総合博物館・地域博物館としての徳島県立博物館の方向性
−常設展更新に向けての検討から−

はじめに

1.迷走する博物館論への問い

 近年,数多くの博物館論が公刊され,また,各所で博物館をめぐるシンポジウム・研究会もさかんに開催されてきた.それらは,博物館界内部における自覚的な議論と学界における関心の高揚とがあいまったものと言える.
 1980年代以降の博物館建設ラッシュのなかで,千葉県立中央博物館や滋賀県立琵琶湖博物館などのように,既往の博物館像に再考を求めるような特色をもった博物館が現れたこと(後述する)による刺激は否めないだろうが,学界レベルでは全国各地での博物館の数的な増加ゆえの関心の高揚が専らのところであろう.とりわけ日本史関係では,新設館を中心に若手研究者が学芸員として就職する例が多くなり,その結果,研究者としての学芸員,研究機関としての博物館に視線が向けられ始めた面も多々あるように思う.各地で展開された文書館設立運動との関連で資料保存・活用のあり方へ関心が向き始めたことも関連しているように思われる.結果,もはや枚挙にいとまないと言わざるを得ないほどさまざまな動きが見られる.人文系では歴史学・民俗学関係学会とその機関誌を中心とした議論が活発だし,地理学からも興味深い発言が見られる1).自然史系でも管見の限り,日本古生物学会が行ったシンポジウムなどがある2)
 こうした諸々の博物館論の現状を把握することはけっして容易ではないが,地域博物館論を主軸にした福田(1997)の整理が参考になろう.差し当たり,歴史学・民俗学関係学会における近年の議論に限定して概括すれば,(1)博物館の機能や社会的位置づけ,(2)展示の役割や政治性・思想性に関する問題(主として近代史展示の場合),(3)広義の歴史資料の保存・利用のあり方(文書館なども含む議論),(4)学芸員の処遇や社会的(学界内)ステイタスの問題などが主たる焦点となってはいる.ただし(4)を除けば,特定の問題について学界内部で継続的な検討が行われているわけではなく,個々分散的に現状批判や問題提起が繰り返されているのが現状である.しかも,理念的な議論と,経験に基づく発言が交錯しており,議論のレベルも一様ではない.
 例えば,学芸員と研究という問題一つとっても,大学・研究所に籍を置く研究者の主張とそれ以外の博物館に籍を置く学芸員の感覚とのずれは大きい(岡野,1994).それほどまでに,博物館は多角的な関心を抱かれる対象と言えるのかもしれないが,ここ数年の間,新たな論点が提示されることはほとんどない上,学会レベルでの議論もやや沈静化し,事実上飽和状態に達しているように思える3)
 博物館と一括しても,対象領域,規模,処遇など,どの点をとっても非常に多様である.そのため,一般論としての博物館像を説いたところで実に空しい「非日常的」なものになりかねないという,日比野(1994)の指摘はもっともである.が,だからといって博物館についての一般論,すなわち理念を考えることなしに現実の博物館の行方を見通すことはできない.少なくとも学芸員の立場からいえば,現実に基点を置き,それを客観視しつつ自らの理念型としての博物館像と,現実の博物館のあり方との相互反復的な議論,ないしは思考,実践を繰り返していくことが重要なのである.
 問題は,その動きがけっして強くはないことである.例えば,博物館に関する制度的問題への提起(学芸員養成カリキュラムの改編,博物館法改廃論議の提起,公立博物館の設置及び運営に関する基準の緩和など)に対する博物館関係者からの反応は概して鈍いようであるし,学芸員の待遇問題では比較的熱心だった学会の反応も少ない.実際,目立った言動としては,博物館問題研究会が緊急シンポジウムを開いたことや4),白井(1997)が「現実の問題に対処できない博物館学とはいったい何なのか」と問いを発したことぐらいである.そして,ここにこそ理念なき現実の問題が集約されているように思えるのである.すなわち,現場サイドでどのような博物館を創造するのかという問いかけがないこと自体,学芸員が「専門的職員」としての役割を放棄したものとも言えようし,そこにコミットしない学界の議論とは何であったのか,ということである.近年の博物館論の高揚は,それほどまでに脆弱な根しか持ち合わせていなかったのだろうか.
 本稿での議論は,次に述べるとおり,まさに現実から発する理念の模索と,それを実現するための試みである.博物館論の茫漠たる状況下では,それを試みようとすること自体が非常に重要で,意味を持つ作業であろう.

2.本稿の課題

 徳島県立博物館(以下「当館」とする)は,1959年に開設された徳島県博物館の移転・改組により,1990年4月に設置され,同年11月に一般公開が開始された.人文系(考古[保存科学を含む],歴史,民俗,美術工芸[前近代美術史]),自然史(動物,植物,地学)の7分野を対象領域としている総合博物館である.
 当館では,設置時点より開館10年を目途にした常設展更新を謳っており(徳島県立博物館資料収集展示委員会,1990;徳島県立博物館編,1990),1995年から1997年にかけて,その具体化に向けて検討を続けてきた.残念ながら,予算的措置を得ることができなかったため,開館10年目(2000年)におけるリニューアルオープンは実現不可能となったが,これまでの議論は,開館以来の当館のあり方を点検し,同時に,総合博物館としての当館の将来像を構築するための模索過程にほかならないものであった.その意味では,博物館学的な課題を含んでいたと言ってよい.本稿の主たる目的は,その間,学芸員間で議論してきた諸問題の概略を紹介することである.加えて,筆者らが考えるところの「総合博物館」,「地域博物館」のあるべき姿を明確にしておきたい.
 以下ではまず,議論の基底にあった当館の基本理念と現実のギャップの認識を中心に,展示更新検討の経過を大づかみに紹介する.次いで,展示における理念の意味,総合博物館や地域博物館に期待される方向性について順次述べる.そして,これら諸問題を踏まえつつ現行常設展の問題点や,次期常設展の具体的な構想について論じ,今後,総合博物館・地域博物館としての当館が目指すべき方向性について検討していくことにする.

検討経過の概要

1.なぜ常設展更新だったのか

 前述のとおり,当館では当初より開館10年を目途にした常設展更新を表明していた.1995年に更新に向けての検討を開始したのもそれを念頭に置いてのことだったが,現実には,その他の問題が大きな意味を持っていた.
 まず第一は,現行展示の内容が1984〜1986年度の資料収集展示委員会における検討に基づいたものであり,学問的な水準としては10年ほど前の状態であることである.しかも,当時は学芸員数も少なく,内容の構築にあたって力量不足の面があったことも否めない.そのことは,後述するような近年の自然史博物館の活動目標を想起してみても明らかで,新たな構想の中での内容の再構築が必要となっているのである.第二は,設置以来の調査研究成果の蓄積や企画展の積み重ね,収蔵資料の増加が進んだにもかかわらず,現行のテーマ設定や,それに基づいたスペース配分,また,展示室の構造等の関係上,展示にそれを容易には反映できないという問題があった.そして,第三には,常設展観覧者数の減少である.1991年度の137,117人をピークに,以後は減少し,1994年度以降は5万人台になっており,観覧者の大幅な増加は見られない.その理由は主に常設展が「いつも変わらない」という印象を抱かれているためでもある.実際には小規模な展示替えをしばしば行っているにも関わらず,PR効果は芳しくない.こうした面からも大規模な展示替えによる一新が期待されている.
 以上のような状況のもとで,次期常設展のあり方が模索された.学芸員4名(高島芳弘,佐藤陽一,鎌田磨人,長谷川賢二.1997年には田辺力が加わり5名になる)によるワーキンググループが指針や素案を作成し,それを踏まえて全体での議論を行うという体制を基本とした.

