1 日本列島と四国のおいたち

 

 私たちが生活している四国,そして日本列島は,どのようにして形づくられたのだろうか.近年のさまざまな岩石や化石の研究によって,古生代(こせいだい)末から中生代(ちゅうせいだい)にかけての日本列島の土台の形成,第三紀中新世(ちゅうしんせい)の日本海の誕生といった壮大なドラマが,かなり克明(こくめい)に描き出されてきた.ここでは,プレートテクトニクスの考えにもとづき,時代を追いながら,そのおいたちをたどっていくことにしよう.
 地球の歴史は,古生代(こせいだい),中生代(ちゅうせいだい),新生代(しんせいだい)というように,生物(動物)の進化にもとづいて時代区分されている.こうした生物の移り変わりについても,化石を材料にしてたどってみよう.

 

 生命のおいたち
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太古の日本
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青石は語る
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四万十帯の成長
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恐竜とアンモナイトの時代
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四国島のはじまり
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中央構造線の発達

生命のおいたち

 地球は,今から約46億年前に生まれた.それから約10億年たって,原始の海で生命が生まれ,長い時間かかって,より複雑な体のつくりをもつ生物へと進化していった.
 いろいろな生物グループは,生まれ,発展し,おとろえ,そして絶滅する.生命の歴史はこうした興亡(こうぼう)のくり返しだった.人類の時代である第四紀は約200万年前にはじまるが,46億年という長い地球の歴史からみれば,それはほんの一瞬のできごとである.

 

先カンブリア代の生物

 世界最古の化石は,約30億年前の地層から見つかるバクテリアやラン藻(そう)などの原核(げんかく)生物の化石である.それから10億年たって,緑藻(りょくそう)類などの真核(しんかく)生物が生まれた.
 大型の多細胞生物は,先カンブリア代のおわり(6〜7億年前)になって現れた.それらはエディアカラ動物群とよばれ,ヒドロ虫類,ウミエラ類,多毛類などに似た,かたい殻をもたない生物だった.

 

古生代の生物

 古生代になると,海にすむ無脊椎(むせきつい)動物が飛躍的に増え,三葉虫(さんようちゅう),筆石(ふでいし),腕足(わんそく)類,床板(しょうばん)サンゴ,オウムガイ,紡錘虫(ぼうすいちゅう)などが栄えた.それらは,先カンブリア代の生物とちがい,キチン質や石灰質のかたい殻をもっていた.
 古生代には,また,生命の上陸という大きなでき事があった.まず,植物がシルル紀に上陸をはじめ,それを追うように動物も陸上へと進出した. 

■三葉虫のなかま
 古生代の海にすんでいた,キチン質の外骨格をもった節足動物.カンブリア紀からオルドビス紀にかけて,最も栄えた.1cmほどの小さなものから70cmにもなる大きなものまで,約1500属,1万種の三葉虫が知られている.体を丸めた状態の化石は,外敵から身を守るときの姿勢を示していると考えられている.

■古生代の植物
 維管束(いかんそく)をもった最初の陸上植物の化石は,シルル紀後期の地層から見つかる古生マツバランのなかまである.上陸した植物は,茎・根・葉の分化が進み,しだいに大型化していった.そして,石炭紀からペルム紀にかけて大森林をつくった.
 石炭紀の湿地に大森林をつくった植物は,鱗木(りんぼく),封印木(ふういんぼく),ロボクなどのシダ植物だった.大きなものは幹の直径2m,高さ30mにもなり,ヨーロッパやアメリカの石炭のもとになった.

 

太古の日本

 古生代の中ごろ,地球の南半球にはゴンドワナとよばれる巨大な大陸があり,それを大海洋がとりまいていた.アジア大陸はまだなく,大海洋にうかぶいくつかの地塊(ちかい)に分かれていた.
 日本列島の姿も,もちろんまだなかった.日本列島の基盤ともいわれる古い年代を示す岩石のうち,飛騨帯(ひだたい)の岩石は中朝(ちゅうちょう)地塊の一部をつくり,また,黒瀬川(くろせがわ)帯,南部北上(きたかみ)帯および阿武隈(あぶくま)帯にみられる古い岩石が,ゴンドワナ大陸のはしで形づくられていた.

