒラズゲンセイの観察などをもとにヒラズゲンセイがこのクマバチの生活史のなかでどのように寄生できるかについて言及している.彼らはクマバチの巣内で利用できる花粉団子やクマバチの幼虫などがヒラズゲンセイの羽化した後の巣内にはないことからヒラズゲンセイは2年1化であろうと推測しているが,これは吉松氏らの観察からも間違いないことであろう.

なお,これまでヒラズゲンセイの寄主をすべてクマバチと書いてきたが,杉浦・郷原(1996)によれば,ヒラズゲンセイが利用しているクマバチは,本州,四国,九州ではクマバチ(キムネクマバチ)(Xylocopa appendiculata circumvolans)で,沖縄本島ではオキナワクマバチ(X. flavifrons),石垣島ではアカアシセジロクマバチ(X. albinotus)であるという.

 

4.徳島県における2001年の採集・目撃記録

 以下に,筆者が知り得た2001年に県内で得られたヒラズゲンセイの記録を報告する.記録中のZIN-で示したものは当館の昆虫分野の標本番号である.

 

徳島市

(1)1♂,2001.年5月22日,徳島市国府町国府駅近くの神社境内,田野宏季(小学生) 採集,境内の朽ち木を割ったら出てきた(標本は賀好光男氏保管).

(2)1♀,2001年6月1日,徳島市上八万町西山しらさぎ台中央の路上,大原勝枝採集,(標本は徳島県立博物館保管,ZIN-12542).

(3)1♀,2001年6月15日?,徳島市南佐古3番町 椎宮神社付近,島幹雄氏採集(徳島新聞社より電話での問い合わせあり.記事は19日付の朝刊に掲載).

(4)1♂,2001年6月16日,徳島市眉山町西部公園,佐藤勇氏採集,南井上小学校に上げた(死亡後,標本は徳島県立博物館に保管,ZIN-12543).

(5)1♀,2001年6月16日,徳島市上八万町西地,大原賢二採集(古い木造の家のまわりを飛翔中,ZIN-12544).

(6)1頭目撃,2001年6月17日,徳島市上八万町上八万幼稚園,魚島純一(園庭の上を飛翔中の個体を目撃).

(7)1♂,2001年6月19日,徳島市国府町日開南井上小学校内,福山貴浩君(小5)採集,(南井上小学校の校舎に止まっていた.死亡後,標本は徳島県立博物館に保管,ZIN-12545).

(8)1♂,2001年6月24日,徳島市名東町1丁目(地蔵院近く),杉本博氏採集(名東うぐいすの里の路上に落ちていた死体を拾得.標本は徳島県立博物館に保管,ZIN-12546).

 

麻植郡山川町

(9)1♂1♀,2001年6月16日,麻植郡山川町宮島,西 久穂氏採集,(家の軒先にぶら下げた廃巣となったスズメバチの巣の近くで交尾していた.飼っていたが何も食べないために18日に逃がした.新聞報道後,本種であることを知り連絡).

 

海部郡海南町

(10)1♂,2001年6月18日,海南町大里字白水,入口良輔氏採集(仕事場に飛来.標本は徳島県立博物館に保管,ZIN-12547).

(11)1♀,2001年6月21日,海南町浅川粟の浦,入口良輔氏採集(上記の♂個体を浅川の事務所で飼育カゴに入れて飼育していたが脱走し,網戸の室内側にとまっていたところ,網戸の外側に♀が付いていた.標本は徳島県立博物館に保管,ZIN-12548;これらは海南町立図書館の斉藤正氏を通じて当館に寄贈された).

 この記録では,網戸に静止していた♂個体に惹かれたように♀個体が外側にとまっていたという興味深い情報があったが,高知市の吉松氏が同様のことを記録しておられる(吉松 , 1998d).吉松氏によると,高知市朝倉の幼稚園で3♂2♀をプラスチックケースに入れて教室内で飼育していたところ,翌日からこのケースに向かって連日ヒラズゲンセイが飛来してきたという.また,伊藤(1977)は高知県土佐山田町と高知市内の2カ所で4♂8♀および5個体(2♂,3頭は性不明)を得たが,そのすべてがクレオソートを防腐剤として塗布した板壁や柱で,クレオソートに誘引されたのではないかということを報告している.

 これらの例からみても本種がフェロモン等の誘引物質を分泌している可能性は高く,クレオソートなどの何らかの臭いに誘引されるとすれば,分布調査を行う場合に,何らかのトラップを設置することも可能かもしれない.