2.経過:1995〜1997年

 常設展とは,博物館の調査研究や資料収集の成果が集約されるものである.そして,それを出発点として次なる調査や資料収集が行われ,その蓄積が次の新たな展示へと反映されていくべきものである.したがって,常設展更新の方向性を議論するためには,調査研究や資料収集のあり方も含めた,当館の活動を総体的に検討し,問題点と課題を明確化する必要があった.ただ展示だけをとりあげて論じるのは妥当ではないのである5)
 ここではまず,当館の理念と現実の照合から,課題を鮮明にしておきたい.当館の基本的な性格は次のようなものである.まず,当館は総合博物館であることを前提にした,4項目の基本理念と,3項目の基本的性格を持っている(博物館基本構想検討委員会,1984).理念の第1項には「郷土に根ざし世界に広がる博物館−徳島の自然,歴史,文化の資料について総合的に展示し,全国的・世界的なかかわりについても理解できる施設」とある.また,基本的性格の第1項に「人文科学(考古,歴史,民俗,美術[近代美術関係を除く]),自然科学(動物,植物,地学)の両者が有機的に結びついた総合博物館」と記されている.このように,当館の活動において,「総合性」や人文系・自然史の「有機的」結合は不可避の課題である.
 しかしながら,現実には,設置以来,これが意識的かつ十分に位置づけられてきたわけではない.1994年に開催された企画展「祖谷−その自然とくらし」(内容は,徳島県立博物館編,1994a を参照)とその準備過程で行われた調査のように,自然史系学芸員と民俗担当学芸員の共同作業として行われた例はあるものの,それはむしろ例外的であったし,内容的にも限定された試みであった6).したがって,事実上,「総合」とは諸分野の雑居状態という意味でしかなかったと思われるのである.
 その他にも,「郷土」から「世界」へという比較の視野も不足しがちであり,地域的な個性を追求する姿勢も不十分であったと思われた.さらに,理念第2項で述べられている,「開かれた博物館−博物館の活動に県民のだれもが参加でき,楽しみながら学び,考え,豊かな知識を高めることのできる施設」(博物館基本構想検討委員会,1984)としての役割を果たしてきたかどうかという観点から,展示と観覧者の接点(体験的要素,友の会との関係,障害者・外国人への対応など)についての現状の把握と反省が必要に思われた.
 そこで,職員を対象とした自由記入式アンケートを実施し,それをもとにした討議を試みた.設問を大まかにまとめると,(1)当館の基本理念(1.郷土に根ざし世界に広がる博物館,2.開かれた博物館,3.研究を大切にする博物館,4.文化財を守り自然の保全をめざす博物館)に関し,現状で活かされていない点,今後具体化を追求すべき点,(2)現在の常設展の問題点,(3)新常設展のコンセプト,(4)検討を進める上で参考になる博物館,の4項目である.回答はやや拡散的ではあったが,概括すると,次のようなものであった.
 (1)基本理念;概して現状との隔たりが指摘された.広範な比較の視野,県民の参加の模索,目的意識・展望をもった研究や,自然史・人文系の相互にまたがる研究姿勢,博物館として可能な形での文化財・自然保護への取り組み(環境展示の導入など)といった諸点の必要性が挙げられた.
 (2)現行常設展;特に総合展示について批判的な意見が多かった.現行の時間軸に沿った流れを主体とした展示(その概要は後述する)を,空間単位で自然と生活を一元的にとらえる方向に改めるべきとの意見が出された.
 (3)次期常設展のコンセプト;現行常設展に対する批判がそのまま適用されるのと同時に,地域性を明確にすべく比較の視点を取り入れること,観覧者に疑問を投げかけるような展示を行うこと等が提起された.
 こうしたアンケートを通して,「総合性」追求の必要性,端的に言うと,自然と人間生活の総合的提示を目指すことが概ね了解された.しかしその後は,全体としての議論が深まることのないまま推移した.このような状況の中で,1996年度当初予算要求において初めて,2000年のリニューアルオープンに向けての事業化を求めたが,財政当局の認可を得ることはできなかった.
 1996年度には,6月以後,討議と視察調査(一部は1995年度末及び1997年度にも行われた.常設展更新実施施設と近年開館した施設を対象とした)を断続的に行いながら,次期常設展の枠組みのより一層の明確化を目指した意見集約を図った.あわせて11〜12月には,友の会会員と観覧者を対象にアンケートを行い,現行常設展の印象・問題点や更新の必要性等について意見を求めた(回答総数441).このアンケートの結果は,全面更新を望む者15%,部分的更新を望む者41%,現状維持で可とする者20%であり,展示の変化が期待されていることがうかがえるものであった.
 さらに,1997年度は,学芸員による会議を頻繁に繰り返し,未収蔵のものも含む具体的な展示資料を念頭に置きながら,展示テーマの設定に取り組み,大まかな展示スペースの配分まで決定するに至った.そして,6月には「徳島県立博物館常設展更新基本計画(案)」が作成され,展示更新の概略が確定された.
 1997・1998年度当初予算要求でも,2000年のリニューアルオープン計画への取り組みを実現するための事業化認知を要望したが,認められることはなく,計画は挫折したままとなっている.
 当館における常設展更新についての,ごくかいつまんだ検討の経過は以上のとおりであるが,この間,私たちが考えてきたことは多岐にわたる.次章以下で特に主要な論点であったものについてまとめておきたい.

