書評 田辺悟著『民具学の歴史と方法』

書評 田辺悟著『民具学の歴史と方法』慶友社、2014年10月発行、慶友社、B6判297頁、定価3800円(税別)

 日本民具学会設立から間もなく40年を迎えようとしている。その間、いやそれ以前からだが、多くの先学があり、優れた研究があり、地道な活動が続けられてきた。そうした蓄積の結果であろう。澁澤敬三から発した「民具」という用語ないし概念は、広く一般に知られるものとなった。市民権を得たと言っても心許ない面はあるが、それでも、民具は収集、保管する対象であり、研究資料であり、教育的にも活用できることを、民具学を勉強したことのない多くの市民が知るところとなったのは、民具学にとって大きな成果であろう。
こうした民具学における活動の一翼を、いや中心的役割を長きにわたって担ってきたとも言えるのが著者田辺悟氏である。その著者が綴った「民具学の歴史」と「民具学の方法」が本書である。しかし、他の民具学史、民具研究の方法を対象とした概説書や研究書とはひと味違う切り口からのものである。
 本書の本論は、第一部「民具学の歴史」と第二部「民具学の方法」からなる。まずは本書の全体構成を紹介しよう。
 まえがき
 第一部 民具学の歴史
  1 民具学の航跡
  2 民具学の誕生とモース
  3 モース研究の民具学的視点
  4 日本におけるモース・コレクションの研究
  5 モースの民具コレクションの意義
  6 残存民具と残滓民具の迫間―幕末に民具を見据えた三賢―
  7 民具研究三五年の動向と展望
 第二部 民具学の方法
  1 民具学の方法(1)―方法論を考える―
  2 民具学の方法(2)―鎖状連結法―
  3 民具学の方法(3)―釣鉤の地域差研究―
  4 民具学の構図
  5 民俗学からみた民具学
  6 民具の定義
  7 民具研究と民俗学―北小浦における民具と生活―
  8 北小浦民具誌―風土の中の民具伝統―
  9 民具展示の今日的意義と構成
 初出一覧
 あとがき
 本書の大部分は、1975年から著者が綴ってきた論考の集成であるが、第1部の冒頭の「1 民具学の航跡」と第2部の「5 民俗学からみた民具学」は書き下ろしの論考である。民具学の出発点、民具学の形成過程について、アチック・ミューゼアムや澁澤敬三に関連づけて言及する研究は近年多い。ただ、民具学黎明期から民具学会発足の頃に至るまでの民具研究の動向や、その舞台裏を記述してくれる論考としては斬新である。
 本書冒頭の「民具学の航跡」では、「民具学の歴史」について「4つの視座」を示す。第1は、「文化財保護法とその改正にともなう『官』(国の機関)にかかわる視点からみた民具研究」、第2は、「文化財保護法をもとに、文化財保護委員会が、文化財行政を推進するにあたり、その運用、徹底を期し、地方自治体の協力を得た結果について」、第3は、昭和26年の博物館法の公布、第4は「民具研究をささえてきた出版社の存在、役割」とする。
著者は、民具学を、「澁澤敬三が育てた『民』の学問である」だけでなく、「澁澤は『官』による育ての親でもある」とする。民具学が、「『民』の学問」であることが強調される中、これまであまり顧みられなかった事実の指摘に重きを置く。民具学の発展してきた経緯を、戦後の「官」の主導によるものとし、さらに出版事情などを含む社会的な動向や地盤があって定着したという本書の主張は肯ける。
 民具学の、官(国や地方自治体等)主導の流れは、現在にまで続いてきたといえる。文化財保護法を根拠として有形民俗文化財(民俗資料)に分類されるようになり、博物館法を根拠とする施設に収集・保管され、民俗資料として活用されるようになってきた。 民具学の基本的方法として、比較研究が前提である。そのためには、さまざまな地域スケールにおいて、同一種の複数の資料が必要になる。研究者個人で地域においてそれだけの収集を行うことは困難であり、長期にわたって保管することはさらにハードルが高い。「官」主導の方向性での民具学の発展が、民具や民具学に市民権を与えることになったのは著者の指摘どおりだろう。そして、こうした発展を下支えしたのは、文化財保護委員会、あるいは後の文化庁の調査官や、自治体の文化財担当者、各地に建設された博物館の学芸員たちであった。「官」、すなわち国や地方公共団体等のパブリックセクターの動きが、民具学の形成過程、とりわけ研究資料である民具の収集、保管においては中心的な役割を担っていた。
