遺伝子汚染の実例:シオギク

 遺伝子汚染とは,本来野生生物の地域個体群が持っていない遺伝子が人為的な影響で導入されることである.たとえば,メダカやホタルなど別の地域にあったものを持ってきてしまうと違った遺伝子が地域個体群の中に取り込まれてしまう.生物多様性を保全する場合はそれぞれの地域の遺伝子をまもってやる必要があるので,この遺伝子汚染が起こらないようにする必要がある.
 植物の場合,雑種ができやすいので,種間の遺伝子汚染が起こることがたびたびある.
 ただし,ナカガワノギクとシマカンギクは野生状態で種間の雑種を作るが,これを普通は遺伝子汚染とは言わない.人為がからんでいない自然の営みだからである.しかし,本来の分布域の異なった下記のシオギクとノジギクの例では明らかに遺伝子汚染と呼ばれる例である.
 生き物は長い年月をかけせめぎ合いながら分布域を広げていく,その過程でナカガワノギクとシマカンギクのように分布域が接し,雑種を作り互いの遺伝子を取り込んでいくのである.ところが,シオギクとノジギクでは分布がほとんど接していなかったのに,それを人の行為が一気に分布域を接しさせてしまい交雑を起こさせたのである.その早急な変化はある生き物にとっては耐えられないものかもしれない.だから人為による雑種化は自然の営みによるものと区別され,できるだけ元に戻そうとするのである.

 次に注意しなければならないのは感情論である.できちゃったものを取り除くのはかわいそうという感情は誰でも持っているものであろう.とくにそれがかわいい動物であったり,きれいな花であったりすればなおさらである.しかし,よく考えてみていただきたい.何を守らなければならないのかを.雑種から元親を作ることはできないが,元親があれば雑種をつくることは可能である.元親は失ってしまったらもうなくなってしまうのである.誰もがやりたいと思っているのではないが,遺伝子汚染された雑種を取り除くのは必要な作業である.
 
 シオギクは徳島県南部,高知県南東部,和歌山県の海岸に分布するキクである.一方,イソギクは紀伊半島東部〜静岡県〜房総半島の海岸に生育するキクである.紀伊半島のものは両方の中間的形質があるのでキオクニシオギクと分けられる場合もある.イソギクもシオギクも花びらのように見える舌状花弁が欠けているのが,他のキクと大きく違った点である.


シオギク.全体の姿(左・中)と頭花(右).頭花にはノジギクのような舌状花弁は見えない.

ところが舌状花弁が欠けているはずのシオギクに舌状花弁があるものを目にする.しかも赤い舌状花弁をもったものまである.赤い色は日本の野生ギクには見られない色である.これらの舌状花弁の持ったシオギクは栽培ギクとの交雑によるものである.野生ギクの近くに栽培ギクがあると昆虫が花粉を運んで雑種をつくってしまう.特にキク属は雑種ができやすく,野生ギク同士でも簡単に雑種を作る.また,お地蔵さんに供える花のように野外に栽培のキクをいけておいただけで交雑した例も知られている.栽培することやお供えすることは悪いことではないが,このように思いもかけずに遺伝子汚染を引き起こしてしまうのである.


舌状花弁を持ったシオギク

高知県室戸市の室戸岬には大きなシオギクの群落がある.しかし,そこにも舌状花弁を持ったシオギクが見られる.


室戸岬のシオギク(奥)とノジギクとの雑種(手前)


室戸岬の場合は,高知県の花であるノジギクを本来分布していないところに持ってきたため,雑種をつくってしまったようだ.地元の人が毎年雑種を抜き取る作業をしているそうだが,一旦入り込んでしまったものはなかなか取り除くことはできず,苦労をしているとのことである.

高知県のキクの花を両方見せてあげたいという気持ちはわからなくも無いが,分布をむやみに変えてしまうと,かえって本来のものまで壊してしまうという戒めになる例である.


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