展示における理念−「政治性」の自覚

 展示とは,「資料=もの」によって主題を表現する行為であり,一定の意図をもって行われるものである.この場合,注意しておかなければならないのは,展示は「もの」が個々に持つ価値を提示するものではなく,その配置を通してストーリーを展開することである.その点で「陳列」とは一線を画するものと言える.
 したがって,単に「もの」を並べれば展示が成立するのではなく,「もの」の資料性を明らかにすること,すなわち,どのような叙述をするのかという意識,その中で「もの」にどのような役割を演じさせるのかという意図が備わっていなければならないのである. このように,展示の本質には「意図」があるが,ここに展示をめぐるデリケートな問題が生じることになる.一般に公立博物館の場合,末端行政機関であるがゆえに中立性・公平性を求められがちである.県立施設で,県内の地域区分が複雑なところでは,展示で取り上げる内容にも地域バランスが要求されることがあるとも聞く.また,戦争を主題とする展示のように,歴史観や政治的立場により事実認識・評価の一致しない問題を扱う場合には過敏な反応が伴い,館内でもその内容等について軋轢が生じることがある(君塚,1994)し,外部からの中立要求もいっそう強まりがちでもある7).これは何も戦争展示だけの問題ではない.差別問題や社会運動を始めとするイデオロギー的な問題の展示や,社会の暗部への視線が求められる近現代史展示が,これまでの博物館でほとんど行われてこなかったのと事情は通底していると言ってよい(新井,1994;長谷川,1994).
 さらに,富山県立近代美術館において展示された大浦信行の作品「遠近を抱えて」という昭和天皇の肖像写真をあしらったコラージュが,展示終了後の県議会における不快表明をきっかけに非公開となり,やがて売却,掲載図録の焼却に至った事件も類似した性格を持つ.事件の発端となった県議会での発言では,作品や美術館を非難する中で「近代美術館は一一二万県民の美術館であって,一部の文化人や作家グループだけのものではない」とあり(富山県立近代美術館問題を考える会編,1994),中立・公平性の要求が奇妙な意味あいで使われていることに気付く.すなわち,中立・公平を当然のこととしながら,逆に作品の展示や鑑賞,表現する権利を否定しているのであり,結局,「偏向」を要求しているに過ぎないからである.
 このような例を挙げると,展示において要求される「中立」とは,実は一種の「意図」が介在したものにほかならず,政治的性質を帯びる傾向にあることがうかがえるだろう.上述の事例はいささか特殊なものと言えなくはない.しかし,次に見るように,一見すると平凡きわまりない一般的な地域史展示においても,「中立性」は当初から存在してはいないのである.
 多くの公立博物館の常設展示における歴史展示では,通史展示という手法で,その自治体領域を範囲とする歴史・文化を展示している.この点は,当館でも例外ではない.そしてここには二つの問題が指摘できる.
 まず第一は,自治体領域に限定された「地域」に関する展示ということである.現時点での自治体領域が超歴史的に固定的な地域として提示されており,あたかもそれが自明であるかのように提示される特性を持っている.これに関わり,笹原(1992)は,郷土あるいは地域博物館は「行政主導によって設置,運営が行われ,行政的な制度,すなわち行政区画と齟齬をきたさない,しかも住民が容易に受け入れられる一見自然なかたちで「郷土」イメージを作り上げ,それを公開し,住民に学習させることで,住民の郷土意識を醸成しようとしている」と述べ,博物館のもつ政治性を指摘している.
 例えば,当館の場合,置県100年記念として設置されているが,そのこと自体が,設置時点からすでに政治的役割を帯びていることを示すものでもある(福田,1998).同様に,公立博物館とは,設置時点からすでに政治的役割を帯びた施設としてつくられていると考えてよいであろう8).したがって,そこにおける展示とは,意識しようとしまいと政治的プロパガンダたる性格を刻印されている.その中で選択配置された展示資料は,学芸員の意識とは無関係に,その演出装置としての役割も果たすことになる.そして,展示によって,観覧者にとっての地域像は固定されることにもなるのである9)
 この点に関し,福田(1997)は,博物館が国家あるいは地域のアイデンティティ形成・再生産の場として,すぐれて政治的・イデオロギー的な機能をもっていることを論じると同時に,博物館が「もの」を展示するがゆえに,展示の著者や背後にあるイデオロギーは隠蔽され,観覧者は表現の対象を直接体験している錯覚にとらわれるという,興味深い指摘をしている.
 次いで第二の問題は,通史展示という手法に関わるものである.一般的に通史展示の特徴は,コーナー区分の基準として原始・古代,中世,近世,近現代といった時代区分が用いられ,古い時代からより新しい時代へと推移していくこと,内容的には政治・経済・文化等の諸領域に関して広く浅くテーマが設定されていることにある.これは概ね教科書に準拠するかのような展開であり,それゆえに価値中立的であるかのように見える.
 例えば,8世紀における律令体制の成立や12世紀後半の鎌倉幕府の成立,16世紀末における豊臣政権の全国統一のように,権力の動態が全国一律に,かつ社会・文化等あらゆる事象に関して時代の境目をなしているかのように解説されているし,観覧者の多くもそう思いがちである.だが,実際はどうなのか.上の例で挙げたストーリーの根幹をなしているのは,日本政治史における画期であり,地域社会の動態は極力それと整合的に説明される傾向にあると言えよう.そのため,「中世」とは「鎌倉時代,南北朝・室町・戦国時代」であり,「近代」とは「明治時代,大正時代,昭和時代」というように,ある時期の目立った権力の所在や天皇の代替わりを基準にした時代区分の言い換えとしか理解されていないと考えるのが妥当なのである.ここには黒田(1995[1984])が鋭く指摘した,伝統的な「国史」的発想に基づく歴史理解の残影があるともいえる.このように,通史展示の尺度もまた一種の価値観によって規定されており,しかも,それは地域社会の歴史的動態から発したものでもないのである.
 以上のように,しばしば常設展示として見られる地域史展示においても,その起点である館の設置の背景から始まり,さまざまな「政治性」や価値観といった,通常は意識されざる「意図」という衣で覆われていることを確認しておきたい.こうした理解を踏まえた上で,博物館は展示における自らの理念を明確にすることで「政治性」を再編・組織し,同時にそれに対する責任を自覚すべきなのである.
 では,具体的にどのような理念が求められるのであろうか.当館のような公立の総合博物館という条件のもとで,まず,総合博物館に期待される方向性,さらには公立館あるいは地域博物館であるがゆえに重要な問題となる,地域住民との接点について考えていきたい.

総合博物館の課題

1.総合博物館の設置状況

 今日,総合博物館とされる博物館の数はけっして多くはない.文部省(1998)によれば,1996年10月現在で,全国4508館のうち総合博物館は295館(6.5%)に過ぎず,大多数を占めるのは歴史博物館で2604館(57.8%)となっている. 
 また,1997年現在の全国の都道府県立博物館に限って見ると,総合博物館は19館あり,そのうち12館までが1980年以前の設置である.さらに,形式上では総合博物館であっても,岩手県立博物館,福島県立博物館のように学芸員の配置状況からすれば,圧倒的に人文系の比重が高い施設がある一方で,千葉県立中央博物館や滋賀県立琵琶湖博物館のように自然史への傾斜を強めている施設も見られ,人文系・自然史双方の人的バランスのとれている例は多くはない(表1).
 都道府県立博物館の場合,最も一般的な博物館の形態は,人文系(歴史)博物館だけを設置するものである.あるいは,人文系博物館と自然史博物館を個別に設置するものである(例えば,群馬県,茨城県,埼玉県,兵庫県,愛媛県などがそれに該当する).神奈川県立博物館のように,リニューアルの際に総合博物館を解体して人文系の県立歴史博物館と自然史の県立生命の星・地球博物館を新規に設置した例もある.
 このように,総合博物館は今日ではごく少数しかないが,「総合」博物館であるという特徴を活かした活動や展示の,新しい展開の可能性は見出せないのだろうか.ここで注目したいのが,近年の自然史博物館や自然史に比重を置いた総合博物館の動向である.