 

 2001年の記録に関しては,はじめ島幹夫氏によって採集された個体の記事が,徳島新聞にカラー写真付きで紹介され,筆者らが採集したものをのぞくとすべてこの新聞記事を見た方々から情報が寄せられたもので,本種の県内における分布の詳細を調べるためには県民への呼びかけが必要であることを痛感した.

 

5.徳島県におけるヒラズゲンセイの過去の記録とその分布図

 以下に上記以外の徳島県内で得られた本種の過去の記録を個体別に紹介し,それらの個体の採集地を地図上に示す.文献のみの紹介に留めようかとも考えたが,文献の紹介では一つの報文に複数の個体や地域の記録が含まれているものもあり,個体別の記録を示した方が分布状況の把握には都合がいいと考えて個体ごとの再録とした.

 市町村は北から南へ,東から西の順に示し,古い地名の場合には現在の市町村に含め,現在の地名を併記したものがある.

 記録は,個体数,性別,採集地,採集日,採集者の順に示し,次に[ ]内にその記録の報告者,年,報文タイトル,雑誌名,巻号:ページを示した.県内の古い記録は同一個体の記録が異なった雑誌に複数回記録されていることも多く,どれを初出の文献とすべきか悩むものも多い.そのようなものについては注釈をつけてある.いずれもそれぞれの雑誌を見るとオリジナルデ−タに見えるものが多いので注意が必要である.

 

(1)1♂,鳴門市大麻町松村,14. vi. 1998,石橋敬治採集. [大原賢二 , 1998. ヒラズゲンセイの1998年における徳島県内の記録. 徳島昆虫, (10) : 2.]

 

(2)1♀,板野郡藍住町乙瀬字青木,15. vi. 1998,森本美咲世・西川道子採集.[大原賢二 , 1998. ヒラズゲンセイの1998年における徳島県内の記録. 徳島昆虫, (10) : 2.]

 

(3)1♂,名東郡北井上村(現: 徳島市国府町西黒田字南傍示),20. vi. 1954 ,榎本容久採集.[平井雅男・武内恵行 , 1954. 徳島県産トサヒラヅゲンセイの採集記録. げんせい,2 (1/2) : 5.]

 

(4)1♀,名東郡国府町西黒田(現: 徳島市国府町西黒田),16. vi. 1955,中村正昭採集.[秋田晴夫 , 1956. トサヒラズゲンセイ 2♀♀を採る. 阿波の虫,2 (1) : 20.]

 

(5)1♀,名東郡国府町芝原(現: 徳島市国府町芝原),20. vi. 1955,辻本一義採集. [秋田晴夫 , 1956. トサヒラズゲンセイ 2♀♀を採る. 阿波の虫,2 (1) : 20.](この♀は既交尾個体だったらしく,産卵したと平井さんから連絡があったことを付記しているので,平井雅男氏に渡したものと思われる)

 

(6)1♀(死体拾得),徳島市蔵本町1(国道192号),17. vi. 1998,島 幹雄採集.[大原賢二 , 1998. ヒラズゲンセイの1998年における徳島県内の記録. 徳島昆虫, (10) : 2.(徳島新聞1998年6月24日付朝刊の記事によって記録したもの)]

 

(7)1♂,徳島市秋田町5丁目,8. vi. 1977,井内 弘採集.[井内 弘 , 1979. トサヒラズゲンセイ徳島市内で採集. 徳島昆虫, (5) : 42.](飛翔中の個体を採集したと報告)

 

(8)1♀,徳島市津田町西新浜,27. vi. 1973,吉田 稔採集.[井内 弘 , 1974. トサヒラズゲンセイを徳島市内で採集. 徳島昆虫, (2) : 18.]

 

(9)1♂,徳島市勝占村大字大松(現: 徳島市大松町),9. vi. 1941,大松国民学校6年生藤田ハナ子採集. [武内恵行 , 1954. 徳島県産ヒラズゲンセイ 第2報. 阿波の虫,1(1): 13-15.]

 (平井(1954)が,げんせい,3(1/2): 3および平井・武内が同号の5ページ に再録.「げんせい」のこの号の発行日は1954年12月20日,「阿波の虫」の1(1)の発行は1954年3月10日となっており,同一記録であるが「阿波の虫」の方が早い.「げんせい」は再録という断りがなく,オリジナルデ−タに見えるので注意が必要である.)