 

日本列島の地帯構造

 日本列島の土台は,いろいろな時代の地層や岩石が帯状によせ集められてできている.
 プレートテクトニクスという考えによれば,中朝地塊(ちゅうちょうちかい)の南側にうまれた海溝(しずみ込み帯)にたまった土砂は,プレートのしずみ込みにともない複雑なしゅう曲と変成作用をうけ,つぎつぎと大陸側につけ加えられていった.日本列島の地帯構造は,このようにして形づくられたと考えられている.

 

日本最古の化石

 長いあいだ,シルル紀やデボン紀の床板(しようばん)サンゴや腕足(わんそく)類の化石が,日本最古の化石だと考えられてきたが,1980年以降,それより古いオルドビス紀の貝形虫(かいけいちゅう)や放散虫(ほうさんちゅう)などの微化石も発見されるようになった.
 これらの古い時代の化石は,はとんど,飛騨帯(ひだたい),黒瀬川(くろせがわ)帯および南部北上(きたかみ)帯などの古い地塊の岩石をとりまく,構造帯の石灰岩から見つかっている.

 

青石はかたる

 秩父帯(ちちぶたい)の岩石をはじめ,日本列島の土台の大部分は,古生代末から中生代中ごろまでにつくられた付加体(ふかたい)からできている.そこでは,おもにジュラ紀の砂岩・泥岩の中に,海洋プレートにのって運ばれてきた,より古い年代をしめす緑色岩(りょくしょくがん)やチャート,石灰岩などが,大小のブロックとなってはさみ込まれている.
 三波川帯(さんばがわたい)は,その付加体が変成してできた結晶片岩(けっしょうへんがん)類からなる地帯である.“阿波の青石”も,緑色岩が変成した緑色片岩である.

 

青石と緑色岩

 緑色岩(りょくしょくがん)類は,もともとは,海底火山活動によって噴出した玄武岩(げんぶがん)質の溶岩や凝灰岩である.それらは南の海で多数の火山島や海山をつくっていたが,ペルム紀からジュラ紀にかけて,つぎつぎと大陸側に付加された.
 緑色岩の一部は,その後,地下10数キロメートルの探さに引きずり込まれ,高い圧力の変成作用をうけた.青石はこうしてできた変成岩であると考えられている.

 

大陸の分裂と移動

 中生代になると,超大陸パンゲアの分裂と移動がはじまり,大西洋やインド洋,北極海が新しく生まれた.このことは,海域の分化や気候帯の変化をもたらし,海だけでなく,陸上にすむ生物にも大きな影響をあたえた.
 アジア大陸が形づくられ,その東のへりでの付加(ふか)作用によって日本列島の土台がつくられたのも,このような大陸の分裂・移動と深く関連したできごとだった.

 

四万十帯の成長

 白亜紀(はくあき)になると,堆積盆の中心はしだいに北から南へ移り,秩父帯(ちちぶたい)のさらに外側に付加体(ふかたい)がつくられた.ここでの付加作用は第三紀中新世(ちゅうしんせい)のはじめまでつづき,こうして,四万十帯(しまんとたい)がつくられた.
 そのころ,北の陸地でもいろいろなできごとがあった.中央構造線が活動をはじめ,白亜紀末にはそこまで海が広がり,和泉層群が堆積した.中央構造線より北側の陸上で,はげしい火山活動が起こったのもこの時期である.

 

和泉層群の化石

 和泉層群は,中央構造線の活動によって生まれた堆積盆をうめた,礫岩(れきがん)・砂岩・泥岩の厚い地層からできている.そして,東西300km以上にわたって細長く分布している.
 ここからは,白亜紀(はくあき)末のアンモナイトをはじめ,二枚貝,巻貝,コダイアマモなどの化石が見つかる.アンモナイトには,プラビトセラスやディディモセラスなど,和泉層群からしか知られていないものも多い.

