四国における学芸員交流の試み

 

はじめに
 1996年2月17〜18日、徳島市において、四国地区歴史系学芸員・アーキビスト交流集会が開かれた。当地では珍しく積雪が見られた悪天候のなかにもかかわらず、四国四県および和歌山県の博物館・文書館から42名の参加者があった。
 この集会は、四国地区博物館協議会(以下「四博協」)のような既存の連絡組織によったものではなく、四国四県の博物館・文書館に勤務する学芸員・アーキビスト(以下「学芸員等」)数名が発起人として呼びかけにあたり開催に至ったものである。従来四国では、学芸員等の結集・交流の場がなかっただけに貴重な機会だったと思う。
 以下では、この集会の開催に至るまでの経緯や内容等について簡単にまとめておくことにする。

1 発端
 周知のとおり、1980年代から90年代初頭は全国的に博物館建設ラッシュの時代であった。四国でも例外ではなく、県立クラスの博物館・文書館を例にとるだけでも、徳島県立博物館・徳島県立文書館が1990年、高知県立歴史民俗資料館が1991年、香川県立文書館・愛媛県歴史文化博物館が1994年にそれぞれ開館し、現在は(仮称)香川県歴史博物館が1999年開館に向けて準備を進めている。
 このような状況下で、学芸員等として専門的職務に携わる者も次第に増加してきた。とはいうものの、資料の貸借など限られた業務的関係において他施設の学芸員との接触をもつ場合を除くと、それぞれの活動は大方の場合、職域内に閉じられているといっても過言ではなかった。したがって、学芸員等が広範に結集し、日常活動上の問題点等を議論したり、各種の情報を交換したりするような機会は全くなかったといってよいのである。施設が増え、同時に学芸員等が増えはしても、待遇や業務上の負担など職務環境の違いがあまりにも大きく、同じ土俵上の議論が成り立ちにくいという事情があったのは確かだ。それにしても、各学芸員等が直面している課題には、普遍的なものも多々あるはずだし、業務の質的向上を図るという意味でも幅広いネットワーク形成が重要だと思われるが、四国においては組織的に問題とされることはついぞないままだったのである。
 先の四博協などは『四国博物館まっぷ』(1994年)や『四国地区博物館要覧』(1996年)の刊行など、一定の役割を果たしていることは事実である。しかし、年に一度開かれる総会は、学芸員等の結集・討議の場とはなっていないというのが実状である。また、各県単位で博物館協議会の類が組織され、研修会などが随時行われている例もあるが、これもまた、必ずしも現場の学芸員等からの問題提起を受けとめる役割を果たしてはこなかったようである。いずれの場合も、加盟施設の形態や対象分野が多様であるため、テーマを限定した集中的な議論には不向きであり、事務的な連絡組織としての機能にとどまるのはやむを得ないということもできよう。また、明確に専門職員として位置づけられた学芸員等が近年まで多くはなかったという事情もあったと思う。
 組織的な問題はさておき、関係機関が一定地域内に複数ある場合は、日常的に学芸員等の交流が活発になされている例もあるにはあった。例えば、徳島県内の場合をいうと、近年開設された徳島県立博物館、徳島県立文書館、徳島市立徳島城博物館、松茂町歴史民俗資料館では、学芸員等の多くが20歳代後半から30歳代前半の世代に属するとともに、とくに歴史専攻者は共通の地元歴史研究団体に関与することなどから、比較的円滑な交流がなされてきた。その中で資料情報の交換、調査の相互協力、博物館・文書館のあり方をめぐる意見交換の機会も多々あった。だが、こうした動きがより広範に展開するには至らないままだったし、日常的な近隣交流が見られない地域も多かったようである。
 右に述べてきたのは、集会の計画が動き出すに至るまで私たちを取り巻いていた状況に対する認識である。加えて、近年さかんになっている博物館論・学芸員論への不満もあった。すなわち、博物館等に身をおく者の感覚やそれを取り巻く現実の多様性が必ずしも反映されず、博物館や学芸員が「かくあるべきだ」というような身勝手とも思える注文めいた発言が多々あることへのいらだちである。博物館論・学芸員論の深化のためには、学芸員等の間での現実に起点をおいた議論の活発化がまず必要なのではないかという思いを抱きもしていたのである。
 以上のような諸状況を踏まえ、梅野光興氏(高知県立歴史民俗資料館)と何度か議論をした末、四国地区の学芸員等の交流集会を持ってみてはどうかという結論に達した。そこで、田井静明氏(香川県教育委員会歴史博物館建設準備室)、須藤茂樹氏・根津寿夫氏(徳島市立徳島城博物館)、金原祐樹氏(徳島県立文書館)らとも相談をしたほか、根津氏を通じ、井上淳氏(愛媛県歴史文化博物館)とも連絡を取った。結果として四国地区での交流会を行うことについては賛同が得られ、以後の準備へと進んでいったのである。この過程で、各自の職域に閉ざされたまま活動を行っている閉塞的な現状を脱し、学芸員等の広範な交流、ネットワークづくりを通じた博物館・文書館活動の広がりを求める考えが、潜在的に共有されていることを知ることができたように思う。

