ひな祭りと人形

 3月3日はひな祭りの日である。本来は上巳(じょうし)の節供(せっく)で、旧暦3月最初の「巳(み)」の日に神を迎えて行う祭日である。その神の形代(かたしろ)となるのが、雛(ひな)人形である。
 この日、多くの家庭で雛人形を飾る。雛段には内裏雛(だいりびな)だけではなく、官女(かんじょ)、五人囃子(ごにんばやし)などの人形と調度品が飾られ、菱餅(ひしもち)、白酒、あられ、桃の花、根付きのわけぎ、はまぐりの吸い物、ういろうなどが供えられ、食べられる。家族が連れ立って野山、川海で遊山(ゆさん)し、手提重(てさげじゅう)(徳島県域では遊山箱(ゆさんばこ)とも呼ぶ)に入れて持ってきた弁当を食べる。かつては、野山や川原に集まり、石を投げ合って模擬合戦をする子どもたちの姿があった。
 最近では、雛人形は家庭で飾られるだけでなく、町おこしのイベントにも活用される。勝浦町で毎年行われている「ビッグひな祭り」では、巨大な雛段が設けられ、おびただしい数の内裏雛をはじめ、市松(いちまつ)人形、武者人形、調度品などが飾られる。また、坂本地区、横瀬地区、生名地区など勝浦町各地では、家の前に雛人形や調度品を飾り、町並みを彩っている(写真1)。ここで飾られる人形は全国各地から贈られたもので、人形供養の後、飾り付けられている。
 現在の雛人形は、女の子の初節供などに贈られる豪華に飾り付けられた人形で、永年大切に保管されるものが主流になっている。だが、本来節供の日には、人形を形代(かたしろ)として神を迎え、その人形にのせて神送りをする。その際、人の病や災厄(さいやく)も人形にうつして流すのである。
 こうした流し雛の行事が各地で行われている。和歌山県紀の川市粉河寺の流し雛、和歌山市淡嶋神社の流し雛、岡山県笠岡市北木島の雛流し(写真2)、鳥取県鳥取市用瀬のひな送りなど類例は多い。たとえば、写真2の北木島の雛流しでは、竹串と紙でつくった人形を藁舟(わらぶね)に乗せて流すのである。節供に来訪した神を、桟俵(さんだわら)や舟に乗せて送るのである。送られる神は、人びとの病や災いを引き受けて去っていくのである。
 流し雛の習俗は、徳島県にもあった。紙でできた3寸(約9センチ)くらいの流し雛を家族の数だけ買ってきて雛段にまつり、3月3日の夕方にこの雛で体をなでた後、川へ流した。また別の例では、亡くなった人の雛をまつった後、川へ流した(林鼓浪・坂口あさ・小西英夫・飯田義資 1969 『阿波の年中行事と習俗の研究』五読会)。病や災厄をうつして流すという点では、他地域の流し雛に共通するものである。
 ところで、ひな祭りが終わるとすぐに人形を片付けなければならない、さもないと娘の婚期が遅れるといった伝承を聞いたことはないだろうか。この伝承が生まれた時代、娘の婚期が遅れることが災厄とみなされたため、こうした語りになったのであろう。高価な雛人形を毎年流す(捨てる)ことはできない。しかし、形代としての雛人形をそのまま放置しておくと災厄を家に残すことになる。したがって、「片付ける」ことで「流す」ことに替えるようになったのである。そのように捉えると、この不思議な伝承も説明がつく。
 
写真1 勝浦町坂本の「おひなさまの奥座敷」,2010年3月撮影
 
写真2 岡山県笠岡市北木島の流し雛,2010年3月撮影