2.「人と自然」への包括的視座

 過去10年ほどの間に新設された自然史博物館及び自然史に比重を置いた総合博物館には,「人間生活と自然環境の相互関係」に視点を置いた展示を行っている例が目立つ.千葉県立中央博物館(1989年開館)や兵庫県立人と自然の博物館(1992年開館),滋賀県立琵琶湖博物館(1996年開館)などがそうである.
 これまでの伝統的な自然史展示とは生物,岩石,化石などの標本をもって展示が構成されていた.そして,そこで言う「自然」とは,概ね人間とは峻別されたものとして捉えられていた.これに対して,「人間生活と自然環境の相互関係」に視線を向けた展示が登場し始めたのは,今日の環境問題を反映しているからである.「人間と自然との共生」のあり方を提言していくことが,今日の自然史博物館の課題とさえなってきているのである(千地,1994).糸魚川(1993)も,自然環境保護を行うための中心的な機関として自然史博物館を位置づけられると言い,また,未来の自然史博物館像として,「自然と人間の関係」を大テーマにすえるべきことも提言している.
 ところで,「自然と人間の関係」という抽象的な概念をどのように捉えるかについては,エコミュージアムにおける考え方や,近年の環境思想・自然保護思想,さらには景観生態学,環境民俗学などにおける言説が参考になる.ここで,これらの考え方について概観しておきたい.
 エコミュージアムは,フランスで誕生した,現地保存を基本とした野外博物館である.これは「地域及び環境に関する人間の博物館」であり,「ある一定の地域の人々が自らの地域社会を探求し,未来を創造するための統合的な博物館」(丹青総合研究所,1993)とされる10).扱われる資料は,民家などの物質文化資料,慣習や記憶などの無形の伝承,周囲の自然環境などがトータルに含み込まれる.すなわち,エコミュージアムの概念には,地域における「人間」と「もの」と「環境」の関係を総体として理解し,保存し,活用するという思想がある.こうした視点は,上述のような自然史博物館における関心を,地域という土俵の上で,より具体的にかつ包括的に展開していく足がかりとなっていくのではないだろうか.実際,滋賀県立琵琶湖博物館などは,フィールドへの誘いの拠点たる意識を持ち,博物館に対してエコミュージアムに通じる性格づけを行っている(滋賀県立琵琶湖博物館編,1997).
 これに類する視点は,環境思想・自然保護思想の議論にも見られる.まず,環境問題への視点として,佐倉(1992)や鬼頭(1996)が指摘しているように,「自然・文化」「田舎・都市」,「優・劣」といった二項対立的な考え方に押し込められないという発想が見られることが特徴的であろう.環境は客観的なものとして人間の外に存在するものではなく,「人間と外界」双方からなる働きかけの相互作用の産物として我々の眼前に出現すると理解すべきなのである(ベルク,1988).さらに,鬼頭(1996)は,近代以降,社会的・経済的リンクと文化的・宗教的リンクが切断されたような人間と自然との関係性,すなわち人間−自然の対立的図式が一般的になっていることを踏まえ,自然保護の問題を外来の思想や枠組みで解決しようとするのではなく,いかにして切断されたリンクを「つないで」いくのかを考えていくことこそが重要であると主張している.
 生態学においては,環境を「主体(生物)−環境系」としてとらえるべきだとする主張が,かなり以前から沼田(1953)などによって展開されていた.沼田(1994),沼田編著(1996)は,近年,そうした考え方を発展させ,「人間と環境の関わり」をその文化や心性にまで踏み込んで把握しようとする,景相生態学の発展の必要性を論じている.また,自然史分野,特に生物系においては,生物多様性の保全が緊急の課題となっているが(例えば,鷲谷・矢原,1996),その中で,里山のような二次的自然の持つ意味が問われている.二次的自然とは,それぞれの地域で生活してきた人々の働きかけの中で維持・管理されてきた自然である.平川・樋口(1997)は,「二次的自然の保全が主張される背景には,それが長期にわたる人の関与の基で成立してきた固有の自然だという,歴史的価値の認識がある」とした上で,「生物多様性の保全とは,地球の生物の進化の歴史,また,生物と人間のかかわりの歴史の尊重であり,その歴史的資産の保全である」と結論づけている.このように,生物多様性の保全という観点からも,人間と自然との関係を通して,それぞれの地域の生物の存在意義を考えるべきだとの主張がなされるようになっているのである.
 それでは,生活と自然との関係を対象とする環境民俗学では,どのように考えられているのであろうか.鳥越(1993)は環境民俗学の課題を,(1)環境をうまく人間の生活に利用し続けるカラクリを伝統的社会から見つけだすこと,(2)自然環境のもつ本来の自然性の正体を求めること,すなわち,それを「常民」がどのように把握しているかを理解すること,(3)環境を媒介とした,人間相互の関係を明らかにすることの3点に求めている.また,篠原(1994)は,自然と人間の関係のあり方には非共生的なものもあり得ることを認識すべきとした上で,様々な地域の様々な歴史性を持った社会集団の多様な自然と民俗の関係を考えていくことが必要だと言う.そして,「エスノサイエンス」や「消費・流通・交換という関係性を様々な生業の中でその意味を問いなおすこと」の重要性を説いている.
 歴史学においても,注目すべき視点が見られる.地域史論がそれであり,そこでは比較的狭域の空間(地域)における住民(生活者)の歴史的様相を,住民の視座をベースとして定点観測的に追究し,叙述することが説かれている.とくに戸田(1992[1976])は「自然的・歴史的環境」を意識し,また,黒田(1995[1977])は「定住の景観」をも地域史の対象とし,生活の場(環境・景観)のあり方も含めて地域の総体を把握する必要性を説いた.そのほか,地域史について論じたものではないが,山尾(1995),峰岸(1995)などもまた,鬼頭(1996)の言う「近代主義的自然観の枠内にあった学問」としての歴史学に対する反省を語り始めている.
 以上見てきたように,「人間と自然(環境)の相互関係」への関心は,様々な分野において共有され,分析・理論化が試みられている.そこにおける自然観は,自然と人間とを対立するものして捉えてきた近代主義的発想の一面性や限界を克服し,両者の連続性や相互作用,あるいは共存に意識をシフトさせたものである.こうした視座は,総合博物館の目指すべき方向を考える上で示唆に富んでいる.なぜなら,総合博物館は人文系・自然史をカバーするがゆえに,「人間と自然の関係」に関わる問題を追究する基盤が整っているはずだからである.