2 発起人会から開催まで
 1995年9月10日、高松市内にて、梅野氏、田井氏、井上氏、根津氏、金原氏、そして私の6名が集まり、交流集会に向けての発起人会を行った。
 その際、集会の性格に関する確認を行った。まず、議論の拡散と形式化を避けるため、参加者の業務上の担当領域や専攻をできるだけ限定すべきことである。そこで、呼びかけ対象を、歴史・民俗関係博物館・資料館の学芸員および総合博物館の人文系学芸員、アーキビスト(文書館で専門的職務に従事する者)とした。博物館と文書館を同列で括ったのは、歴史資料の保存利用機関として類縁関係にあることと、四国では文書館が少なく、アーキビストだけのネットワークを考える段階に至っていないことによる。
 第二に、当初から恒常的な研究会の組織化を考えるのではなく、あくまで単発の交流会にとどめるということがあった。性急な組織化は、底流にあるべき問題意識とは無関係の形骸化につながるという懸念によるものである。将来的なことについては、研究会の定期的な開催や共同企画の機運が高まれば、改めて考えていけばよいのではないかという程度の考えで、まずは多数の結集と相互の状況の理解を中心とする交流のきっかけづくりとなればよいと認識していたのである。
 発起人会では、こうした問題のほか、集会の日程等の実務的な面の検討を行い、集会の内容、開催地、関係事務の分担等を決めた。とくに内容については議論のあるところだったが、相互理解を主眼とすることから、各県の博物館・文書館事情報告を依頼することにした。併せて博物館・学芸員をめぐる諸問題について、大阪城天守閣に学芸員として長年勤務された経験をお持ちの内田九州男氏(愛媛大学法文学部)に講演をお願いすることにした。
 その後、電話連絡等での調整を経て、細目を詰めていった。そして、開催要領がほぼ固まった段階で、各県ごとに発起人が分担して参加の呼びかけに取りかかった。こうして、集会開催に向けての動きは進んでいったのである。
 参考までに参加呼びかけにあたって配布した趣旨説明を掲げておくことにする。

 四国各県では、近年、博物館や文書館の整備が急速に進められてきました。その結果、学芸員やアーキビストとして、専門的職務に従事する人口が増してきたわけです。
 しかし、残念なことに、施設の名称は同じように博物館や文書館と称していても、設置者の認識のレベルなどに規定され、立地や職務条件は、あまりにも多様です。そのため、一律に博物館論・文書館論、さらにはそれらを包括する歴史資料保存利用機関論ないしは専門職員論を展開するのは、あまりにも空しいことになってきます。
 そうはいっても、施設ごとの状況如何にかかわらず、共通する課題も多数あるはずです。例えば、資料管理や調査活動の方法、展示の技法、防災、特別展のテーマ選定の考え方などなど。個別の状況はともかく、いろいろな活動上の問題点を相互にぶつけあい、議論しあうことも可能なはずです。そうした日常活動に即した議論を重ねつつ、類似した職務に従事する者の間の連帯関係を築いていくことが、さまざまな問題の解決を考える上で、大切な第一歩となるでしょう。
 このような考えから、このたび四国地区歴史系学芸員・アーキビスト交流集会を開催することになりました。現場スタッフの主体的な結集から新しい博物館・文書館活動の創造へとつながっていくことを祈ります。

