徳島県立博物館での部落史展示の試み
−企画展「人間に光あれ−被差別部落に生きた人びと−」覚書−

はじめに
 1994年4月26日から5月29日までの間、徳島県立博物館では、「人間に光あれ−被差別部落に生きた人びと−」と題する企画展を開催した。
 この企画展は、生活文化を中心に被差別部落の歴史を紹介することで、県民各層に部落問題への認識を深めていただこうと、開催したものである。タイトルは、水平社宣言の有名な締めくくりの文言から採った。私どもとしては、初めて被差別部落に関わる問題を展示の対象として取り組んだ試みであった。
 以下では、企画展の開催までの経緯や、展示の内容、入館者の反応などについて、まとめて記しておきたいと思う。

徳島県立博物館とその展示
 徳島県立博物館(以下では当館と表記する)は、90年11月にオープンした徳島県文化の森総合公園(都市公園内に図書館などの五つの文化施設が配置されている)内にある。人文(考古、歴史、民俗、美術工芸)と自然(動物、植物、地学)の七分野をカバーする総合博物館で、徳島県を中心とする諸地域の自然、歴史や文化を扱っている。対象分野が広範囲であることと、文化の森総合公園自体が観光地的な性格の強いものであることなどにより、来館者の関心は多様である。
 ところで、開館以来、当館では常設展・企画展として展示を行ってきているが、被差別部落に関わる問題をきちんと取り上げたことはなかった。
 ただ、常設展のうちの総合展示「徳島の自然と歴史」において、直接・間接に関係事項が次のような形で取り上げられてはいる。まず、近世史コーナー「藩政のもとで」のうちの「藩のしくみ」で、検地や棟付改など、徳島藩による民衆支配体制について取り上げている。また、「近代の徳島」においては、年表の項目として徳島での水平社の発足を記している。いずれも、具体的な展示として差別の歴史的展開、被差別民衆の存在に触れたものではなく、年表における「水平社」などは、予備知識がなければ、全く理解できないものになっている。
 常設展がそのようなものになったのは、意識的に被差別部落の問題を避けた結果ではない。開館準備段階で、部落史を常設展に組み込む方向が検討され、他県の博物館における状況が調査された経緯がある。
 しかし、最終的には見送られ、開館後に企画展として、部落史を主題とする展示を行うことが方針とされたのである。

準備経過を振り返る
 企画展の開催準備が具体化し始めたのは、90年の開館前後の頃だった。
 だが、差別が人間の精神に関する問題であるとともに、今もなお差別に苦しむ人々がいるという現実を考えたとき、通常の展示に取り組むのとは違った壁を感じないではいられなかった。なぜなら、展示という歴史叙述は「もの」を主体に構成されるものであるが、いかにして「もの」から差別を語るかという展示技術的な問題や、単純な歴史的過去としてくくりきれない、まさに現代的な社会問題としての部落問題の深刻さを感じたからである。
 また、展示によって、かえって差別をばらまくことになりはしないかという危惧の念もあった。当館が総合博物館であるということや、複数の施設が集中しているという立地条件を考えると、企画展を開催しても、それについての認識を抱かずに来館・入場する人たちが多いことが予想され、意図どおりに展示が理解されるのかどうか心許なく思えてならなかったのである。
 さらに、部落問題以外の種々の人権問題(在日韓国・朝鮮人問題、アイヌ民族問題、女性問題、「障害者」問題など)への視点をどのように位置づけるのかということも検討すべき課題だった。
 正直なところ、何から手をつけてよいのか分からないという状態が続いた。開館準備中に成された検討経過については、私も含めて知らない者が大半であり、全くの白紙状態から考え始めたといってよい状況だったのである。そうした中で、大阪人権歴史資料館を見学したり、部落史についての学習会を行ったりすることで、人文系学芸スタッフを中心とする職員間の認識の一致をはかろうとした。
 折に触れて討議を繰り返した結果、91年度にかけて次のような方向性が了解されるようになった。第一に、企画展は博物館の学芸業務の中で構想されるものであるから、博物館としての特性を活かし、歴史学・民俗学的な研究の成果を踏まえ、資料=「もの」を主体に、歴史的事実を提示するものでなければならない。第二に、常設展で部落史を取り上げていない関係上、近世・近代の部落史の流れを示すようにする。とくに、被差別部落の生業や文化に重点をおき、社会のなかで人びとがはたしてきた積極的な役割を明らかにする。
 ところで、企画展の準備の主要な段階は、部落史研究や解放運動・啓発活動などに携わる人たちと組織的な協力関係を持ちながら進められた。91年度には準備検討会という予備的な意見交換の場をもち、92年度から開催に至るまでは、社会教育関係者や県外の専門家の参画も得た運営委員会を設置し、具体的な展示内容についての検討や解説の監修を、専門的な立場からお願いした。
 部落史の展示が私どもにとって初めてのことであるとともに、現代に生きる人びとに直接関わる深刻な問題であるがゆえに、準備には、通常の企画展とは違った慎重さが必要であった。また、博物館サイドからのひとりよがりな内容になることも、避けなければならなかった。そのようなことから、委員会のような組織をつくることは欠かせないものであったし、館外からの声を受けながら作業を進めることができたのは有意義なものであったと思う。
 資料の調査・収集活動を進めるに当たっても、外部からの援助が不可欠だった。財団法人徳島県同和対策推進会事務局などのご協力により、県下各地の被差別部落を訪ね、地域の生活史の聞き取り、資料の所在の確認、可能な限りの資料収集といった作業を円滑に進めることができた。その過程で知り合った多くの方々が企画展の開催に至るまでの間、快くご協力くださったことも明記しておきたい。
 一方、準備活動の中で何かと考えることも多かった。調査に出向いた先で、なぜ、苦しみに満ちた過去を蒸し返し、衆目にさらさなければならないのかなどという問いが向けられることもあり、企画展の計画の根本的な部分−なぜ、被差別部落をめぐる問題を展示するのか−に何度となく思いをめぐらし続けた。さらに、地域の人びとの話に耳を傾けながら、私の持つ被差別部落とその歴史に対するイメージがいかに現実と結ばれていなかったか、また、被差別の立場に置かれた人びとの歩みがいかに重いものであったか、思い知らされた。企画展を終えた今、準備に携わった期間を振り返り、多くのことを学ぶことのできた機会でもあったと、つくづく感じている。

