なぜ,生きものを絶滅から守らなければならないのか?

 最初に取り上げたとおり,人が地球上に現れるよりはるか昔から生きものは絶滅を繰り返してきました.それは自然の摂理といっても良いものでしょう.

 ではなぜ,生きものを絶滅から守らなければならないのでしょうか?現代の絶滅はそうした自然の仕組みの中での絶滅とは異なっています.自然の中では長い時間をかけて,ある種が減り,別の種が増えていきます.しかし,現代の絶滅は今までありえなかったスピードで起こっており,人の活動がその主たる原因となっています.このまま絶滅が続いてしまうといけないのでそれを止めようとしています.

ウマノアシガタやカンサイタンポポが咲き乱れる春の土手


 このまま絶滅が続いてしまうとどうしていけないのでしょうか?我々は身の回りの自然の恵みを受けて生活しています.それが生きものが絶滅したためにその恵みを受けられなくなってしまう場合があります.アメリカでは,オオカミが絶滅したために草食獣が増えすぎて,食害が大発生した例があります.別の地域からオオカミを導入することにより,草食獣が増えすぎることを防いでいます.国内でもシカなどによる食害で,農作物や林業に大きな被害が起こっていますが,これもオオカミの絶滅とは無関係では無いでしょう.

 また,生きものの成分は薬などに使われたり,植物の品種改良の際には原種と呼ばれる野生種が重宝されたりします.こうした遺伝子資源としての側面も生きものにはありますので,失われてしまうとそれを活用することができなくなります.

 こうした影響の全てを予測することは現在の技術でもできません.また,影響が表れるのに時間がかかるために,気が付いた時には手の着けようがないという事態も少なくありません.一旦,失ったものを取り戻すのはなかなか難しく,たとえできたとしても,時間や費用など莫大なコストがかかることを肝に銘じておかなければなりません.

 生きものが絶滅してしまうと我々も損失を受けるというのが上記の考えですが,別の視点としては,生きものは長い時間をかけて進化してきたものであるから,人間がむやみにそれを滅ぼしてはいけないという考えがあります.人も生きものの一つとして,他の生きものを尊重し共に暮らすべきだという考え方です.

 春にはよく草刈りされた土手でウマノアシガタやカンサイタンポポが咲き乱れている光景を目にし,園芸植物にはない安らぎを覚えます.こうした明るい草地はフジバカマなどの絶滅危惧種の生息地でもあります.絶滅危惧種を守ると言うことは,それが生息している周辺の環境も合わせて守るということです.

 よくよく考えてみると,今ではメダカやホタルなどが大切に扱われていますが,つい最近までは普通に見ることができたもので,その当時は当たり前のものだとたいして見向きもされなかったものです.人の価値観も一定ではなく,無くなりかけるとその貴重性に気が付きますが,そのときにはすでに遅く,次の世代には残らなくなっているかもしれません.自然のもつ豊かさは我々だけが享受するのではなく,次の世代に引き継いでいかなければなりません.そしてその自然の豊かさの元になっているのが生物多様性で,生きものを絶滅から守ることは,生物多様性の保全につながります.


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