◎2006年度 長谷

  日 時:2007年3月18日(日) 9:00〜12:30

  場 所:徳島市八万町 文化の森総合公園〜金剛光寺跡〜弁財天跡〜カケの水神さん〜地神塔〜四王寺神社〜竹宮神社〜辻のお地蔵さんと廻国供養塔〜文化の森総合公園

 

 <この日歩いたコースのポイント> ※リンクをクリックするとさらに詳しいページに飛びます。

(1)金剛光寺跡(寺山)

 この地に金剛光寺があった可能性が極めて高いと考えられています。寺山という地名はここに大きな寺、つまり金剛光寺があったことによるものといわれています(ちなみに文化の森の住所は向寺山です)。正確な寺域や沿革は判っていませんが相当大きかったと考えられています。

 『八万村史』(昭和10年発行)に田圃の名前に「塔の下」「仁王田」などがあった、とあります。

(2)弁財天跡

 『八万村史』に、金剛光寺は戦国時代に長宗我部元親によって焼かれた、とありますがよく分かっていません。

 その後については、『八万村史』に嘉永七(1854)年椎野氏が寺跡に弁才天を奉った、とあります。名称は金剛庵、通称弁天さんと呼ばれていました。

 この弁天さんは家具を貸してくれるということで知られ、「家具貸し弁天」とも呼ばれていたそうです。昭和35年に火災にあって焼失しました。庵跡は草木が生い茂っている状態ですが、百度石・奉燈・板碑・五輪塔・小祠などを見ることができます。

(3)お不動さん

 仏典では最初大日如来の使者として登場、やがて大日如来が教化しがたい衆生を救うために憤怒の姿を仮に現したものとしています。もともとは園瀬川の堤防に建てられていましたが、改修工事によって堤防下の現地に移転しました。個人でおまつりされていますが、いつもきれいにお掃除がされ、シキミが立てられています。

(4)カケの水神さん

祭神 罔象女命 大山祇命

 『八万村史』によると、古くは勝占村大谷より上八万に越す阿津伊地越え(通称あづり越え)を経て八万町の西部を通過し、地蔵越えによって加茂名方面に出るというのが重要な交通路であったそうです。この中間に橋がかかっていたのでカケの名称が付いた、とあります。

 この水神様は、阿波富田藩の蜂須賀隆重が御殿造営に当って四か村の用水の水を庭園に導いたところ、水が枯れてしまったので、下長谷「風呂の下」の堤を掘って横土手を抜き、園瀬川の水で四か村の用水を補い、その取水口の上に水神社を祀ったそうです。石は佐古石(徳島市蔵本町医大裏山に産する良質の青石)。

四王子神社の飛地境内社。

(5)お地神さん

祭神 天照皇大神宮 大己貴命 少彦名命 埴安姫命 稲倉魂命(農業にかかわりのある五神)

台座 天保三(1832)年辰八月吉日

 地神社は、八万町ではほぼ地区ごとに建てられています。元は橋の近くのT字路にあったものを移転したそうです。祭日は春と秋の社日(春分と秋分に最も近い戊の日)。今もお餅やお酒を供え、神職さんによる祭礼が行われています。各家ではヨモギのお餅を搗いて町家の親戚に配ることもあるそうです。また長谷地区には、お地神さんだけの祭当屋があります。

(6)四王子神社

木漏れ日の中、荘厳なたたずまいを見せています。長谷の中央山腹にあり、境内には安永三(1774)年の手水鉢、慶応元(1865)年の狛犬、灯籠があります。

 御祭神は活津日子根命、須佐之男命が、天照大神の八尺勾玉に天真名井の水をふり漱いで、噛んで吹き出した息からお生まれになった四番目の神様です。

 秋の祭礼では、一時途切れていた勇み屋台、子供たちによる花相撲が復活して賑やか盛大に行われるようになりました。今も相撲の土俵跡が残っています。

 相殿には山の神様が祭られています。

山の神様の日に山に入ると、綺麗なお姫様が出てきて奥へ奥へと誘われていくそうな・・・。

(7)竹宮神社

 長谷中央右山麓にあります。祠は小さいですが、こちらもなかなか荘厳な趣です。

 『八万村史』によると、昔は滝宮(たきみや)神社と呼んでいたそうです。太平洋戦争中は武勇の神として拝められていたそうです。

 御祭神は建御雷神、記紀の国譲りの神話に登場したことで知られています。雷神、刀剣、武勇の神といわれています。

(8)回国供養塔

 納経塔の一種で全国に分布しています。回国供養とは、釈迦如来が亡くなってから弥勒菩薩(みろくぼさつ)が現れるまでの間、大乗妙典と呼ばれる法華経を保存する目的で、全国の六十六箇所の霊場に納経して回ることをいいます。この行脚僧を六十六部あるいは六部と呼び、回っていることを銘文にした塔のことを回国塔といいます。なぜこのような水路に面して立っているのか知りたいところです。

(9)辻のお地蔵さんと馬頭観音さん

 昨年の法花谷探訪の際、三叉路の盛り土にお不動さんなどが奉られていたのを目にしました。注目すべきは、長谷地区でも同じようにお地蔵さんと馬頭観音などがまつられている点です。このような形で在所に一箇所、特に三叉路などに信仰の対象となる場所があるのは、なかなか興味深いところです。近くに回国塔もあることからここが長谷の人々の祈りの場であったとも考えられます。

 

「八万の昔を探ろう」トップへ戻る   博物館トップへ戻る