展示の内容など
 展示の内容は、調査・収集の成果や委員会での議論を踏まえて、固められていった。
 当初、部落史の諸問題(被差別部落成立の前提としての中世の被差別民、近世身分制と差別、近代の差別の実態と解放運動、被差別部落の生業・信仰・祭礼・芸能など)について、均等なウェイトをおいて扱う予定でいたが、焦点が定まらなくなってしまうなど、問題が多かった。
 最終的には、通史的な展示をできるだけ圧縮し、生業と芸能に重点を置いて再編成し、可能な限り、被差別部落に生きた人びとの力強さ、社会における役割の正当な評価を導き出すということで落ちついた。
 さて、展示内容の紹介に入ることにしよう。展示テーマは、大きく四つから構成した。順に概略を見ておきたい。

 (1) 被差別部落とは何か?…全体の導入として、近世・近代の部落史を通観することを目的とした。「被差別部落のはじまり」、「近代社会と被差別部落」の二コーナーから構成した。前者では、検地や棟付改などの近世の民衆支配制度における被差別民に対する扱い、一八世紀頃から強化される制度的差別のありさまなどを示した。後者では、近世末から近代初頭の社会変動、「解放令」の発布、改善・融和運動や水平社運動の概略を示した。
 いずれのコーナーも、詳細に歴史をたどることを目的としたものではなく、重要なトピックスを断片的に拾い、資料(主として古文書などの歴史資料)によって示すものだったため、部落史の流れについての知識がなければ、理解しにくいものになってしまった嫌いがある。

 (2)社会を支えた仕事−差別のもとで−…主として近代に、被差別部落の人びとが携わってきた各種の仕事を通じて、人びとが社会の中で果たしてきた役割を紹介しようとした。
 簡単に仕事といっても、その実態は多種多様なので、まとまった資料が確保できたものを中心とし、五つのコーナーを設けた。「野に働く」で農業、「山と川に生きる」で林業、河川運搬業、「鮎喰川追分−馬子のあゆんだ道−」で陸上運搬業、「建築工事を支える」で地つき(建築物の基礎固め作業)、「くらしのなかの技術と誇り」で太鼓作りや蓑作り、履き物作りなどの手工業を、それぞれ取り上げた。展示資料は、関係する道具や製品などの民俗資料であった。
 被差別部落の仕事というと、短絡的に皮革関係の仕事だけがイメージされることが多いが、これは必ずしも、実態に沿った見方ではない。例えば、20世紀初頭の徳島県の統計では、農業や日雇い稼ぎが主流であったし、私が訪ねた先で聞くことのできた話も多くの場合、農業や賃稼ぎについてであった。
 したがって、この展示では、皮革関係についてのスペースはわずかであり、被差別部落だけに特徴的に見られる生活様式を提示するものではなかった。
 被差別部落の生活の背景に、きびしい差別があったことは理解されなければならないし、解説の中でもそのことを強調した。同時に、生活様式そのものには、被差別部落の内と外の差異がなかったという事実を確認することで、差別の不当性が理解されることを願ったのである。

