近年とかく喧しく、博物館と学校教育との連携について説かれることが多い。その意味では、この問題は現代の博物館をめぐって避けて通ることのできないものといえる。以下では、展示の位置づけを中心に、最近考えていることを述べてみたい。今後検討を深めるべきテーマであり、ここでの議論は予備的なものに過ぎないことをお断りしておく。
最初に注目すべき状況としては、昨今の教育政策に関わる動きがある。とりわけ学校教育の「改革」(学校週五日制、教育課程の改編など)や、それとも連動して展開する生涯学習政策の流れは、教育機関たる博物館を否応なく飲み込んでおり、展示の位相を考えるときにも重要な論点となる(1)。
まず、最近の国レベルの審議会答申などを見ておこう(2)。社会教育審議会社会教育施設分科会中間報告「博物館の整備・運営の在り方について」(1990年6月29日)では、「学校教育との緊密化」が項目立てされ、「生涯にわたって(中略)博物館に親しむ素地を培」うために、学校教育における博物館利用の促進を図るべきことが述べられている。
そして、博物館の対応として、館活動への教員の参加や学校対象の巡回展、資料貸出が例示されている。また、生涯学習審議会答申「地域における生涯学習機会の充実方策について」(1996年4月24日)では、博物館を含む社会教育施設に、地域住民のニーズにこたえる生涯学習のセンターとしての役割を求め、その下で「学校教育との連携・協力」を「『学社融合』の理念に立った事業展開」として推進すべきことが記されている。それによって、学校だけではできなかったより豊かな教育が可能になるはずだというのである。
さらに、生涯学習審議会答申「生活体験・自然体験が日本の子どもの心をはぐくむ」(1999年6月9日)は、1998年6月の中央教育審議会答申「新しい時代を拓く心を育てるために」を受けて子どもの心を豊かにはぐくむための施策の提言としてまとめられたものである。ここでは、2002年度からの完全学校週五日制実施に向けて、博物館などが学校ではできない体験活動の場として開放された施設になるよう緊急の取り組みが求められている。
このように、博物館には、地域の教育力の涵養の拠点として、また、学校にはない実物との接触などの点において、学校教育との補完関係を形成することが期待されている。1996年の答申によれば、学校教育と社会教育の各の役割分担を前提としつつも、両者の要素を部分的に重ね合わせながら教育に取り組むという考え方が「学社融合」と定義され、「連携」以上の緊密な関係が説かれているのである。
学校との緊密な連携が説かれるのは何も、生涯学習に関してだけではない。1998年に告示された「小学校学習指導要領 社会」で「博物館や郷土資料館等の活用を図るとともに、身近な地域及び国土の遺跡や文化財等の観察や調査を行うようにすること」とあり、「中学校学習指導要領 社会」でも「地域の特性に応じた時代を取り上げるようにするとともに、人々の生活や生活に根ざした文化に着目した取扱いを工夫すること。その際、博物館、郷土資料館等の活用も考慮すること」と記されている(3)。
指導要領における博物館利用への言及は、すでに1989年告示のもの(4)に同様の文言が見られており、最近の急な動きではない。先の生涯学習関係の答申とはまた異なったかたちではあるが、身近な地域についての指導にあたっては、博物館の利用が推奨されており、そこにはおそらく学校では確保し得ない、地域に関する実物資料の蓄積が着目されているものと思われる。
以上に見たのは、いずれも教育政策のレベルでの資料であったが、生涯学習・学校教育のいずれの面からも、博物館−学校教育の関係強化が求められていることがうかがえたであろう。これらと対応しつつ、各地の博物館では、「博学連携」という類の謳い文句のもとで、学校教育との連携実践の高まりが目立ち、各館の研究紀要にはレポートが多数見られる。学校教育カリキュラムにおける展示の利用なども意識的に促進されつつあるし、1〜3月頃になると、小学校3年生の社会科の単元にあわせて、民具の展示をしているところが多くなってきたのもその一例であろう。また、これから始まろうとしている総合的学習の時間の活用においても、博物館の存在がクローズアップされようとする傾向はあるようだ。
こうした動向は、博物館法第3条における「学校、図書館、研究所、公民館等の教育、学術又は文化に関する諸施設と協力し、その活動を援助すること」(5)という規定に齟齬するものではなく、博物館にとって学校教育との連携はごく当然の課題としてあった。したがって、博物館法に依拠する博物館である限り、ある面では歓迎すべきなのかもしれないし、公立施設であるなら、なおさら学校教育との連携に力を注がねばならないということになる。