3.総合博物館の可能性

 これまでの多くの総合博物館の展示室を想起してみると,歴史や民俗,生物など分野別の展示室が併置されているだけで,諸分野の「総合」が考えられた跡がうかがえる例は少ない.倉田(1979)が「総合とはただ単に集めたという意味でしかなく」,「縦割りの学問系列による区分がなされ,ただそれが同一建物,或いは場所内にあるというに過ぎない」と指摘したのは当を得たものといえる.
 それでは,総合博物館に期待されるのは何であろうか.倉田(1979)は,上述のような指摘に続けて,寄せ集めの含意というべき「総合」から「郷土誌(Heimat Kund)」を中心とした「綜合」への転換を提起している.「綜合(Synthesis)とは,分析され,分解されたものを再び一全体に結合する手続き」とされ,「郷土誌」とは,「風土学」,すなわち「自然とそこに生まれ育った人間の文化を客観的に知ることで」あり,学問系列の諸学を県域という風土(郷土)において有機的統一を図ることとされる.また,糸魚川(1995)は,総合博物館の意義について,「構成する各分野がそれぞれ特色を出す」ことはもちろん,「各分野を総合して何かをねらうということ,また,研究にしても展示にしても,総合化が必要であろう」と述べている.これらの見解は,総合博物館の「総合」の積極的なあり方を強調するものである.
 伊藤(1990,1993)は,地域博物館論を展開する中で,そこに求められる要件として,専門領域ごとの普遍的成果(法則,法則性)を地域に適用する形で資料の価値を見出すのではなく,地域課題に即してその地域の資料を位置づけていく必要があるとし,資料を価値付け方るための考え方や方法を転換する必要があると述べている.そして,そのためには,地域課題を軸として,人文・社会・自然科学にわたる専門領域の再編成・総合化が不可欠であるとした.上述の倉田(1979)に類する考え方であるが,地域を軸とした考え方に基づいて,より明快に「総合」が必要であることを主張している.
 このように総合博物館には,個別分野の総和ではなく,文字どおりの諸分野の総合化が期待されている.博物館の活動目標としての「人と自然の関係に関する総合化」について議論する際,前節で述べた,自然史博物館の動向は示唆的であった.しかし,「自然史」に限定した機能とスタッフを前提とした自然史博物館では自ずから限界が生じる.実際,兵庫県立人と自然の博物館では,「人と自然」を銘打っているものの,同じ県立博物館として歴史博物館が別個に設置されいるため,人文系(とくに民俗,歴史分野)にまで視野を広げた資料収集や展示方針には制約が加えられるのである.
 その意味では,人文系・自然史を広くカバーする総合博物館は,複眼的・多元的な視野を持ちうるという条件を自覚するならば,それが利点となるのである.総合博物館としての独自性は,ある地域における人間の生活と環境(自然)の双方を統一的・構造的にとらえ,しかも時系列的な変容をも見通すことを目標とした研究や展示をより積極的に行えることにあるのである.今後,総合博物館では,社会的に博物館としての責務を果たす努力が必要である.そのためにも,地域から出発しながら,同時に環境問題などの人類史的課題へも射程を伸ばすことを目標としていく必要があろう.
 以上のような特性を具現化しようと模索している総合博物館もある.例えば,滋賀県立琵琶湖博物館がそうであり,そこでの展示技法は興味深い(展示の概略は滋賀県立琵琶湖博物館編,1996にまとめられている).特に「湖の環境と人びとのくらし」をテーマとした展示室では,高度経済成長期を境とした生活の変容と環境との関係を,伝統的な生活形態との対比により提示している.ここでは,現代の環境を軸に,民俗学的観点と自然史的観点が同一平面でうまく組み合わされているのである.
 ただし,展示の全体構成からすれば,水族展示である「淡水の生き物たち」を除くと,(A)地学;「琵琶湖のおいたち」,(B)歴史(原始・古代〜近代)・民俗;「人と琵琶湖の歴史」,(C)民俗・生物;「湖の環境と人びとのくらし」と部屋ごとに明瞭な分野別区分がある.すなわち,「琵琶湖や,水と人間の関係」を全体テーマとして扱っているという意味では一貫して総合化への指向があると言えるものの,部門別の並列という印象がぬぐいきれないというのも事実である.ここに,総合性の追求の困難さと現状での到達点が示されていると見てよいのかもしれない.こうした事例が眼前にあるのを踏まえながらも,筆者らは総合博物館の特性を活かした展示や,それを支える調査・研究のあり方について,その「可能性」を追求したいと考えるのである.