 

勝浦盆地の地層と化石

 勝浦川流域から羽ノ浦町にかけて,秩父帯(ちちぶたい)の中・古生層を不整合におおって,白亜紀(はくあき)前〜後期の地層が分布している.
 最下部の立川(たつかわ)層は汽水性の環境を示し,シジミのなかまの貝化石や,ニルソニア,オニキオプシス,クラドフレビスなどの植物化石(領石〔りょうせき〕植物群)を産出する.立川層より新しい地層からは,三角貝やアンモナイトなど海生の生物の化石が見つかる.

 

四万十帯

 四国の四万十帯(しまんとたい)は,安芸(あき)構造線を境にして,北半部は白亜紀(はくあき),南半部は古第三紀の地層からできている.砂岩・泥岩を主体とし,チャートや凝灰岩などをともなう地層で,放散虫(ほうさんちゅう)などの微化石を除けば,アンモナイトや貝などの大型化石はほとんど含まれていない.
 宍喰(ししくい)町竹ケ島周辺にみられる古第三紀層の砂岩・泥岩の互層(ごそう)には,生痕(せいこん)化石や,流痕・漣痕(れんこん)などの堆積構造がよく残されている.

●宍喰の漣痕 [複製]
 海部郡宍喰町宍喰,古第三紀始新世
 国指定天然記念物
 県南の宍喰町周辺に分布する砂岩・泥岩の互層には,いろいろな堆積構造が残されている.「宍喰の漣痕」もそのひとつで,海底の水流が砂の表面に残した模様(漣痕)である.これは漣痕のなかでも舌状リップルとよばれるもので,左下から右上へ水が流れたことがわかる.

 

恐竜とアンモナイトの時代

 古生代末に絶滅したり衰退(すいたい)した生物にかわって,中生代になると,多くの新しい生物が発展した.陸上では裸子(らし)植物が生い茂り,爬虫(はちゅう)類,とくに恐竜類が全盛をきわめた.いっぽう,海の中ではアンモナイト類が大繁栄した.
 しかし,恐竜やアンモナイトをはじめ,多くの生物が中生代末にいっせいに姿を消した.この大量絶滅は,巨大隕石(いんせき)の衝突(しょうとつ)が原因であるとする説もあるが,まだ確かなことはわかっていない.

 

アンモナイトの進化

 アンモナイト類は,古生代デボン紀から中生代白亜紀(はくあき)末にかけて栄えた軟体動物頭足類(とうそくるい)である.実にさまざまなグループがあり,時代とともに,だんだん複雑な殻の装飾をもつものへと進化した.白亜紀には,変わった巻き方をしたものもかなりいた.
 アンモナイトは,オウムガイによく似た殻をもつ外殻性(がいかくせい)頭足類であるが,むしろイカやタコに近いグループだと考えられている.

 

地球を支配した恐竜

 “恐竜”は,爬虫(はちゅう)類の竜盤目(りゅうばんもく)と鳥盤目(ちょうばんもく)を合わせたよび名である.三畳紀(さんじょうき)に最初に現れた恐竜は,全長1mほどの小型のものだったが,ジュラ紀・白亜紀には20mをこえる巨大な種類も現れ,陸上に君臨した.恐竜のほか,翼竜(よくりゅう)や魚竜,首長竜(くびながりゅう)(鰭竜目〔きりゅうもく〕)なども中生代に栄えた爬虫類である.
 近年,爬虫類温血説や,鳥類が恐竜の子孫であるという説もだされ,話題をよんでいる.

●チラノサウルス全身骨格 〔複製〕
 アメリカ・モンタナ州,白亜紀後期
 原標本はアメリカ自然史博物館蔵
 白亜紀後期(約7000万年前)に北アメリカにすんでいた獣脚類(じゅうきゃくるい)のなかまの恐竜.このグループ最大で,体長15mあり,体重は約7トンと推定されている.
 2本指の前肢(あし)は退化して小さいが,がんじょうな後肢と尾,鋭い歯のついた上下の顎(あご)をもち,肉食で,他の草食の恐竜を捕食していた.チラノサウルスという名前は「暴君竜」という意味.

