博物館ニューストップページ博物館ニュース130(2023年3月25日発行)おふだからかつてのパワースポットを探索?!(130号情報ボックス)

おふだからかつてのパワースポットを探索?!【情報ボックス】

民俗担当 庄武憲子 

徳島県内には、江戸時代からの古いおふだがまとめて保存されている例があることは、令和3年度の企画展「徳島おふだコレクション~はらいたまえきよめたまえ~」で紹介させてもらいました。けれども、どこの誰が発給したか調べきれていないおふだが、まだたくさん残されています。機会あるごとに詳細不明なおふだを調べていますが、最近、新しい情報を確認することができたのでここで紹介します。

 徳島市名東町の元庄屋の家に残されたおふだの中に、「岩舩神」と記されたものが3種類ありました(図1)。あまり聞かない神名なのでどこにまつられている神様なのかと、まず徳島県内の神社を調べてみました。勝浦町に「岩舩(いわふね)神社」がありました。祭神は「日本武命(やまとたけるのみこと」、由緒を見ると「悪病除の霊験高く毎年八月一日悪病除祈願祭に参詣者多し」と記されています。おふだにも「岩舩神日本武命流病退散守護祈処」の文字があり、岩舩神のおふだは、この神社が発給していたと考えられます。ただ、現在は岩舩神社の名前やそのまつりの評判を聞きませんし、数年前に現地に行った時にはとてもひっそりとしていましたので(図2)、わざわざ徳島市内から参詣に行っておふだを受けるほどの神社だったのか半信半疑でした。

図1「岩舩神」と記されたおふだ3種

図1「岩舩神」と記されたおふだ3種

図2 岩舩神社(勝浦町棚野口立川)

図2 岩舩神社(勝浦町棚野口立川)

 その後しばらくして『神領村誌』を読んでいた時、慰安・娯楽、参詣の節に「岩舟さん」の記事があり、「作物を病虫害から守る神として、特に水稲の豊穣を祈りまた悪病除けのために昔から参詣に行く人が多かったが、最近はあまり行かない」とあるのに気付きました。これで、勝浦町の岩舩神社は、かつては離れた場所からでも参詣に行く神社だったのだと納得できました。

 再度、岩舩神社に足を運んでみると、勝浦発電所近くの道路から神社へ上がって行く道の登り口に丁石が残っていることを発見しました(図3)。多くの人が岩舩神社に参詣に来ていた痕跡です。かつての信仰の状況は、その習わしが廃れてしまうと忘れ去られてしまいます。古いおふだには、人びとの信仰をあつめ、霊験あらたかとされていたかつてのパワースポットの情報が詰まっていると思います。順次調べ続け、その成果を次の展示につなげたいと考えています。
図3 丁石「岩舩大神」の下に「左へ」「五丁」と記されています。

図3 丁石「岩舩大神」の下に「左へ」「五丁」と記されています。

<参考文献>
徳島県神社庁教化委員会 1981年 『徳島県神社誌』
名西郡神領村誌編集委員会 1960年 『神領村誌』

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