 

(10)1♀,勝浦郡多家良村大字飯谷(現: 徳島市飯谷町),20. vi. 1945,飯谷国民学校6年生 桂邦男採集. [武内恵行 , 1954. 徳島県産ヒラズゲンセイ 第2報. 阿波の虫,1(1): 13-15.] ((9)の記録と同様に,平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 5. にも記録している)

 

(11)1♂,名西郡石井町 徳島県農業大学校校内,12. vi. 1998,谷 茂夫採集.[大原賢二 , 1998. ヒラズゲンセイの1998年における徳島県内の記録. 徳島昆虫, (10) : 2.](吉田正隆氏よりの情報に基づいて記録)

 

(12)1♀,名西郡浦庄村(現: 名西郡石井町浦庄),15. vi. 1952,高原小学校教諭上田健三採集. [武内恵行 , 1954. 徳島県産ヒラズゲンセイ 第2報. 阿波の虫,1(1): 13-15.] ((9),(10)と同様に平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 5. にも記録)

 

(13)1♂,麻植郡川島町,13. vi. 1949,阿部治(中学2年)採集. [武内恵行 , 1950. 「ヒラズゲンセイ線」に就いて. 阿波の自然,2 (1) : 49.]

 (武内は上記の文章中に,採集地や日付,採集者,及び中根猛彦氏の同定でササキトビイロゲンセイ(ヒラズゲンセイの♂)であったことを書いている.ただ,この報文は記録の発表ではないと考えたのかその後,武内恵行(1954) ,阿波の虫1(1): 13-15.にこの個体の記録を出している.さらに平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 5. にも記録しているが,この個体の欄には「新昆虫に発表」と注記されている.しかし,新昆虫の記録は中根猛彦氏が「武内氏が徳島県川島町の昆虫を持参された中にササキトビイロゲンセイを発見し,驚いた」という内容で,標本のデ−タはまったく含まれていない.)

 

(14)1♀,麻植郡川島町,vi. 1950,阿部 永採集. [武内恵行 , 1950. 「ヒラズゲンセイ線」に就いて. 阿波の自然,2 (1) : 49.]

 (この個体も前記の個体についての報文中に出てくるが,正式な報告は武内恵行(1954).阿波の虫,1(1): 13-15.と見なすことが正しいかもしれない.この個体の記録は,平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 5. にも再録しているが,再録であることは示されていない.なお,採集者の阿部永氏は植物研究者の故阿部近一氏の長男,前述の個体の阿部治氏は次男であることから,川島町としか書かれていないが,阿部氏の自宅周辺であるならば神後付近での採集と思われる.)

 

(15)1♂,麻植郡山川町山瀬,13. viii. 1955,山瀬中学1年 近藤正次採集. [真鍋佳資 , 1956. ヒラズゲンセイ 1♂,を採る. 阿波の虫,2 (1) : 20.] (デ−タに間違いがなければ徳島県の記録としてはもっとも遅い採集日である)

 

(16)1♀,小松島市三条通り,19. vi. 1955,小松島小学校 林 栄一採集. [平井雅男 , 1956. トサヒラズゲンセイ 1♀,を採る. 阿波の虫,2 (1) : 20.]

 

(17)1♂,小松島市芝田小学校(小松島市田野町字中須),5. vi. 1955,芝田小学校 岡本正夫・湯浅茂章採集. [篠原正義 , 1956. トサヒラズゲンセイ2♂♂を採る. 阿波の虫,2 (1) : 20.]

 

(18)1♂,小松島市芝田小学校(小松島市田野町字中須),8. vi. 1955,芝田小学校 内藤秀明採集. [篠原正義 , 1956. トサヒラズゲンセイ2♂♂を採る. 阿波の虫,2 (1) : 20.]

 

(19)1♂,小松島市千代小学校(小松島市中田町字奥林),13. vi. 1955,千代小学校六年 井上千代子採集. [須原昭治 , 1956. トサヒラズゲンセイ 1♂畸型を採る. 阿波の虫,2 (1) : 19-20.](阿波の虫2(1): 19-20は,トサヒラズゲンセイの採集記録(1955)というタイトルが付いている)

 

(20)1♂,小松島市千代小学校,25. vi. 1956,千代小学校6年 渡辺 頌介採集. [須原昭治 , 1957. トサヒラズゲンセイを採る. 阿波の虫,2 (2) : 21-22.] (標本は平井雅男氏が九州大学の江崎悌三先生に送った)

 

(21)1♂,小松島市千代小学校,25. vi. 1956,千代小学校6年 国本吉秀採集.[須原昭治, 1957. トサヒラズゲンセイを採る. 阿波の虫,2 (2) : 21-22. ](標本は平井雅男氏が九州大学の江崎悌三先生に送った)

 

(22)1♀,小松島市千代小学校,27. vi. 1956,千代小学校5年 山形幸雄採集.[須原昭治 , 1957. トサヒラズゲンセイを採る. 阿波の虫,2 (2) : 21-22. ](標本は平井雅男氏が九州大学の江崎悌三先生に送った)

 

(23)1♂,小松島市千代小学校,21. vi. 1957,千代小学校5年 青柳裕志採集. [須原昭治 , 1957. トサヒラズゲンセイを採る. 阿波の虫,2 (2) : 21-22.]

