博物館学芸員の知られざる日常

 ぼくが徳島に来てから、間もなく10か月が過ぎようとしている。ぼくのこれまでの人生の中で、これほどあわただしく過ぎ去った月日はなかったに違いない。
 博物館学芸員の仕事は、はたから見るほど楽でも簡単でもない。何か質問が寄せられれば、自分の研究テーマと直接関係がなくても答えられなければならない。したがって、普段からいろいろな情報をキャッチし、必要な知識を仕入れておくことも大切な仕事なのである。そのうえ会議や雑用もいたって多い。
 大学院時代と同じように研究に没頭できる…そんな安易な考えで、この徳島県立博物館を初めての職場に選んだぼくは、厳しい現実に直面して、しばらくの間かなり落ち込んでいた。
 もちろん、博物館にはどんな役割があるか、ということはおおむね理解してはいた。博物館の機能には、「もの」=資料の展示だけではなく、収集、収蔵管理、調査研究、それに一般への普及活動があり、それを支えているのが学芸員であることも、確かに学んだ記憶はある。だが、そんな知識は現場では何の救いにも支えにもならなかった。
 そうは言っても、落ち着いてこれまでの月日を振り返ってみると、不思議な充実感に満たされていたことも事実だ。たとえばこんな日常の中にも…。
 5月の連休明け。久々の休みがとれたぼくは、自宅でボンヤリと過ごしていた。そこへ電話がかかってきた。電話の主は同僚の学芸員で、奇妙な資料が持ち込まれたと言うのだ。どうやら徳島市内のある家の屋根裏から見つかった古文書らしい。一般の家庭でも、引っ越しや片づけののときに、古文書や古い民具が発見されることがある。そんなときは、とりあえず博物館へお持ち下さい、と常々呼びかけているが、それに応じて資料を持ってきてくださったのだ。
 電話の声は言う。「おまじないの本らしいが、どうも近世のものみたいだ」と。ぼくは学生時代に中世史を専攻した関係で、博物館でも中世担当となっている。「近世」と聞き少しがっかりしたが、不気味なものには目がないぼくは、とりあえず博物館へ出向いてみた。…またまた休日返上。
 研究室の机の上で、それは靜かにぼくを待っていた。包みを丁寧に開けると、縁の傷んだ薄茶色の本が姿を現した。はやる心とは裏腹に、ゆっくりとていねいにページをめくってみる。そこにはあやしげな記号や図柄、呪文がびっしりと記されていた。急いでこの資料が見つかった家を訪ねてみたが、関係資料は見当たらなかった。しかし、その家の歴史、言い伝えなど興味深いお話をうかがえたうえ、残っている道具類や古文書もいただくことができた。
 こうして持ち帰った資料や例のまじない本には間違いなく虫やカビがくっついている。さっそく、保存科学担当の学芸員に殺菌の処理を依頼した。2日ばかりたって殺菌済の資料は収蔵庫へと移された。
 ここで再び、まじない本とぼくとの一対一の対話が始まった。まず登録番号を付け、寸法を計り、内容を調べる。それから、これによく似た資料がどこにあるのか、いつ頃どんな事情でつくられたのかなど、あらゆる参考文献に目を通してみる。たったひとつの資料でも、その背後には無限に広がる世界がある。その世界を見つけ出し、資料を正しく評価することがぼくたちの役目なのだ。
 ところが、四六時中まじない本のことばかり考えているわけにはいかない。未整理資料の片づけもたまっている。図書資料の受け入れや書庫の整理という仕事もある。進行中のプロジェクトもあるし…。
 そんなある日のこと、21世紀館からぼく宛てに電話が入る。文化の森通信「STEM」の取材に協力して欲しいとのこと。そして、現在研究中のものがあれば持参してくれないかということだった。また用事が増えたことは、正直言って憂鬱だったが、まじない本についての話なら大歓迎だ。さっそくぼくは21世紀館へと足を運んだ。
 まず、この資料をどのように活用するのかをぼくは担当者に説明した。
 「このようなまじない本を今後県下で収集し、全国の関連資料とも照らし合わせて、まじないの歴史や生活の中での位置づけを調査研究し、2年後には企画展を開くつもりです。そのときには、このまじない本も展示資料として生かすことができます。」
 やがて話は、博物館のいろいろな役割にまで発展した。
 「博物館は『もの』を集め、ただ並べているだけではありません。ひとつの『もの』に関連する別の『もの』や情報も集め、研究するとともに、その成果をかみくだいて来館者に伝える普及活動という大切な役割があります。ですから、我々学芸員は生きた情報を外に向けて発信し続けなければ…」となかば自分に言い聞かせるかのように語った。
 それから1か月ほどたった土曜日のこと。ぼくは毎月恒例の土曜講座で、熱心に聞き入る参加者を前に、まじないや占い、たたりの歴史を夢中で話していた。あのまじない本との運命的な出会いを思い出しながら…。


持ち込まれたまじないの資料(STEM2号より転載)

 

 

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