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磯本 宏紀 |
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写真群との出遭い 出羽島の民俗について調査する中で、出羽島のあるお宅に保管されていた大量の写真アルバムを見る機会に恵まれました。それらの写真は、大正期から昭和40年頃の間に撮られたものなのですが、その多くが、その時代、出羽島で暮らした人によって撮影されたものでした。昭和30年頃の秋祭りのシーン、鰯の大群が港の中まで迷い込んできたときの写真、島中総出の運動会のひとコマなどがあります。 保管されていた出羽島の写真 今でこそ多くの人がカメラをもち、生活のさまざまな場面で写真撮影をしています。ところが、昭和30年頃には出羽島でカメラをもって写真撮影をしていたのは2人だけだと聞きます。写された写真1枚1枚が数少ない画像情報というわけです。その撮影者のうちのひとりは、現在は牟岐町に住んでいます。そして、数百枚の紙焼き写真と、数千枚にも及ぶであろう、膨大な数の各種ネガフィルムが保管されていました。さっそくそれらを借用し、目録を作成し、デジタルデータとして保管しています。そうした作業の中で気付いたのは、日常的なもの、当たり前に存在するものにはなかなかレンズを向けないということです。写真の多くは家族で出かけたときのものだったり、学校の運動会、卒業式、遠足、駅伝大会、秋祭り、それから、婚礼や法事のものだったり、特別な日の写真が圧倒的多数を占めるわけです。しかし、撮影者が意図したかどうかわかりませんが、そこに写り込んでいる背景、服装、しぐさなど興味深いものもたくさんあります。現在、その写真を見た私たちには鮮烈な印象を与えます。 たとえば出羽島港を写した景観記録として たとえば、昭和30年頃に撮られた図1では、2本の幟が立てられ、出羽神社前を移動する神輿の周囲のにぎわい、正装した人々の服装、現在ではコンクリート堤防に変わった石積みなどを確認することができます。図2は図1とほぼ同時期に撮影された写真ですが、神社付近を側面から岸壁に沿って撮影したもので、子供たちが水遊びをする姿を見ることができます。 特別な写真を飾っておくこと 写真は単なる画像の記録媒体になっているだけではなく、そこに写る人物の肖像が意味をもつという別の側面にも触れておきます。仏壇のある家では亡くなった人の遺影をおいていますし、多くの人が目にする場所で政治的、宗教的指導者などの写真が飾られることもあります。また、写真の所有者によって多数ある写真の中から特定の写真が選択され、特別に保管され、飾られるということがあります。 写真資料としての活用 さて、改めて書くまでもないのですが、博物館の展示には、たいていの場合何らかの写真が付されますし、そのほか資料の整理、管理用のために撮られる写真もたくさんあります。ただ、今回の写真群は、1点1点は個別の写真資料という性格をもつと同時に、ある特定の個人が数十年にわたって撮影した写真であり、全体での撮影傾向を知る資料にもなります。何をどれくらい記録しようとしたのか、大量に撮影された写真からどれを選び出して紙焼きしたのか、撮られた写真がどのように扱われたのかも注目したいことです。今回の写真群から、特定の撮影者の視点を検討する「個人写真誌」、出羽島の民俗全般を写真で綴る「写真民俗誌」としての整理が可能かもしれません。 |
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図1出羽神社前の秋祭り(昭和30年頃) |
図2 水遊びをする子供たち |
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図3 出羽神社付近(平成17年2月) |
図4 神社前の家と岸壁 (平成17年2月) |
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図5 港付近鳥瞰(昭和30年頃) |
図6 港付近鳥瞰(平成17年2月) |
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図7 写真を飾る一例(平成17年度2月) |