3 集会の状況
 以上に述べた経緯のもとで準備が進められた集会は、表1のような日程のもとに行われた。
 参加者は、本稿の冒頭でも述べたように42名にのぼった。参加呼びかけの過程で、和歌山県立博物館からも参加の希望が寄せられるといった、意外な広がりもあった。参加者のあった施設および施設別の参加者数は表2のとおりである。
 さて、集会の状況について触れておこう。第1日目は、集会の趣旨からすれば、参加者全員の所属施設の現状と課題を網羅的に紹介しあうことが望ましいと考えていたが、時間的な制約から実現不可能と思われた。そこで、各県の全体的な状況を見渡した口頭報告をお願いする一方、施設単位の状況については、あらかじめ参加者が作成したレジュメ(記入項目=名称、開館年月日、組織、現状と課題)を集成して配布することにした。実際には、報告5件と討議を行うだけでも時間が不足し、十分な議論はできなかった(その分を取り戻そうとするかのように懇親会は大盛況だった)ものの、施設ごとのレジュメと併せて四国の博物館・文書館の設置状況や大まかな特色・課題などについて把握することはできたように思う。
 その中で浮き彫りになった共通の課題には、学芸員等の専門職としての位置づけの問題、地震対策などを含めた資料保存の取り組み、近隣類縁機関との連携やネットワークづくり、資料調査員制度など地域の研究者との連携、学校教育との連携、地域住民に親しまれる施設運営のあり方(とくに教育普及事業、友の会やボランティア制度)がどうあるべきかなどといったことがある。今後、こうした諸問題について、実践報告や問題提起を相互に重ねていくことが重要になろうと思われた。
 第2日目の内田氏の講演は、歴史学研究会1994年大会特設部会報告(『歴史学研究』664、1994年所収)を主たる素材に、昨今の学芸員論の争点を整理される中で、博物館が社会教育機関として博物館法の枠内にある意義を確認された。その上で学芸員のステイタス向上のための努力の必要性と具体的なあり方、博物館の独自性を生かした研究の意義と方法、学芸員の自主的結集とその積み上げの重要性などを話題とされていた。ご自身の経験も踏まえられながら、多くの学芸員等が直面している問題をストレートに取り上げられており、興味深いものだった。
 このようにして全日程を終えたが、ややスケジュールが窮屈で、議論の場という面では問題があった。しかし、これまで同種の機会がなかっただけに、四国地区の学芸員等の相互理解と連帯への第一歩としては、意義深いものだったと考えている。

おわりに
 集会を終えた後、次の交流の機会を求める声が少なからずあったことから、1997年2月15〜16日には高知にて第2回四国地区歴史系学芸員・アーキビスト交流集会と銘打った集会が開かれることになった。結集の機運がこのまま継続し、より確かなネットワークが築かれることを願いたい。
 そうはいっても、今後の交流のあり方について確たる方向性が見通せているわけではない。当面はさらなる模索が必要であろう。少なくとも、形式的な集会の繰り返しに堕することなく、学芸員等が日常的に抱えている課題とその解決のための思考・試行を起点とした自主的な交流の発展を考えていきたいと思うのである。

表1 集会日程

1996.2.17(徳島県立博物館)

自由見学

報告「地域博物館・文書館の現状と課題」
(博物館編)須藤茂樹氏(徳島市立徳島城博物館)
      田井静明氏(香川県教委歴史博物館建設準備室)
      井上 淳氏(愛媛県歴史文化博物館)
      筒井秀一氏(高知市立自由民権記念館)
      前田正明氏(和歌山県立博物館)
(文書館編)金原祐樹氏(徳島県立文書館)

討議

懇親会

1996.2.18(徳島市立徳島城博物館)

自由見学

講演「最近の学芸員論と私たちの課題」内田九州男氏(愛媛大学法文学部)

表2 所属別参加者数一覧

県名

施設名

人数

徳島

徳島県立博物館
徳島県立文書館
徳島市立徳島城博物館
鳴門市ドイツ館
松茂町歴史民俗資料館

7
2
5
1
1

香川

香川県教委歴史博物館建設準備室
瀬戸内海歴史民俗資料館
高松市歴史資料館

5
2
1

愛媛

愛媛県歴史文化博物館
愛媛県中核美術館準備室
宇和島市立伊達博物館
小松町立温芳図書館郷土資料室
愛媛大学

5
1
1
1
1

高知

高知県立歴史民俗資料館
高知市立自由民権記念館
安芸市立歴史民俗資料館
中岡慎太郎館
土佐山内家宝物資料館

2
2
2
1
1

和歌山

和歌山県立博物館

1

 

 

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