●チタノサウルス全身骨格 〔複製〕
 アルゼンチン,白亜紀後期
 原標本はラプラタ大学附属自然料学博物館蔵
 ジュラ紀後期から白亜紀後期(約1億5000万年前〜7000万年前)にすんでいた,竜脚類(りゅうきゃくるい)のなかまの草食性恐竜.学名の“Titano”はギリシャ神話の「巨人」に由来するが,その名前に反して,体長は7〜8mと比較的小型である.分布は広く,南アメリカ,ヨーロッパおよびアジア大陸から化石が見つかっている.

●チロサウルス頭骨
 アメリカ・カンサス州,白亜紀後期
 白亜紀後期(約8000万年前)の海にすんでいた,体長約9mの爬虫類(トカゲ類).モササウルスもこのなかまである.鋭い歯とたくましい尾鰭(おびれ)をもち,魚やアンモナイトを捕食していた.チロサウルス類のかみ跡のついたアンモナイトの化石も,時どき発見される.

 

四国島のはじまり

 第三紀中新世(ちゅうしんせい)のはじめ(約1900万年前),アジア大陸の東のはしに裂(さ)け目ができ,しだいに拡大して,そこへ海が入りこみ,日本海が生まれた.この変動により,それまでアジア大陸の一部だった日本列島は大陸から切り離され,弧状(こじよう)列島になった.
 このころの日本列島は広く海におおわれ,多くの島からできていた.四国が第一瀬戸内海によって本州から切り離され,“四国島”として歩みはじめたのもこの時期である.

 

第一瀬戸内海の生物

 中新世の中ごろ(約1600万年前),現在の山陰地方から中国山地をとおり東海地方にいたる一帯には,第一瀬戸内海とよばれる浅い海が広がった.この海にたまった各地の地層からは,同じような種類の貝化石が見つかるが,中にはビカリアやヒルギシジミなどの熱帯性の貝もふくまれている.
 このころの日本列島は,北海道まで黒潮があらう暖かな気候だったと考えられている.

 

カンカン石のふるさと

 香川県では,“カンカン石”とよばれ,たたくと金属質の音がする岩石が古くから知られている.これはサヌカイト(讃岐岩〔さぬきがん〕)という,黒色ち密な古銅輝石(こどうきせき)安山岩である.
 中新世中期(約1400万年前),第一瀬戸内海だった一帯は陸化し,サヌカイトの噴出で特徴づけられる火山活動が起こった.香川県のほか,大阪府・奈良県境の二上山(にじょうさん),愛知県の鳳来寺山(ほうらいじさん)などにも同様な岩石が分布している.

●パレオパラドキシア全身骨格 〔複製〕
 岡山県津山市上田邑(たむら),第三紀中新世(勝田層群)
 原標本は津山郷土博物館蔵
 中新世に北太平洋域の海岸近くにすんでいた,束柱目(そくちゅうもく)の海生哺乳類.デスモスチルスも同じなかまである.海成層から化石が見つかるので,おもに水中で生活していたらしいが,詳しい生態や復元については,研究者の間で意見が食い違っている.
 この複製は,1982年に発見された日本で3番目の骨格化石をもとに復元された.かなり年とったメスの個体だと考えられている.

 

中央構造線の発達

 中央構造線は,九州から関東まで1000kmもつづく,わが国第一級の活断層である.その活動は,和泉層群堆積前の白亜紀(はくあき)前期にはじまり,いろいろな時期に性格の異なる活動があった.現在,四国では,右横ずれが優勢な運動をしていると考えられる.
 県下の中央構造線は,阿讃(あさん)山脈の南縁を東西方向に切る,いくつかの断層群として認められる.それに沿って,土柱礫層(どちゅうれきそう)をはじめとする扇状地(せんじょうち)性の堆積物が発達している.

 

 

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