反面的になるが、今日の民具の危機も、パブリックセクターの現況を反映したものにほかならない。地方公共団体等における予算削減、市町村合併、施設の老朽化、自然災害等の諸事情が、民具の収蔵、保管を危機的状況に至らしめていることは周知のとおりである。パブリックセクターが収集、保管する民具が何を語り、語らせることができるのかを、あるいは、民具が研究資料として、教育資料としていかなる社会的役割を担うことができるのかを普及していくことが、近年とくに求められている。バブル期に比べ財政的に弱くなった「官」が、民具(学)を下支えし続けるための意義と根拠を示していくことが、民具学関係者の役割のひとつになっている。あるいは、これまでの「官」とは異なる牽引者が必要な場合があるかもしれない。
 さて、本書のその他の主な論考についても触れてみたい。著者らの長年の研究によりながら、本書では、民具学の歴史の中でモースの民具コレクションの意義にも触れる。「民具」という用語が生まれる以前から、博物学的関心、あるいは進化論的思考から日本国内においてモノ(民具)を収集したモースの業績を評価する。将来湮滅するであろうモノを、将来に向けて収集、保管し、後世にいたっても過去の足取りを具体的に理解できる学術資料として活用できるものが、明治期にコレクションとして形成されていた。実際のコレクション調査からこの点を実証している。だからこそ、現在でも同様に、収集、保管は将来に向けて重要な投資的意味をもつことは言うまでもない。
 著者は、民具の分類について、循環型の概念図を描く。民具が本来の用途で使われなくなることを前提にした民具分類である。「残滓民具」「残存民具」「現代民具」の3分類である。「残滓民具」とは、過去に使用され、すでに本来的な実用品としての役割を終えた民具、「残存民具」は、現代社会においても、まだ日常の暮らしの中でその機能を果たしている民具とする。これに対し、「現代民具」は現在新たに製作され、継続的に使用される日常的な民具とする。そして、民具は「現代民具」から「残存民具」を経て「残滓民具」へ変わっていく過程が繰り返されるとした民具の変遷をめぐる定義である。
 こうした民具の定義、民具学の方法論に関する著者の関心は高い。たとえば、広域調査データから、文化圏、伝播を捕捉するにあたり、「鎖状連結法」を提示する。一つの民具の形態を指標とし、広域把握をした上での分析法である。本書では、釣鉤や貝製イイダコ捕り漁具を事例としてあげるが、その民具を指標とした「文化圏は『鎖状に連鎖』の形式をとりながら存在してきた」ため、「文化複合の鎖状連結的実在を『鎖状連結法』によって明らかにするめには、民具は有力な研究対象となりうる」とする。そして、「異なる形態の民具が分布」し、「文化圏の重なり合う鎖状連結地域は、民具研究の重要なキーゾーン」とする。すなわち、地域差を解き明かす実証研究のため、その問題の解答を引き出す鍵をもつ調査地点が、文化圏の重なり合う地点であるとする。1980年代に提唱された調査法であるが、現在の民具学での広域調査、分布調査においては、「鎖状連結」という用語こそ使わずとも、すでに基本として定着している調査・分析法であろう。
 広域での同一民具の比較研究の一方で、一地域における民具誌または民具の「構造的把握」という点にも言及する。「民具群」あるいは「民具のセット化」(後には「コレクション化」という用語も使われるが)について、もう少し厳密な意味での概念規定や共通理解が必要とする。1980年代の議論ではあるが、重要有形民俗文化財、登録有形民俗文化財の件数が増えた今日においても、実務的には同じ問題がつきまとう。
