1.小正月の火祭り
1月7日から15日頃にかけて、正月行事の1つとして各地で火祭りが行われます。竹や木を組み、羊歯などを巻き付けてつくり、それに正月の注連飾りや札、達磨などを入れて焼きます。子どもが取り仕切ることも多く、各地区の広場や村境、浜に集まって行われます。数ある正月の火祭りの中には、国の重要無形民俗文化財の指定を受けているものもあります。
徳島県内の海部地方では、現在も大きな火祭りを見ることができます。全国的にみるとトンド、サギチョウ、ドウソジン、サンクロウなど様々な呼称がありますが、海部地方では概ねサギチョウとかサギッチョと呼ばれることが多いようです。そして、火祭りのことだけでなく、火祭りで燃やされる竹組もサギッチョとかヤマなどと呼ばれています。ここでは煩雑になるのを避けるため、小正月の火祭りのことをサギッチョ、焼かれる竹組の構造物そのものをヤマと呼び、その形態と背景について検討してみることにします。
2.ヤマの特徴
毎年つくられるヤマは、燃やされて跡形もなくなるのですが、そのつくり方、形、つくられる場所など少しずつ地区によって異なっています。川部計美氏は「海陽町久保地区の左義長」の中で、サギッチョについて実際に体験したときの思い出を絡めながら紹介しています。久保地区では、大小2つのヤマをつくります。大の方が玄関、神棚、荒神などの注連飾り、船に付ける松飾りなどの正月飾りを一緒に焼き、小の方が便所につけた注連飾りを焼くという風に区別してつくられるそうです。それから、ヤマには上に赤色、下に白色の三角形の短冊が付けられています。地区によっては長方形のものを使うこともあるのですが、紅白の短冊ということで、着目してみたいと思います(図1、2)。
大小2つのヤマの内、小さい方のヤマがケガレたイメージのある便所のお飾りを燃やす方なので、ケガレのサギッチョとして、そのほかの場所に飾る正月飾りをハレの飾りと考えると、ハレとケガレという概念で説明できます。「小」の方が「便所のヤマ(サギッチョ)」といわれることもあります。一方、「小」の方を子どもが所管するヤマとする伝承もあります。
3.2つのヤマをつくること
なぜ明確に区別して2種類のヤマをつくっているのか、はっきりしたことはわかりません。柳田(1990)所収の『神樹篇』の中で、「硫黄島七月十五日の柱松に、大小二本の柱松明を立てて点火の遅速を争い、かつ小さい方をもって子供仲間の所務とする風習」など2つの神樹をたてる習俗が紹介されています。盆の火祭りの事例ですが、子どもが扱うヤマという点では、先の久保地区の伝承と一致します。そして、火をつける順もその年の恵方に向かってつくられた「大」の方から点火することになっています。2つのヤマへの点火の遅速から、その年の吉凶を占う性格を行事での決まり事として残しているのかもしれません。
久保地区の近隣、宍喰浦(浜)、西南地区、西北地区など、海陽町内でも同様に大小2つのヤマがつくられています。ただし、同じく近隣の竹ヶ島ではヤマは1つだけしかつくられませんし、この地域の特徴をどうみるべきなのか、さらに検討の余地を残しています。
4.ムラとイエの正月飾り
ヤマを2つ作ること、紅白で三角形の短冊をつけることの2つの特徴についてもう少し見てみましょう。海陽町の隣の牟岐町でも、1つのヤマに不規則に長方形の白色の短冊がつけられています。旧海南町や高知県東洋町甲浦のヤマでも、1つのヤマに紅白の短冊がつけられ、少しずつ様子は違いますが、短冊を付ける事例がほかにもあります(岡田、2002)。1つのヤマに紅白の短冊をつけられ、短冊は形や付け方は違うものの、同様の事例を海部地方で確認できます。
ところで、海陽町竹ヶ島では、各家の正月飾りとして、紅白の短冊をつけた竹を戸口に立てています。これらを注連飾りと一緒に持ち寄り、サギッチョのときに焼きます。ほかの注連飾りと同様に、イエ(以下概念として区別するため片仮名で記します)としてつけていた飾りを、ムラで持ち寄って焼きます。
ムラでつくったヤマを、戦前にはよそのムラの若衆や子どもがやってきて壊し、火をつけるということもあったようです。一見すると若者同士、子ども同士の喧嘩なのですが、相互のムラの対抗関係、ムラ同士の戦いの要素を残存させた事象ともいえます。サギッチョのときの火で餅を焼いて食べ、橙を焼いて煎じて呑むと風邪をひかない、病気をしないとされます。紅白の短冊の燃え残りを持ち帰り、各家の神棚や荒神に供えたり、燃え残った竹を使って家の雨樋にしたりしていました。イエからムラに持ち寄り、燃え残りを再びイエに持ち帰ります。サギッチョを介して、イエを結びつけ、ムラとして結集させていた役割を、この小正月の火祭りに見ることができます。
こう考えると、竹ヶ島の事例が興味深く思われます。各家の玄関に、竹に紅白の短冊をつけた飾りをおき、竹ヶ島全体で1つのヤマが浜につくられます(図3、4)。周辺地域ではほかに見られない事例です。各地区で2つのヤマをつくっていることと何か関係があるかもしれません。いずれにしても、この問題についてはもう少し掘り下げて考えてみる必要があると思っています。(民俗担当)
《参考文献》
岡田一郎 2002 「海部の火祭り−左義長について−」海南町文化のまちづくり実行委員会編『伝統行事・年中行事を「伝える」シンポジウム−今なぜ伝統芸能や年中行事の見直しが必要か−』同会
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図1 久保地区の2つのヤマ(2007.1.14) |
図2 西南地区の2つのヤマ(2007.1.14) |
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図3 竹ヶ島のヤマ(2007.1.14) |
図4 竹ヶ島・家の前の飾り |
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