博物館ニューストップページ博物館ニュース016(1994年10月1日発行)Q.太平洋戦争の末期に、徳島などで・・・(016号QA)

Q.太平洋戦争の末期に、徳島などでアメリカ軍による原爆(げんばく)投下訓練が実施されたと聞きましたが本当なのでしょうか?【レファレンスQ&A】

歴史担当 山川浩實

A.1945年(昭和20)7月20日から日本の敗戦前日の8月14日まで、アメリ力軍によって、東北から四国に至る19都府県に、49発の模擬(もぎ)原爆が投下されました。目的は、軍需工場などを標的としたアメリ力軍の原爆投下の実戦訓練でした。この模擬原爆は、長崎型原爆フアットマンと同形・同重量といわれ、長さ3.5m、直径1.5m、重量4.5tの超大型特殊爆弾でした。アメリ力軍による原爆投下訓練の実態が判明したのは、最近のことで、1991年愛知県春日井(かすがい)市の「春日井の戦争を記録する会」が、アメリ力軍の「特殊作戦任務報告書」からその実態を調査したのが最初です。

この模擬原爆は、全体が黄色に塗装され、ずんぐりと丸い形状をしていたため、パンプキン(かぼちゃ)と呼ばれました。しかもこの模擬弾は、弾体を薄くして作られていたため、爆薬量が多<、通常の1t爆弾の爆薬量の4.5倍強に相当するという恐るべき強力な爆弾でした。パンプキンは、あまりに大きく、B29機の弾倉(だんそう)には納まらず、吊り下げて投下地点まで運搬したといわれます。
模擬原爆を投下したのは、マリアナ諸島のテ二アン島を基地とする第509混成軍団のB29戦略爆撃隊の特設部隊・8888部隊でした。この部隊は、パンプキンの投下にあたって、約9,000mの高度で、向かい風で標的(ひょうてき)に接近し、目視(もくし)投弾した直後、約155度の急旋回をして風に乗って退避する実戦訓練を行ったといわれます。
アメリ力軍の「特殊作戦任務報告書」によれば、徳島には8月7日(日本時間8月8日)パンプキンが1発投下されています。この場所は、残念ですが、現在はっきり分かっていません。
パンプキンは、弾体を薄くして作られたために、一度爆発すると、弾体は粉々(こなごな)となり、破片も残らないといわれています。しかし、全国でただ一つ福島市の瑞龍寺にパンプキンの大きな破片が保管されています。来年開催する当館の企画展に展示する予定です。ご期待ください。
 

カテゴリー

ページトップに戻る