6 近代の徳島
江戸幕府(ばくふ)が倒れ,明治政府が成立したのち,1880年(明治13),阿波国は高知県から独立し,徳島県が誕生した.その後本県は,最大産業であった阿波藍(あい)の没落や,大正期の労働争議の発生をへて,昭和期の恐慌(きょうこう)と長く苦しい戦争の時代をむかえた.そして,太平洋戦争の末期には,徳島市はアメリカ軍の激しい空襲(くうしゅう)を受け,多くの犠牲(ぎせい)者を出した.
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徳島大空襲 満州事変(まんしゅうじへん),日中戦争,さらに太平洋戦争へと進むにつれて,戦争は国民の生活を圧迫した.男たちの多くは兵隊として戦場に送られ,学校では,女生徒にまで軍事教練(ぐんじきょうれん)が行なわれるようになった.そして,生活物資も不足し,配給(はいきゅう)制となった. ■空襲の被害
阿波おどり 阿波おどりのはじまりは,もともと徳島の城下町や,各地で行なわれてきた盆の精霊(しょうりょう)おどりが変化したものといわれている.
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