地域博物館と地域住民−展示における「参加体験型」の意味

 当館は総合博物館であると同時に,「地域博物館」でもある11).しかし,伊藤(1993)によると,この「地域博物館」という言葉は,往々にして,サービスエリアとしての行政区域など,「特定範囲を持つ」という意味に矮小化されることがあるという.ことに公立博物館にとってはサービスエリアとして自治体領域を重視するがゆえに,通常でも「地域」や「地域住民へのサービス」を意識する.ただ,その場合,地域住民にサービスを「与える」という側面が強く,それ以上の積極的な考えをもたない場合が多い.「地域博物館」としての役割を意識する場合,その意義は,「人々の生活の範囲を前提に,資料の価値に関する専門領域相互の関係性を深め,そして,各種活動における市民相互の関係性を高め,それを組織していく」ことにあるという,伊藤(1990,1993)の指摘を再確認しておく必要があろう.地域博物館においては,市民との共同が最も強く求められることなのであり,実際,それぞれの地域における自然保護や環境問題について,市民とともに取り組むことが求められる時代となっているのである(千地,1994).
 ところで,住民と博物館との関係を具体的にどのようにつくり上げるべきなのだろうか.また,博物館にとって地域住民とは何なのだろうか.私たちは,そうした問題に具体的に答え,実践していかなくてはならない.そのような問題意識を基にして,ここでは,展示を媒介とした博物館と地域住民の関係のあり方について考えていきたい.
 これまで展示は博物館(学芸員集団)から観覧者に対する「啓蒙」や「教育」の手段として,一方向的な知識の伝達システムとして完結してきた.自然史や理工系の展示では体験的要素が多々導入されてきたものの,それらは結論誘導的なものであり,一方向的な知識の伝達システムとしての性格が変容してきたわけではない.石坂(1994)は,「参加体験型」展示が身体感覚に訴求する面を重視しているが,ここにおける参加にせよ,体験にせよ,所詮は博物館からの提示の手法を問題にしているに過ぎず,展示の「中身」に関わる参加や体験を意味してはいない.伊藤(1990)が述べるとおり,博物館における展示は,「市民が受身に学習する場」という性格が伴ってきたのである.これに対して伊藤(1990)は,地域博物館の役割は市民に啓蒙・普及することではなく,地域にくらす市民の主体的な自己学習能力・自己教育力の育成をはかり,市民自治の発展をサポートすることを目指すべきだとした.それに従えば,地域住民が主体的に活動に関わっていくのが地域博物館の理想像ということになろうし,展示のあり方をそうした視角から再考することも必要となる.
 では,どのような展示が求められるのだろうか.簡単に言うなら,観覧者自身が主体的に学び,発見する場であり,また,観覧者が展示の創造に携わっていけるような「仕掛け」をつくることであろう.伊藤(1990)は,その仕掛けを次のように考えている.資料との出会いは人々の内面的行為であるので,見学者自身による資料の比較検討が可能となるだけの膨大な資料の集積を示す古典的なカオス型展示こそが,市民の自己教育力の育成に必要だというのである.
 筆者らは,この考え方には賛同できない.現実的に,ただ豊富な資料があるというだけでは,観覧者の興味をかきたてることは望めない場合が多く,それだけでは必ずしも自己教育力の育成,博物館への市民参加の入口にはならないと考えるからである.また,物理的にスペースが限られる以上,植物さく葉標本や昆虫標本,小型の考古資料など一部の資料を除けば,豊富な資料が所蔵されていようとも一堂に展示すること自体が難しいからである.
 前述したように筆者らは,展示とはそれ自体,何らかの「意図=政治性」から解放されるものではなく,むしろ博物館(学芸員集団)が展示構想において明確な理念を持つものだと考えている.その上で,博物館の意図と地域住民の学習意欲との接点の持ち方を問題にすべきであると思うのである12)
 現時点で筆者らが考えている手法は次のようなものである.まず,資料をめぐる歴史や生活などの背後関係を明らかにする.また,資料,情報など展示の構成要素がどのように集積されてきたかという展示の形成過程を示す.このことによって,展示が「つくられる」ものであり,かつその途上にあることを観覧者に語りかける,というものである.そうすることで観覧者は,所与のものとして完結した展示から解放され,資料やその背後に広がる世界へと関心を抱く契機を得ることができると思われる.これは同時に,住民が自らの住む地域の歴史,文化や自然と自身との関係を認識し,その意味を再評価する視点を獲得していくことにもなる.ひいては住民が,調査や資料収集に参画しようとする意欲を引き出す起点として機能することにもなろう.
 このような「仕掛け」を用いて展示を博物館との対話の導入口とすることにより,博物館と地域住民との接点を広げていくことができると思われる.すなわち,展示を媒介とした対話の結果として,住民が自発的に資料や情報の収集・調査に参画し,また,その成果が展示に取り込まれるという形での,相互依存的で循環的な「参加体験」システムを形成できると期待できるのである.このことは博物館が観覧者に提供するという一方向的な関係を越え,住民と博物館の双方向的な関係,そして,博物館活動の主体としての住民の創出につながるであろう.
 滋賀県立琵琶湖博物館では,「準備室なれど博物館」を標榜した開館準備段階から,市民参加の調査活動を繰り広げている.また,同館の常設展示では,展示の背後にある調査・研究の世界も展示の構成要素とし,さらに展示の中でも身近な調査への誘いの呼びかけをしている(滋賀県立琵琶湖博物館編,1996,1997).その他,伊藤(1991)が「地域博物館の旗手」と評した平塚市博物館でも,市民参加による調査活動が展開されている.これらの活動は,特に注目すべき先行事例として挙げられよう.

新しい展示の構想

 ここまで,総合博物館あるいは地域博物館としての機能や,それを支える活動の方向について,一般論的な理念を基に述べてきた.最後に,常設展更新検討会議における議論の中で明らかにされた,当館の現行常設展の問題点を具体的に示すとともに,次期常設展をどのように構想するのかについて,議論を集約しながら述べていくことにしたい.

1.現行常設展の問題点

 まず,現行常設展の概略を見ておこう.展示の構成は,面積の6割強を占める総合展示「徳島の自然と歴史」を中心とし,人文系・自然史の部門展示が各1室,さらにラプラタ記念ホールの計3ブロックからなる(図1).したがって,常設展のあり方を考えるためには,主体部とも言うべき総合展示の問題点を明らかにし,それによって方向付けすることが必要である.検討のための視点は,すでに述べた当館の基本理念,とくに人文系と自然史の「総合」性の具体化の度合いを検証すること,すなわち地域における人間の生活とそれを取り巻く景観・自然環境の統一的把握がいかに意識され,具現化されているのか見直すことであろう.
 総合展示は全部で7つの大テーマから構成されているが,内容からいうと大きく3つに区分できる.(1)四国島の成立や生物の進化などを扱う地学(地史・古生物)展示;「日本列島と四国のおいたち」,(2)人類の登場以降を扱う歴史(通史)展示;「狩人たちの足跡」,「ムラからクニへ」,「古代・中世の阿波」,「藩政のもとで」,「近代の徳島」,(3)空間別(山地・吉野川流域・海)の生物と民俗を扱う展示;「徳島の自然とくらし」である(概略は徳島県立博物館編,1992を参照).
 これらの中でも,徳島県域の歴史を通史として描く歴史展示が,約3分の2のボリュームを占めている.そこにおいては,生活の環境・景観について具体的なイメージが得られるような展示はほとんど無く,縄文時代の気候環境の中で成立していた森林をイメージしたジオラマが設けられていたり,復元画がある程度である.しかも,各テーマにおける展示項目は政治,経済,文化,生活など多岐にわたっている.それを網羅するために,徳島県域の通史におけるトピックスが細分化された形で羅列的に拾われるようになっており,展示の根幹を流れる意図が見えなくなってしまっている.言うならば,展示に投影された視点・主張はなきに等しいのである.総合展示の大部分を占める歴史展示においてそうであれば,全体を通じて何を言おうとしているのかは茫漠としたままであろう.
 そうした展示の中で,自然と伝統的な生活との関係に着目した「徳島の自然とくらし」は,人文系・自然史の総合化への指向をうかがうことができるユニークな試みではある.そこでは,山・川・海といった空間ごとに,動植物の標本と生物相を示すジオラマや,特徴的と見なされる民俗(山;木地師,川;川漁,海;潜水漁業)に関する道具類が配置されている.しかし,結果的には,けっして自然と人間の相互関係を示すことに成功しているとは言えない.「自然」と「くらし」が同じコーナーに置かれていても,結局は両者は分断されたままにとどまっているからである.すなわち,「自然」については,人間の存在や人間生活との「関係」は事実上捨象されており,一見すると人間との対概念であるかのように生物が「自然」として位置づけられていると言ってもよい.一方の「くらし」については,ごく限られた民俗技術を取り上げているだけだが,「自然とくらし」という大テーマの名称からも分かるとおり,自然とのつながりは予定調和的に示されている.しかし,ほとんど説明のないまま道具が並べられているだけで,自然と共生してきた技術体系や「くらし」を読みとることはできない.しかも,日常生活がいかにして自然との交渉のもとで営まれてきたのかといった,本来もっとも注目されるべきであるはずの,一般的な「くらし」の様相や変容の過程(歴史的視点)が欠落しており,あまりにも深まりに乏しいと言わざるを得ない.
 このように,現行の総合展示を見る限り,倉田(1979)のいう「綜合」への道程は遠く,自然環境をも含み込む生活の場への視点の欠落した人間の歴史,人間の存在しない自然が並列ないしは混在している状態になってしまっていると言ってよいのである.ただし,当館の原点にあたる博物館基本構想検討委員会(1984)には,次のような記述があることに注意しておきたい.総合展示について「郷土徳島の姿を総合的に把握する中で,世界的な視野をも得られることを企図して,一定のテーマのもとに人文,自然を有機的に結びつけた展示を行います」とあり,テーマの例に「徳島の歴史と文化」を挙げて「通史ではなく重点的なテーマを展示する」とか,「徳島の人々のくらし」として「徳島の自然の中でくらしてきた人々の民俗を展示します」などと記されている.ここには,人文,自然の「有機的結びつき」,「重点的なテーマ」展示,「自然の中で」の民俗などと,上述した総合展示への批判と重なりあうような考え方が見られるのである.この点からすれば,現在の常設展は,展示構想段階の時代的・組織的な限界によって,当初の指向が変容したり挫折した結果であると言わざるを得ないであろう.
 最後に,前章における参加体験システムの観点からの問題を指摘しておこう.現状では,参加体験的要素は,模型などに「触れる」コーナーがいくつかあるのみであり,自発的な関心や調査への参加意欲を引き起こすような配慮はなされていない.一定のストーリーを誘導的にたどるだけで完結してしまっているのである.主体的な利用者の育成という観点からの見直しが必要であろう.

