古墳には誰が埋葬されているんですか?

考古学は文字資料ではなく、物質資料から歴史を復元する学問です。そのため、『古事記』や『日本書紀』のような文字資料に依拠して、古墳に埋葬された人を推定するのは邪道と見なす考え方もあります。

ただ、文字資料の信憑性が増す6世紀以降は、ある特定の人物の墓であることがほぼ確かな古墳が多くあるそうです。

福岡県八女市にある岩戸山古墳には高校の日本史の教科書でも出てくる筑紫君磐井、大阪府高槻市の今城塚古墳には第26代天皇の継体天皇が埋葬されていることが、学術的にも確実視されています。そのほかでは、確実とまではいえませんが、奈良県明日香村の石舞台古墳には聖徳太子と一緒に推古天皇を支えた蘇我馬子が埋葬されていたなんて話も有名ですね。

逆に言えば6世紀よりも前の古墳に関しては、埋葬されていた人が確実にわかる古墳はそれほど多くないかと思います。例えば、昔は大阪府堺市にある「大山古墳(大仙古墳、大仙陵古墳)」は「仁徳天皇陵古墳」と教科書に載っていました。陵には「天皇・皇后の墓」という意味があり、仁徳天皇陵とは仁徳天皇のお墓という意味です。文献からみれば仁徳天皇のお墓だとみられていたため「仁徳天皇陵古墳」と表記されていましたが、考古学的な研究が進むとともに疑問視されるようになり、教科書には「大山古墳(大仙古墳)」や「大仙陵古墳」のように表記されるようになりました。

では徳島の古墳についてはどうなのでしょうか?

現状徳島において、埋葬されている人が解明されている古墳はないかと思います。

ただ、古墳には当時としては貴重なもの、例えば宝石でつくられたアクセサリー、中国から持ち込まれた鏡、刀や鎧のような武器・武具、などがおさめられており、それらから埋葬されている人の立場や生きた時代はある程度推測できます。

当館の展示資料でいえば、巽山古墳には腕輪型石製品や鏡が出土していることから司祭者的な人、恵解山古墳群には多くの鉄製武器や武具が出土していることから武人的な人、というように埋葬されていた人の立場的な性格を考えることができます。

また、基本的に古墳をつくるには大きな労力がかかるので、古墳をつくってもらえているという時点で当時それなりに偉い人だったと思われます。徳島県下最大で、四国でも2番目に大きい渋野丸山古墳の全長は105mもあり、造営には多大な労力がかかったことが容易に想像できます。埋葬されている人は県内でもトップレベルに偉い人だったといえるでしょう。

【参考文献】

松木武彦2019『考古学から学ぶ古墳入門』講談社

渋野丸山古墳.jpg渋野丸山古墳(徳島市)