☆回国塔

回国塔が確認できるほか、土に埋まっていて未確認のほかの石造物も多数ありました。どういう経緯でここに立てられたものでしょうか。なぜ埋まってしまったのでしょうか。

長谷の辻近く、川沿いに下半分が埋まった状態になっています。現状では上半分しか確認できませんが、明和年間に立てられた回国塔ではないかと考えられます。 拓本もとってみました。明和5年に立てられたもので、「當村惣講中」つまり、長谷の人びとと「讃州高松」の何者かがかかわって立てられたもののようです。「奉納大乗妙典日本・・」という銘文がみえます。
供養塔でしょうか? 「備中国小田郡」の地名(現在の岡山県笠岡市の一部)が見えます。向かって右側面には寛政年間の紀年銘もあります。

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