 

(24)1♂,小松島市田野,12. vi. 1954,水口善次・内藤雄吉採集. [平井雅男 , 1954. ササキトビイロゲンセイとトサヒラヅゲンセイは同一種. げんせい,3(1/2) : 3.]

 (この直後の5ページにもこの個体の記録の再録がある.この記録は「げんせい」のこの号が初出と思われるものであるが,3ページにデ−タ付きで書いてあり,5ページを記録の初出とするかどうか問題がある.)

 

(25)1♂,小松島市田野,24. vi. 1954,柴田 稔・野口 武採集. [平井雅男・武内恵行 , 1954. 徳島県産トサヒラヅゲンセイの採集記録. げんせい,3(1/2) : 5.]

 

(26)4♂6♀,小松島市田野(田野町字中須)芝田小学校校舎軒先及び柿の葉上,18. vi. 1954,芝田小学校児童 佐賀 茂ほか採集. [平井雅男 , 1954. ササキトビイロゲンセイとトサヒラヅゲンセイは同一種. げんせい,3(1/2) : 3].(この報文の中にこれらの個体のデ−タはすべて含まれる.これを初出とすれば,平井雅男・篠原正義(1954)げんせい,3(1/2): 4. の「トサヒラヅゲンセイの産卵・艀化及び成虫の生存期間」および平井・武内(1954)げんせい,3(1/2): 5. の「徳島県産トサヒラヅゲンセイの採集記録」のこれらの個体の記録もそれぞれも引用と見なさねばならない.)

 

(27)1♂1♀,小松島市田野(田野町字中須),28. vi. 1954,芝田小学校 内藤修一・芝 一治採集. [平井雅男・篠原正義 , 1954. トサヒラヅゲンセイの産卵・孵化及び成虫の生存期間. げんせい,3(1/2) : 4.]

 (これにすべての情報が書かれているが,記録の発表と見なすかどうかよくわからない.♂は6月30日死亡,♀は約1300卵を産卵後7月22日に死亡とあるが,下段では7月23日死亡となっている.また,同号の5ページにも記録がある.また,平井・篠原 (1955)が新昆虫に書いたものも内容は,げんせい,3(1/2) : 4に書かれたものとほぼ同じである)

 

(28)1♂,小松島市田野(田野町字中須),10. vii. 1954,芝田小学校2年戸川輝昭採集. [平井雅男・武内恵行 , 1954. 徳島県産トサヒラヅゲンセイの採集記録. げんせい,3(1/2) : 5.](平井雅男,1955.科学作品展の昆虫. 阿波の自然,2(2): 36-37にもあり.)

 

(29)1♂,,小松島市田野(田野町字中須),16. vii. 1954,山尾正和採集. [平井雅男・武内恵行 , 1954. 徳島県産トサヒラヅゲンセイの採集記録. げんせい,3(1/2) : 5.]

 

(30)1♀,小松島市日開野,1954年6月下旬,宮田順子採集. [平井雅男・武内恵行 , 1954. 徳島県産トサヒラヅゲンセイの採集記録. げんせい,3(1/2) : 5.]

 

(31)1♀,小松島市和田島?,小松島市和田島小学校 成川陽一採集. [阿波の虫編集部(武内恵行) , 1960. 第15,16回科学作品展の昆虫. 阿波の虫,3(1) : 21-22.]

