10年後の雑想
1989年の年末に縁あって徳島に赴任して以来、10年余りを経た。続いて、勤務先も昨年、開館10周年の節目を迎えた。
徳島へ渡るときに何を考えていたかはあまり記憶にない。ただ、博物館という場所に対するイメージは、展示観覧者としての域を出るものではなかったし、率直に言って、歴史研究を続けられる職場という以上には、積極的な価値を見出していたわけでもなかった。
しかし、その後の経験は「博物館」自体を考えていく必要性を迫るものだった。とくに、部落問題に関する企画展や、常設展リニューアルプランの策定に携わったことは、私自身にとっては大きな転機となった。また、各地で精力的に活動されている同業の方々との邂逅もたいへん刺激的だった。
そうした中でとりわけ気になってきた問題に、博物館の「位置」ということがある。無論、地理的な立地のことではない。博物館がその土地の人たちにとって占める「位置」、行政組織の中での「位置」など、博物館ないしは学芸員の存在意義とは何かと換言できるものでもある。財政事情が危機的な昨今、文化事業が後退するというのはいずこにもある話である。こういう時代だからこそ、博物館とはどのような存在なのかが問題だろう。
さらに加えて、最近の「教育改革」も気にかかる問題である。各種の答申や学習指導要領でも、博物館が学校教育にとって利用価値のあるものと認められたかのようだ。博物館を「教育機関」と措定するなら、それでよかろう。だが、どのような意味での「教育」が博物館の役割なのか。現状でいえば、学校教育の補完的な役割をもって「連携」といい、それが「絶対善」と見なされている。存在意義を認知されようと、博物館の側からの擦り寄りも見られるようである。一方で「生涯学習時代」といわれ、年齢層の広い、多様な利用者のニーズへの対応も教育的機能としては重視される。それらを統合しうる博物館としての理念はどのように見出せるのだろうか。
考えるべきことはこれで尽きるわけではない。鬱屈した気分の中、手探りは続く。次の10年後には果たして何を考えていることになるだろうか。