 (3) 芸能に生きる−人形つかいとその周辺−…かつて徳島県では、三番叟まわしや箱まわしといった、人形操りの門付芸、大道芸がさかんであり、それらを支えてきた人びとの多くは、被差別民だった。ほかにも、万歳や猿まわしなど、民衆生活の中で親しまれてきた門付芸や大道芸には、被差別民が担ったものが多い。
 芸能の中でも、とくに門付芸は、宗教的な意味を持つ祝福芸であり、それに携わる芸能者は、神の言葉を伝える者として歓迎された。
 以上のようなことを念頭に置き、人形つかいを中心とする被差別民芸能者にスポットを当てることで、民衆文化を支えたひとつの力としての被差別民の存在を浮かび上がらせることができると考え、このテーマを設定した。展示資料は、芸能者を描いた絵画、三番叟まわしや箱まわしの道具、古文書などである。
 なお、このテーマは、第2テーマとともに、企画展の中核と位置づけいた。

 (4)人間に光あれ…「戦後の解放運動とその成果」、「差別は今も」、「差別をなくすために」の3コーナーから構成した。展示の締めくくりとして、部落解放に向けての展望を得ようとしたものである。戦後における解放運動の再生、差別落書に見られる現代の差別の状況、学校・地域社会・行政機関等で進められている差別をなくすための様々な取り組みの様子を紹介した。写真や各種の啓発資料をおもな展示資料として活用した。
 以上が展示内容の概略である。展示は、解説パネル、資料、資料解説ラベルや関係する写真を組み合わせる形で構成したが、一部では、視聴覚機器も利用し、「もの」では表現できない伝承文化などを紹介した。第2テーマに関連して、作業歌を中心とする県下の被差別部落の民謡を数曲録音したテープ(徳島県教育委員会文化課による民謡調査記録テープから作成)を常時再生したほか、第2〜4テーマに関連するビデオテープ(財団法人徳島県同和対策推進会が制作した太鼓作りの記録など)も、会場内で再生した。
 また、展示の理解を助けるため、2種類の刊行物を用意した。一つは、解説パネル原稿を集成したパンフレットで、入場者全員に配布した。もう一つは、やや詳細な解説とおもな展示資料の写真を収めた展示解説書で、各地の博物館等に配布したほか、当館の友の会による増刷分を頒布した。
 ところで、会期中に、関連行事を2回開催した。第1回は「芸能から人権を考える」(5月15日)で、第3テーマにちなんだ行事として行った。内容は、村崎修二氏(猿舞座)による猿まわしの公演、山路興造氏(京都市歴史資料館長)の講演「被差別民衆と芸能」であった。第二回は「映画から人権を考える」(5月22日)である。部落問題以外の人権問題についても考える機会を用意したいと思い、在日韓国・朝鮮人問題に関わる作品「潤の街」を上映した。

