◎2005年度 法花谷

  日 時:11月20日(日) 9:00〜13:00

  場 所:徳島市八万町 文化の森総合公園〜法華庵〜地神社・山神社〜三昧庵〜天満神社〜養老軒跡〜晒屋橋〜文化の森総合公園

 

※地図準備中

 

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(1)林道

文化の森駐車場の裏から林道を抜けて法花谷に向かいます。林道を抜けると山の斜面に橋本名の墓地があり、江戸後期の墓碑もいくつか見ることができました。

(2)法華庵(日蓮庵)

『八万村史』によりますと、「此の地には鎌倉時代に創建された法華寺の遺跡がある。延宝5年(1678年)の検地帳には『ほっけい谷』とある」と記述されています。今は寺町の妙永寺の末庵。管理をなさっている馬詰さんにお話をお伺いしました。手入れの行き届いたお庭が見事でした。

(3)宝塔
『八万村史』によると法華庵のある山上には古墳があり、明治10年(1878)の発掘で、石棺、刀剣土器数点、それと「何妙法蓮華経」を刻んだ石も出たそうです。のちに一字一石の経を記した塚を建て、発掘したものを埋めて宝塔、経塚としたとありました。
(4)地神塔

法花谷公民館の敷地内にあり、春と秋には祭礼も行われています(八万町の地神塔調査参照)。

(5)不動明王・地蔵菩薩像

道に沿った小さな塚の上で、見渡すように、見守るように建っていました。

(6)六地蔵
まだ新しい赤い涎掛けが印象的でした。近くの山の斜面に墓地がありましたが、墓碑に元禄年間(1688~1704年)の文字を見つけ、その古さに驚きました。
(7)山神社と謎の碑
落ち葉を踏みながら林の中に入ると、厳かに小祠が祀られていました。碑には「紀譽太萬命」とありました。
(8)法花谷の墓地と三昧庵
光明真言供養塔、六地蔵、など古い石造物も多く残っています。三昧庵は円福寺末、ご本尊は阿弥陀如来だそうです。
(9)天満神社
手入れの行き届いた参道を行くと山上にお社があります。この神社のおかげで法花・法花谷地方は落雷がないそうです。
(10)天満神社境内の新四国八十八箇所
『八万村史』によりますと「文政二年(1819年)の草創にて新四国ありたれども、現在なく、ただ、わずかに法花谷境内に一部仏体を存するのみ」とありました。なぜか同じ番号の札所が・・・・・・。
(11)養老軒跡
養老軒とは元禄期(1688~1704年)に仕置役の折下格左衛門が開いた別邸のこと。岩盤に穴を開けて園瀬川の水を引き入れて花や木を植え四季を楽しんだそうです。今もその名残を水路などにうかがうことができます。
(12)晒屋橋
晒屋とは木綿や麻布を白く晒す仕事。園瀬川という清流に恵まれ川畔一面に広げられた純白の布は当時の風物詩でもあったそうです。天保年間(19世紀前半)に二軒の晒屋があって、東の方の晒屋さんが自家用として杉板で橋を架け、一般の通行も認めていたのが名前の由来だそうです。昭和33年徳島市によってコンクリートの橋が架けられました。

 

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