2.次期常設展の構想と課題

 前節で示した現行常設展の問題点を踏まえ,常設展更新検討会議では,次期の総合展示では次のようなことを指向するべきだとの意見に集約された.
 まず,全体の基調としては,「総合性」の観点を重視する.そして,徹底して「地域」性を追求する.すなわち,「人間と自然の相互関係」を軸として,地域住民の生活とそれを取り巻いてきた自然環境・景観の様相を多面的に明らかにする努力が必要だということである.あわせて,「地域性」を明確に示すための,比較や相対化の観点をも併せ持たねばならないのである.
 そのためには,現行展示の中でこの考え方にもっとも近似している「自然とくらし」のコーナーに歴史的視点を加味しつつ,その拡充を核とした再編を図ることが有効だと結論づけられた.具体的には,徳島県の領域を地形,生活の特色をもとに,山(四国山地),川(吉野川をはじめとする河川及びその流域),里(平野部農村),まち(徳島市をはじめとする都市,都市化・生活様式における「現代」化という含意もある),海(徳島県東部〜南部)と区分して,それぞれのブロックの生活の様相と自然環境との関係を主軸にすえると言うものである.ただし,検討会議の中では,「山」,「川」,「里」,「まち」は大局的に見ればすべて河川流域に含まれ,区分が必ずしも明瞭にはならないとの指摘もあった.今後,細部を検討しながら,共通認識を作り上げる必要がある.
 また,展示室の物理的なスペースによる制限や,調査研究あるいは資料収集の片寄りから,県内全域を網羅するというわけにはいかないであろう.個々の空間における自然と生活について,「地域性」を明確に示すためにも,対象とする空間のテーマについて研究や資料の蓄積がある地域を選定して,そこでの特徴的な事象にテーマを絞り込む必要がある.モデルを特定しがたい場合でも,いたずらにテーマが拡散しないよう,はっきりとした問題意識を持って検討することが不可欠である.
 このように述べてくると,現行の総合展示に含まれている地学や歴史を捨象したかのような印象があるが,そうではない.まず,地学については,地形の成り立ちなどについては,上述の空間別ブロックに統合可能である(ただし,特定の地域の人類史に結びつけることが困難なテーマ,例えば恐竜の化石標本や,四国のおいたちのようにより広い空間スケールを扱うテーマは独立した展示コーナーを用意する必要がある).

 また,人間の生活は歴史過程を通じて,さまざまな場所・条件のもとで営まれてきたという認識に基づくならば,空間別展示の中で歴史的な問題も扱っていくことができるはずである.ただしそれは,各空間単位の生活史を通史的に示すという意味ではない.そうした構成が不可能な場合も多いからでもあるが,特に重点をおくべきだと考えられるのが,現代と「伝統」社会(その淵源とでもいうべきは近世の様相である)との対比であるからである.それによって現代人の生活や自然との関わり方の見直し,世代を越えた対話の機会の創出を図りたいのである.このことは,先に指摘した主張なき現行の通史展示への対案としても有効であろう.
 以上のような考え方やその他の問題を踏まえた議論の結果13),完成した展示構成案は,「徳島県立博物館常設展更新基本計画(案)」に収められている.集約すると,全体テーマを「徳島の自然とくらし」とし,本節で述べた空間別の展示4テーマ,地学1テーマのほか,生物分類展示やフリー・スペース(新着資料紹介など)から構成されるものとなったのである(表2).ただし,これらのテーマ群はまだ膨らみすぎているし,実現が困難と思われるものも含まれている.実現可能性や必要性をより丁寧に検討し直し,具体性を高めていく必要があるだろう.
 なお,現行常設展では,先に触れたとおり,展示を媒介として地域住民が博物館への主体的な関わりをもちうるような「参加体験」の要素はなきに等しい.しかし,当館が地域に立脚する博物館であろうとすれば,そうした要素の導入は当然不可欠のことであろう.新しい常設展の中では,前章で述べたような考え方を踏まえながら,住民参加のシステムづくりを意識的に進めていく必要があると考える.ここではさほど具体的な見通しを述べることはできないが,事例として取り上げた滋賀県立琵琶湖博物館の取り組みなどに学ぶべきことが多いと思うのである.
 最後に,次期常設展構想の実現に向けての課題について言及しておきたい.とくに,計画の基底にある真の「総合」化実現の基礎はあるのかという問題がある.理念としては総合へのこだわりを強調してきたが,そうした意識ははたして共有されてきたのだろうか.個別に蓄積されたデータや資料をもとにすれば,総合的な展示を組み立てることは可能ではあろう.しかし,私たちが目指しているのは,そうした表面的な作業ではあるまい.総合を意識した日常の調査や資料収集活動をいかに積み重ねていくのか.自覚的な活動の組織化をいかに進めるのか.本質的には,これらが最大の課題なのである.