(1960年1月24日に徳島県科学博物館で開催された科学作品展で,注目すべき昆虫のデ−タを一部記したもの.この個体の採集デ−タは示されていない.標本は博物館に寄贈されたものであると書かれているが,当館に移された旧館からの標本中には見あたらず詳細デ−タの確認は不可能)

 

(32)1♂,名西郡神山町神山森林公園の進入路の途中,21. vi. 1998,高橋賢二採集. [大原賢二 , 1998. ヒラズゲンセイの1998年における徳島県内の記録. 徳島昆虫, (10) : 2.](徳島昆虫のデ−タの欄では採集者名が高橋賢次となっているが,高橋賢二が正しい)

 

(33)1♂,勝浦郡生比奈村大字星谷(現: 勝浦郡勝浦町星谷),22. vi. 1952,生比奈小学校6年田中勧採集. [武内恵行 , 1954. 徳島県産ヒラズゲンセイ 第2報. 阿波の虫,1(1): 13-15.] (平井雅男(1954)が,げんせい,3(1/2): 3に,平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 5. に再録)

 

(34)1♀,勝浦郡生比奈村,6. vii. 1954,川口佳伶採集. [平井雅男・武内恵行 , 1954. 徳島県産トサヒラヅゲンセイの採集記録. げんせい,3(1/2) : 5.]

 

(35)1♀,勝浦郡生比奈村(現: 勝浦町大字中角字豊田),10. vi. 1948,生比奈小学校6年生の児童採集. [武内恵行 , 1954. 徳島県産ヒラズゲンセイ 第2報. 阿波の虫,1(1): 13-15.] (平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 3. に再録)

 

(36)1♂,勝浦郡生比奈村(現: 勝浦町大字中角字豊田),28. vi. 1953,生比奈小学校教諭斎藤重子・生比奈中学1年斎藤勲採集. [武内恵行 , 1954. 徳島県産ヒラズゲンセイ 第2報. 阿波の虫,1(1): 13-15.](平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 5. に再録)

 

(37)1♀(死体拾得),勝浦郡生比奈村(現: 勝浦町大字中角字豊田),15. vii. 1953,生比奈小学校6年 中川新次採集. [武内恵行 , 1954. 徳島県産ヒラズゲンセイ 第2報. 阿波の虫,1(1): 13-15.] (平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 5. に再録.

 

(38)1♀,勝浦郡横瀬町(現: 勝浦町大字三渓字上川原),14. vi. 1954,山口義和採集. [平井雅男・武内恵行 , 1954. 徳島県産トサヒラヅゲンセイの採集記録. げんせい,3(1/2) : 5.] (敏鎌謙次氏からの報告であるとしている)

 

(39)1♂,勝浦郡高鉾村(現: 勝浦郡上勝町傍示字下地),1953年の夏休み期間中,傍示小学校児童採集(現在はこの小学校は休校). [武内恵行 , 1954. 徳島県産ヒラズゲンセイ第2報. 阿波の虫,1(1): 13-15.] (平井・武内(1954)が,げんせい,3(1/2): 5.に再録)

 

(40)1♀,那賀郡加茂谷村(現: 阿南市加茂町),13. vi. 1954,岡田裕子採集. [平井雅男・篠原正義 , 1954. トサヒラヅゲンセイの産卵・孵化及び成虫の生存期間. げんせい,3(1/2) : 4.] (これにすべてのデ−タが出てくるが,著者らは文章なので記録と見なしていないのか,次の5ページの平井・武内の報文であらためて報告している.また,平井・篠原 (1955)が新昆虫に書いたものも内容は,げんせい,3(1/2) : 4に書かれたものとほぼ同じである.)

 

 分布図からも分かるように,徳島県内のヒラズゲンセイの記録は,現時点ではそのほとんどが平地に限られており,山地の記録はない.クマバチの分布を考えるともう少し標高の高いところにも生息しているのではないかと思われるが,体系だった調査を行えていないためにまだ本種の分布に関する情報は極めて少ないといえる.

 これまでは徳島市を中心に,小松島市や勝浦町などに記録が多かったが,最近の記録では鳴門市や海南町でも得られたことから,県内の平野部を中心に広範囲に分布していることが予想される.県内の一番西の記録は山川町であるが,これより西側に生息しているかどうかも調査を急がねばならない.

 また,初めにも書いたが,本種は一般にはそれほど知られている昆虫ではないために記録が少ない可能性も高く,情報の収集のために一般への広報をもっと広く行い,情報が博物館に集積できるようにすべきであると考えている.

 

 文末になったが,本種の記録に関して,日頃いろいろとご教示下さり,生活史や分布に関して貴重な情報をお寄せ下さった高知市の吉松靖峯氏に厚くお礼申し上げる.また県内の本種に関して,貴重な標本や情報をご提供下さった徳島市の杉本博氏,賀好光男氏,島幹雄氏,国府町の佐藤勇氏,国府町南井上小学校の原伸男先生,福山貴浩君,海南町の入口良輔氏,海南町立図書館の斉藤正氏,山川町の西久穂氏,および当館の魚島純一氏に心からお礼申し上げる.

 

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