どのように受けとめられたか
 まず、入場者数等の統計を見ておきたい。 会期中の開館日数は29日あり、入場者数は7,371人だった。千葉県や神奈川県、高知県など、県外からの視察もあったし、学校の遠足やグループでの研修としての見学も多かった。
 観覧料が無料であったため、有料だった従来の企画展と、入場者数を単純に比較するのは適当ではないが、参考までに同時期の企画展入場者数を記してみると、次のとおりである。91年の「開館記念 里帰り文化財名品展」が8,687人、92年の「四国の古墳」が4,703人、93年の「祈り・のろい・はらい」が3,361人である。
 また、他の時期では、人文系企画展の場合、3,000〜4,000人程度となっている。 このように見てみると、かなり地味なテーマだったにもかかわらず、相当数の入場者があったと評価してよいように思う。
 展示会場出口で、感想や意見などを記入してもらうアンケートを行ったので、次に集計結果の一端を紹介してみたい。アンケート用紙は、会場入口で全入場者に渡したが、回収数は975枚(回収率13.2%)だった。
 入場の動機について、選択式で回答を求める設問に対し、「同和問題・人権問題に関心がある」としたものが57.1%で、もっとも多かった。何らかの意味で関心を抱く人たちが見学し、また、アンケートにも積極的に回答するというのは、当然といえなくもない。「無料だったから」と「何となく」が23.9%あり、入場料を無料にしたことが、部落問題にあまり関心を持たない人たちをも吸引する効果を持ったのではないかと思われる。
 展示内容が理解できたかどうかという設問(選択回答)に対しては、「理解できた」と「ほぼ理解できた」があわせて87.5%あるので、大半の入場者が一応、理解できたと認識したようである。だが、年齢別に回答を整理してみると、20歳未満の層では、「理解できなかった」と「あまり理解できなかった」の割合が高くなっていた。これらの回答の占める割合は、全体では8.6%だが、10歳代(207枚[21.2%])の場合では17.4%までが、「理解できなかった」と「あまり理解できなかった」という回答だったのである。展示された歴史・民俗資料が現代的な生活とは一見無縁であり、一定度の知識がないと理解できないものであったことによるものであろう。
 アンケートには、自由に感想を書く欄を設けたが、そこに記された回答からうかがえる入場者の反応を見ていきたい。
 「今まで本や授業で知っていただけだったので、展示されていた古文書などを見て、当然のことだけれど、現実にあったんだなと実感することができた。」、「分かりやすく、詳しくてよかった。自分はまだまだ勉強不足だということを思い知らされた。」、「高校まで同和教育を受けてきましたが、あまり身近に感じられていなかったと思います。今回、企画展を時間をかけて見て、私たちの努力が大切なのだと自覚することができました。」などと、それぞれに学び、考えることがあったとするものが、回答の大半を占めていた。したがって、部落問題への認識を深める機会としたいという目的は、大方達成されたといって差し支えないだろう。
 一方で批判的な意見もあった。回答者が個人的に関心のある事項についての深まりや解説の不足、資料解説ラベルの字の小ささをいうものがあったほか、「地域の人のつらさや悲しみが伝わるような展示を期待していた。きれいに並べられた展示物では訴えられない事柄ではないでしょうか。」などと、表面的で問題の重みが感じられないという感想もあった。さらに、「このような問題は、啓蒙せずにいれば自然に消滅すると思う。」、「イデオロギー的な催しになっている。」というような回答もあった。
 これらの意見には、展示技術的な工夫・配慮の不足、私どもが意図したことの浸透の難しさを感じさせられるものもあり、よい反省材料になったように思う。
 さて、この項の最後に、博物館関係者やマスコミの反応について触れておきたい。後述するが、部落史を正面から扱った展示の例は多くない。それゆえ、博物館関係者からどのような反応があるか興味のあるところであった。だが、大方の関心を引くものではなかったようで、問い合わせ、視察が、あわせて一〇件程度あっただけだった。
 また、当館では企画展開催の際にはマスコミ各社(地元紙や全国紙の支局など)に情報提供をしており、会期が始まると各社の取材があるのが常となっている。今回も通常どおり情報を流したが、地元紙とNHKを除き、ほとんど取材がなかった。なかには、取材はあっても、記事が掲載されなかった新聞もあった。はからずも、マスコミの部落問題に対する認識を垣間見ることができたように思う。

むすび−歩みを続けるために
博物館における部落問題を含む人権問題の展示は、大阪人権歴史資料館に端を発し、国立歴史民俗博物館などでも具体化され、歴史展示の課題として広範に意識されるようになってきたように思う。また、奈良県では、昨年、県立同和問題関係史料センターがオープンしたが、部落問題をテーマにした同様の資料館建設の動きも広がっていると聞く。
 その一方で、県立クラスの博物館において本格的に部落史展示に取り組まれた例はこれまでなく、当館の企画展が初めての試みであったと思われる。「人権博物館」のような看板を掲げていない、一般の博物館で部落問題をはじめとする人権問題に関する歴史が展示の対象となり得ることを改めて提示することができたであろう。こうした動きが広がり、博物館の世界でごく普通に人権について意識されるようになることを願いたい。
 ところで、一般に歴史展示は、具体的な「もの」にテーマが規定され、概念的な事項を説明する手段ではないとされる。当然、差別のような抽象的・精神的問題は、現実性を帯びていることもあり、対象とされないのが大方の常識とされてきた。しかし、「扱えない」テーマという前提に立って忌避するべきではなく、歴史展示の対象として位置づける方向で、差別の問題についての展示方法や問題点などを探ることこそが重要だと思う。
 さて、今後における当館の方向性について述べておきたい。私どもは、今回の取り組みを一過性のものとして終わらせるのではなく、今後も被差別部落に関係する歴史・民俗資料の調査・収集活動を継続していくべきだと考えている。
 また、常設展のうちの部門展示や企画展で、差別の問題に触れていくことも考えていきたい。例えば、酒造や疾病、山岳信仰など、現代人にとっても身近なテーマを取り上げ、それらを歴史的に見たときに浮かび上がる差別やケガレ観念のあり方を明らかにすることで、日常生活の中に差別に関わる問題があることを提示できるだろう。ストレートに部落問題を取り上げることは無論、大切だが、それ以上に、身近なところにある問題を起点にしていく配慮の積み重ねが重要なのではないかと思う。同様のことは、普及活動においても意識していきたいと考えている。
 具体的なことについては、十分検討していかなければならないが、博物館の活動の中から、差別の歴史的性格、現代社会における差別の不当性を提示していく試みを続けていくことが必要であろう。真に人間が光輝ける日のために、歩みを止めてはならないのである。
 企画展の開催にあたり、ご協力くださった多くの方々に改めて深謝の意を表しつつ、ここで筆を置くことにしたい。

 

 

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