つまり、本書では「民具と民具の結びつきのほかに民具と自然史(風土)との結びつきがあり、また、民具を製作したり、使用したりする技術や、人と人との結びつきがある。」とする。そのため、構造論言語学における構造論同様の、平面的な捉え方には難点があるとする。では、「民具の立体的構造的なとらえ方や調査の方法」とは何か。民具の比較に限定せず、生活文化の移り変わりや変容の要素(素材)、生活文化の伝統を民具とともに見なければならないとする。その上で、全領域を網羅するのではなくとも、少なくとも本質において他地域との比較に耐えうるもの、比較が可能な研究成果を求める。やや抽象的な議論ではあるが、首肯できる内容である。ただし、やはり実務面での組み立てを考えると、途方もなく膨大な手続きが想像される。
 民具学の方法として、「民具学の構図」が示された論考も興味深い。「研究対象としての『民具』の存在と、それを使用してきた人間とのかかわりや、研究の領域に関する構図」は、考古学等の他領域と比べても独自性がある。対象(つまり民具)の構造的把握や体系化、方法の理論化は、「学」として不可欠である。ここでの著者による作業は、「民具」概念の、実態からの再定義にほかならない。本書は、機械でないという点、近代工業化により見いだされた動力源をもたない点、構造がブラックボックス化されていない点から、実態としての「民具」を定義した。
 本書ではさらに別の角度からも、「民具」という用語ないし概念の位置づけを試みる。「民具」を学術用語として、日常用語である「モノ」「道具」「生活用品」などと対をなしながら、一部では重なり合うものとして定義する。一方で、文化財保護法などに書かれる「文化財」などの用語、博物館学的な、あるいは博物館法上の「実物」「資料」などの用語がある。これらの中には、「民具」と同義のものも含むし、時にはその範疇をはずれるものもある重層関係がある。その傍らで、「民芸品」、「古物」などの用語で括られるモノの中にも民具に属するものがあるし、そうでないものもある。ただ、これらの領域をすべて包含する概念として、民具学、考古学等の枠を越えた物質文化(学)という概念が提示される。この物質文化(学)の領域は、民具を含む広範囲に及ぶ領域であるが、「民具」の概念の外枠を示すものであり、「民具」を相対的に位置づけて理解するには便利な捉え方であった。
 このように「民具」が定義され、民具研究が進展する中で、著者の「民具学の歴史」への目配せは、民具関係の書籍、雑誌の出版状況にまで至る。とくに、民具学黎明期からの日本常民文化研究所や、本書の発行者である慶友社をはじめとする書肆の動きが大きかったとして、民具学関連書籍の出版状況を評価する。
さらに、民具学の黎明期からの3種類の重要な出版物について触れている。日本常民文化研究所編、角川書店発行で、澁澤敬三の還暦を記念して昭和33年に世に出た『日本の民具』、昭和38年の澁澤敬三追悼記念出版である写真図録『日本の民具』(全4巻、昭和39~42年、慶友社発行)と、昭和43年創刊の『民具マンスリー』について触れる。2点目では、昭和44~47年の慶友社による『民具論集』(1)~(4)の刊行をあげる。そして、後の民具学にも大きな影響を与えた、宮本常一「民具試論」が掲載されている。3点目は、昭和45年頃の『民具辞典』の編さんである。これについては実現せず、後の、ぎょうせい発行の『日本民具辞典』まではしばらく時間を要することになったが、日本民具学会設立以前のこうした動きは意義深い。
 全体を通じての本書の最大の意義を述べるなら、民具学と民具学史、そして、その舞台裏まで見渡し、研究者だけではない、「官」を絡めた中から民具学が発展してきたことを把握し、整理した点にあろう。評者のように、民具学の黎明期、日本民具学会の設立期を直接知らない世代の研究者も増え、民具学の黎明期、設立期が、今や学史になろうとしている。本書の記述は、民具学の将来に向けた確実な布石となるだろう。