しかし、昨今の動きが博物館にとって内在的契機をもってのことであるかどうか考えてみる必要があろう。博物館を利用した学習指導書の類(6)でも、ベースにあるのは、学校教育におけるカリキュラム編成であり、博物館の主体性によって新たな学習活動の方向を提起したものは、けっして多くはないのではなかろうか。したがって、学校教育と博物館の連携ないしは融合といっても、双方の間でバランスがあるのではなく、前者を主とした教育システムへの後者の参加、ないしは博物館独特の機能と目されるもの(実物資料の利用)の学校への取り込みというのがより正確な表現となるであろう。
このような関係のもとでは、学校教育における博物館利用とは、例えば教科書的歴史像のなかに展示を位置づけていくことから始まるものであり、教師にとって「使いやすい」展示とは、教科書に準拠した通史的な展開による展示なのである。そのせいか、常設展とは別に行われる企画展・特別展を前にするとき、教科課程とは無縁のテーマであれば、関心を示さないか、守備領域を越えたものと理解し、自らのことばで子どもに対峙することがなくなる場合が多々見られるのである。往々にして見られる常設展における地域史展示は教科書準拠的な特性をもつが(7)、学校教育との連動を考えるとき、避けられない枠組みと化しているといえるのである。
逆に博物館の側でも、学校教育との連動を意識し、展示の内容がそれとの齟齬を来すようになるのを避けようとすることもある。ここで注意すべきは、教科書的歴史像をスタンダードな歴史像と措定することで、そこから逸脱する要素を捨象したり、研究の現状よりは古い水準に準拠しているものであっても、教科書に展示レベルを合わせることで納得してしまうことさえ生じるのである。
ところで、先の指導要領で、身近な地域についての学習の場としての博物館利用が提示されていたが、その場合に博物館の負う機能も問題であろう。展示で描かれる「地域」とは紛れもなく自治体領域と一致しており、しかも超歴史的に提示されるところに特徴がある(8)。それゆえに博物館(展示)を利用した地域学習においては、不変の領域観と住民系譜の連続性を所与のものと意識させることになろう。
以上、最近の風潮である学校教育と博物館との連携に関わっての問題点を指摘した。建前上、博物館の展示内容に統一的な基準があるわけではないし、検定制度が敷かれているわけでもない。にもかかわらず、学校教育との連携を軸にしてみたとき、そこにはさまざまな暗黙の枠組みができあがっていることに気付かされるのである。
注
(1)博物館と学校教育の連携論の展開について、戦前から現代に至るまで、通時的に追究した金子淳「学校教育と博物館『連携論』の系譜とその位相」(『くにたち郷土文化館研究紀要』1、1996年)や、教育論的な立場から連携の方向性を探りつつ、実践事例の研究も重ねている廣瀬隆人「生涯学習時代の博物館と学校教育」(『MOUSEION ムゼイオン』39、立教大学学校・社会教育講座、1993年)などは参考になる。
(2)〜(5)国立教育会館社会教育研修所編『博物館に関する基礎資料』(国立教育会館社会教育研修所、1999年)による。
(6)現在、その類の資料がどれくらい作られているのかは不明だが、廣瀬隆人「学校教育と『融合』する博物館活動」(『季刊ミュージアム・データ』35、1996年)では、かなり網羅的にデータが集められている。
(7)これは一般に見られる通史展示という手法に関わるものである。通史展示の特徴は、コーナー区分の基準として原始・古代、中世、近世、近現代といった時代区分が用いられ、古い時代からより新しい時代へと推移していくこと、内容的には政治・経済・文化などの諸領域に関して広く浅くテーマが設定されていることにある。これは概ね教科書に準拠するかのような展開であり、それゆえに価値中立的であるかのように見える(教科書が果たして「中立」的な内容かどうかはさておき、一般的にはそれがスタンダードな歴史像と理解されがちである)。
(8)この点は、近年論及されることが多くなっている博物館の「政治性」の問題と関連する。笹原亮二「地域の誕生」(『相模原市教育委員会博物館建設事務所研究報告』1、1992年)、犬塚康博「展覧会の肉声」(名古屋市博物館編『新博物館態勢』名古屋市博物館、1995年)、福田珠己「地域を展示する」(『人文地理』49−5、1997年)、金子淳「博物館の『政治性』をめぐって」(『博物館史研究』6、1998年)などの諸論考を参照した。