◎2007年度 柿谷・福万谷〜信仰の道をたどる〜
日 時:2007年11月18日(日) 9:00〜12:30
場 所:徳島市八万町 文化の森総合公園〜柿谷六地蔵さん〜柿谷の山ノ神さん(水神さん)〜柿谷地神社〜峠の地蔵さん〜清涼寺〜黒岩神社入り口〜一王寺神社〜福万谷の地神社・山の神さん〜古戦場跡〜慈眼庵(ゆうがさん)〜文化の森総合公園
<この日歩いたコースのポイント> ※リンクをクリックするとさらに詳しいページに飛びます。
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文化の森から歩いて柿谷へ向かいます。新しい住宅が立ち並んでいますが、谷の斜面に沿う細道に往古が偲ばれます。 しばらく行くと墓地があり、六地蔵が並んでいます。一番端の像には「享保六辛丑年(1721)」「七月廿四日講中」の記銘があります。 |
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『八万村史』に柿谷と福万谷の間に樵谷という谷があり、その東には一ノ宮城主、一宮成助を祀る事勝(ことかつ)祠、西には弟成長を祀る中山祠が存在するとの記述がありました。中山家でご自分の持ち山に祠をお祀りされているとのことで、お尋ねしましたところ、武将の祠かどうかはよくわからない、毎月一日にはご当主がお参りをしている、とのお話でした。昔は大きな松の木が目印になっていたそうです。 ご当主に案内をしていただきました祠は、高さ1m位の豊島石で、屋根は権現造りのような形をしており、中央に菊の紋の上半分のような紋が彫ってありました。『八万村史』記載の中山祠ではないかと思われます。 |
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住宅街を抜けて柿谷の奥へ向かいます。深い水路、田圃を見下ろしながらの少し不思議な道です。 坂を登りきった左側に墓地用の駐車場があり、やや上の竹林のなかに山ノ神様の祠があります。小さな鳥居もあり、柿谷の人々の山ノ神様に寄せる信仰の篤さが感じられます。『八万村史』によりますと、正月・五月・九月の26日を山ノ神様の祭りとすることが多いようです。 |
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柿谷の墓地横の道をさらに登りますと、右側に溜池が見えてきます。溜池の奥、北側に水神様が祀られていたとのことですが、洪水で流されてしまったそうです。池の辺から北側を良く見ますと、祠の台座らしき石積みがあるようにも見えます。 なお、南側にはお不動さんらしき石仏がありました。北側に水神様、南にお不動様ということで溜池を守っていただいているのでしょうか。 |
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地元の方に案内をしていただき、草の生い茂る細道からさらに奥へ、つるつる滑る濡れた岩場を登りますと、沢の大きな岩の上に祠がありました。こちらも水神様ということでした。 このように水神様、お不動様を祀っていたということは、この辺りには水害に悩まされた歴史があったと思われます。 |
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堤防の道を下り、山沿いの道を行くと福万谷へ向かう峠に出ます。右側に立派な石積みの境内を持つ地神塔があります。心石の高さ55㎝という八万町でもなかなか大きな塔です。 |
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「法界萬霊 施主 久米右エ門 利左エ門 六蔵」「柿谷講中」「寛政十一未歳十一月廿四日」の記銘があります。1799年11月24日に柿谷の久米右エ門 利左エ門 六蔵さんをはじめ、柿谷の人たちによって建てられたことがわかります。またお堂の中には、右の方に一石五輪塔、左に「馬頭観世音」「おくめ童女」と彫った石塔があります。 |
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峠を抜けて少し北へ向かうと清涼寺に辿り着きます。日蓮宗のお寺で、かつては桜の名所であったそうですが、今は枯れてしまったそうです。堂内には鬼子母神、經王菩薩がまつられています。 現在八月の第一日曜日に施餓鬼供養が行われています。祈祷寺としてよく知られているそうです。 |
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民家を通り抜けるようにして黒岩神社の入り口に向かいます。黒岩さんの祭神は大山祇命で、山ノ神様です。頂上からは八万の町並みを一望することが出来るとのことです。入り口から神社まで、40分ほどかかるそうです。 |
