☆晒屋橋(法花谷地区)
晒屋とは木綿や麻布を白く晒す仕事。園瀬川という清流に恵まれ川畔一面に広げられた純白の布は当時の風物詩でもあったそうです。天保年間(19世紀前半)に二軒の晒屋があって、東の方の晒屋さんが自家用として杉板で橋を架け、一般の通行も認めていたのが名前の由来だそうです。昭和33年徳島市によってコンクリートの橋が架けられました。
2005年度 法花谷へ戻る 八万の昔を探ろうトップへ戻る 博物館トップへ戻る