魚島純一(うおしま じゅんいち)
東京オリンピックの年に、大阪府に生まれる。
こどものころから、滝ともみじとおサルで有名な大阪府の北端に近い小さな町、箕面(みのお)市に育ち、多くの自然に慣れ親しんだ。そのせいか、今でも昆虫をはじめ、自然は大好きで、徳島にはすっかり馴染んでしまった。家が農家であったこともあり、年齢のわりには古い道具などを使った経験も多く、民俗担当学芸員から「生きる民俗資料」などとも言われたりするが、ようするに「田舎もん」である。しかし、大阪万博の会場が近かったことが、今から考えると人生に大きな影響を与えているのかも知れないと感じる。
趣味は多く、子供のころから機械系のモノをいじったりすることが好きだったため、アマチュア無線を筆頭に、大人になってもラジコンいじりなどをしている。一方、これまたこどものころから、なぜか空を飛ぶモノが好きだったようで、今でも凧揚げや模型飛行機、ブーメランなどには異常なほど興味をしめす。こどもと遊ぶのをダシにして、凧揚げに夢中になったり、出張で飛行機に乗れるときなどは、実は内心遠足に行くときのこどものようにワクワクする。また、昆虫好きがこうじて、わが家はクワガタムシだらけでもある。
一時は、卵形のチョコレートの中に入っている動物のミニチュア模型のコレクションにもはまってしまい、家中、動物だらけにしてしまった。
また近頃は、歳のせいか、昔を懐かしむようになり、生来のコレクション癖(男の子は本能的にコレクション癖があるらしい)も手伝って、生まれ育った時代のモノも集めるようになってしまった。運転免許を取ったころから思い続けてきた“こどものころにはじめて乗せてもらったクルマ”まで手に入れてしまったほどである。
小学生のころ、父親に連れられてよく奈良・飛鳥の地に行った。ちょうど高松塚古墳の壁画が発見されたころでもあり、ごくあたり前のように、考古学に興味を持ち、大学に進んだ。そこで、文化財を保存するための学問「保存科学」と出逢い、小さいころからの機械好きなども手伝ったのか、この道を選ぶこととなった。といっても、なかなか職はなく、大阪をはじめ千葉や奈良でアルバイトをさせてもらいながら勉強した日々もあったが、運良く徳島県立博物館の学芸員となることができ、現在にいたる。
徳島県立博物館では、おもに博物館での温度や湿度、害虫対策などの環境管理を担当している。ひょんなきっかけで低酸素濃度による害虫処理に取り組んだことから、すっかりそればっかりやっているように誤解されているようだが、実は違う。赤色顔料をはじめとした考古資料の非破壊分析調査などもする一方で、大きなテーマとして「古代技術の解明」ができればと考え、特に弥生時代のなぞの遺物とも言われる「銅鐸」などの調査に取り組んでいる。