☆弁財天跡(金剛庵跡)
『八万村史』に嘉永七(1854)年椎野氏が寺跡に弁才天をまつった、とありますが、その嘉永年間より140年余り前である正徳年間の手水鉢ニ基ありました。仮に戦国時代に焼失したとしてもその後、(規模が小さくなったような形で)寺か庵として残っていたのかもしれません。
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