おわりに

 当館の常設展更新構想を進めてきた経過,構想の基礎になる諸問題についての考え,さらには目指す展示の概略について述べてきた.
 博物館は,学芸員の活動の結果として蓄積された調査研究成果や資料,さらには地域住民のニーズなどに規定されて,常に変革が期待されているし,変革されていくべきである.その意味では生命をもった機関である博物館にどのような道を歩ませるべきかを,乏しい経験の中で考えてきた.抽象的な理想論に終始した面も少なからずあるが,私たちはその実現可能性に期待を抱き,新しい総合博物館づくりの第一歩を目指してきた.2000年におけるリニューアルオープン計画は頓挫したものの,今回の検討経過は,今後の議論の礎としての役割を果たすことにはなるだろう.博物館の現実から発し,理念との相互反復的な思考を繰り返しながら,前進を図りたいものである.
 なお,本稿での議論は,筆者らの既刊論考である藤原ら(1996),長谷川(1997)を前提とし,そこで論じたことも集約したことをお断りしておく.これらとともに,当館年報7・8号に掲載された常設展更新検討経過の公的なまとめを別途参照されたい. 

1)歴史学関係では,『地方史研究』,『歴史評論』のほか,今は休・廃刊になってしまった『歴史手帖』,『中世内乱史研究』などが,博物館に関する特集や連載を組むなど,関連論考をしばしば掲載している.また,日本で最大規模の歴史学会である日本史研究会,歴史学研究会では,前者が例会(1993年6月)で,後者が大会(1994年特設部会,報告・討論内容は『歴史学研究』664号[1994年]に掲載)で,それぞれ博物館について議論したことも注目に価する.民俗学では,日本民俗学会が博物館問題についての継続的な取り組みを行っており,第44回年会(1992年)では博物館ミニシンポジウムを行っているし,『日本民俗学』200号記念特集号(1994年)には「博物館と民俗学」というテーマに沿った論考5編を収載している.さらに,『日本民俗学』208号(1996年)には,日本民俗学会・地方史研究協議会共催のシンポジウム(1996年4月)における報告や感想を収めている.地理学における動向については,福田(1997)などに詳しい.

2)第139回例会シンポジウム(1991年6月,内容は『月刊地球』13巻11号[1991年]に掲載),第146回例会シンポジウム(1997年6月).

3)歴史学関係学会の場合,注1に記した例会や大会の後,日本史研究会や歴史学研究会が博物館について論じる機会を持っていないのも,博物館への関心のピークが過ぎてしまったことを物語るのかもしれない.

4)『ミュージアム・マガジン,ドーム』30号(1997年)には,博物館法施行規則改正等の動きを受けて行われた緊急シンポジウム「これでいいのか? 学芸員問題」について特集されている.問題の所在を知る上で有用であろう.

5)この点,常設展更新の前提として,若手職員によるワーキンググループを設置して館のあり方全般にわたる検討を行った兵庫県立歴史博物館の取り組みを念頭に置いていた.同館の事例については,小栗栖(1996),ワーキンググループ編(1992)を参照.

6)1993〜1997年度に「黒潮の道」,1996・1997年度に「水辺の生活と環境」というテーマの課題調査が行われるなど,多少の試みは続けられているが,当館の全体的な方向性を見据えた位置づけを図ろうとする動きは,強くはなかったように思う.

7)戦争展示,ことに加害的側面をめぐる展示には深刻な問題が生じがちである.近年のできごととしては,長崎原爆資料館や大阪国際平和センターの展示をめぐる議論が例となろう.鎌田(1996)や小山(1998)を参照のこと.なお,類似した問題は,アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館が計画した原爆展をめぐる経過においても見られた.これについては,モリス(1995),ハーウィット(1997)などを参照.

8)犬塚(1995)は,「博物館の本質とは,単に権力のモニュメントだとも感じている」と述べる.

9)ホーン(1990)は,ヨーロッパの博物館その他のモニュメントが,そこを訪れる旅行者に,社会的・政治的秩序の価値観に基づいた歴史の「再現」を行っていることを具体的に叙述している.また,博物館についての議論ではないが,吉見(1992)は「博覧会は,その成立の端緒から,国家や資本によって演出され,人々の動員のされ方や受容のされ方が方向づけられた制度として存在した」とし,権力装置である「博覧会という場が,その言説−空間的な構制において,そこに蝟集した人々の世界にかかわる仕方をどう構造化していったのか」と問わなければならないと述べている.博物館展示の政治的機能を考える上でも興味深い.

10)エコミュージアムの創始者リヴィエールの定義では,エコミュージアムとは,住民が自らを顧みる鏡であり,人間と自然の表現であり,時間と空間の表現であり,学校・研究所・保存センターの機能を併せ持つものであるという(Rivi屍e,1985).

11)伊藤(1990,1993)は,博物館の目的による区分として,地域志向型,中央志向型,観光志向型に3分類しており,その中で,地域博物館という主張自体が,その内部に中央志向型や観光志向型への対立的契機を含むとしている.社会的に「地域(性)」や「環境」がキーワードとなっている現在,社会的な要請としても中央志向型や観光志向型ではなく,自らを地域博物館として位置づけていくことが重要になってきていると思われる.

12)ここでいう博物館のもつ理念とは,展示全体を規定する枠組みであり,それ自体はさほど観覧者に意識される必要はない.むしろ,展示を通じていかに関心を抱いてもらえるか考えていかねばなるまい.そのためには,展示という表現手段の限界を考えながら,効果をどのように高めていくかが問題であろう.この点,篠原(1988)が言う「解釈や理解を無意識に強制することになる解説文の多い理論的な展示より」,見る側の想像力や探求心を喚起するような展示であるべきという考えも一つのあり方である.その一方で解説を求めたがる観覧者が多々あることも事実であり,多様な観覧者像を踏まえつつ理想的な方向性を探るという困難な課題がある.これに関わり,橋本(1998)が行っている,展示の意図と来館者の解釈の関係(物を介したコミュニケーションの構造)をめぐる議論も示唆に富む.

13)空間別展示を基本にしたときに,どのような問題点が生じるかということも重要な論点となった.その中で,自然史では,分類展示や生物の多様性の展示など,地域性に関わりなく幅広く展示を行う部分の必要性が指摘された.一方,人文系では,美術工芸分野の資料はとくに,長期にわたって展示できないものが多く,かつ空間別展示ではほとんど活用できないことが問題となった.また,新着資料紹介や小企画のできるスペースの必要性も提起された.その他,1994年度の企画展「人間に光あれ−被差別部落に生きた人びと」(徳島県立博物館編,1994b 参照)などの取り組みを踏まえ,身分や差別の問題への視角及び展示表現のあり方も検討を要する課題であった.

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表1 都道府県立総合博物館における学芸員数・設置年
図1 現行常設展配置図

表2 次期常設展「徳島の自然とくらし」展示テーマ案

 

 

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