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八万町には四つの王子神社があると『八万村史』にありました。三番目は向寺山の王子神社、四番目は長谷の四王子神社、ということです。それでは、一番目と二番目はということなのですが、一番目は福万谷、二番目は柿谷にあると書かれていました。一番目の王子神社が、黒岩神社入り口付近にあるということを聞き、竹薮の中でこちらの祠を見つけました。 では、最後に残った柿谷の二王子神社は、ということでさらに調査を進めておりましたところ、文化年間に書かれた地図に、ニ王子神社の名前を見つけることができました。場所は柿谷の地神塔のあるあたりです。また、個人のお宅に祀られていたオフナタサンですが、これもその地図に「舟戸社」と明記されており、古くからオフナタサンとして祀られていたこともわかりましたので、ご報告させていただきます。 |
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黒岩神社入り口前の細道を竹薮の方へ向かうと庚申塔があります。 |
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のどかな田園風景を眺めながら福万谷へ向かいます。しばらく行くと山沿いに地神塔が見えてきます。ここも、柿谷とよく似た形状を持つ地神塔です。境内の横の細い山道を少し登りますと山ノ神様の祠に出ます。 |
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現ご当主で十五代という旧家の山口家。祠は「中山さん」と呼ばれており、祭礼用の藍染の幟には「明治四十三年 山口姓 中山神社 十一月七日」とありました。名称の由来については山の名称が中山だからとのことでした。 言い伝えでは、山口家の何代か前のご先祖様が、当地で大きな石の下から鎧兜、銅鏡を発見したそうで、驚いてこれを家に持ち帰り、大切に床の間に飾っておいたところ、お腹が痛くなってきた、これはいけないということで急いでもとの場所に鎧兜を返し、そばにあった松の木の枝に鏡をかけたそうです。その後鎧や鏡は盗掘されてしまいましたが、山口家では大切にお祀りをされているそうです。 『八万村史』の事勝祠との関係をお聞きしましたところ、ご当主のご母堂様が中山さんのことを昔は「事勝さん(ことかつさん)」と呼んでいた、と教えてくださいました。 祠のある山の周辺は古戦場であったと思われます。『八万村史』にも一宮城主成助、弟成長、家臣悉く討ち死にをしたとあります。村史の書かれた昭和10年頃は山麓に刀剣、遺骨を発掘することがあったようです。また、戦いが激しかったことを物語る「血凝谷(ちころだに)」という通称もあったそうです。 ご当主に案内をしていただいた祠は1m弱の石積みの基壇の上に大きな青石の一枚石、その上に石の祠が祀られていました。下福万の町並みを一望する見晴らしの良い場所です。 |
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曹洞宗のお寺、慈眼庵ですが、ここは「ゆうがさん」としてよく知られています。ご本尊が瑜伽(ゆか)菩薩であることから親しみを込めてそう呼ばれています。火盗、盗難などの厄災にご利益があるそうです。『八万村史』によりますと「一説には竹林院の鉄崖が宝暦五年(1755年)岡山県にある由加大権現より勧請した」とあります。 今は丈六寺の末寺ということですが、丈六寺のお話では、幕末1824年二十三世百川和尚の時代に10両で購入したそうです。当初は徳島城下へ行く際の休憩所の役目をしていたとのことでした。 現在、月祭りといって毎月23日に丈六寺のご住職による読経、正月、五月、九月には大般若経会の読経が行われています。 お堂は丈六寺の出資により平成十七年に改築されました。 |
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ここには切支丹灯籠の一部が残っています。切支丹灯籠とは、桃山時代の大名で利休の高弟でもあった古田織部(1543〜1615)の考案したものです。 灯籠は竿の部分のみで、高さは96cmほどです。上部に十字架ともとれるふくらみがあり、そこに何か書かれていますが、残念ながら読み取ることが出来ません。下方には着物かあるいはガウンを着たような細面の像らしきものが刻まれています。これがキリストかマリアの像ではないか、隠れキリシタンが密かに拝んでいるのではないか、などともいわれているようですが、よくは分からないそうです。『八万村史』にも「青面金剛(切支丹灯籠)」となっていますように、ここでは庚申さんとしてまつられているようです。 「地神」の石塔は寺の土地を守ってくれる神様として祀っているそうです。 |