漁の神になった阿波の木偶

 阿波の人形師といえば、徳島市国府町和田の初代天狗久(1858~1943年)が有名である。人形師が製作した木偶は、人形芝居などで遣われるのが本来の役割である。天狗久ら往事を生きた人形師によって作られた三人遣いの木偶は、人形座などで保管され、修理されながら遣われ続けられるものも少なくない。
 一方、少し異なるかたちで現在も保管される木偶がある。瀬戸内海燧灘に、香川県観音寺市に属する伊吹島という島がある。明治以前から打瀬網、鯛網など網漁の島として知られ、島外へも出漁する多くのタビ漁師を輩出してきた。現在はバッチ網によるカタクチイワシ漁と煮干し加工を主な漁業とするイリコの島として知られる。バッチ網とは、二隻の漁船で網を曳き、中層を泳ぐ魚群を捕捉する大がかりな漁法で、漁場に恵まれた伊吹島では多くの漁獲をあげている。海岸に沿って浜には全部で18統(2010年現在)の網元が所有する煮干し加工場が、島の周囲を取り囲むようにある。浜から少し上がった丘に集落があり、網元を含め九百人あまりが暮らす。
 この伊吹島のバッチ網の網元の家々では、阿波の木偶は漁の神として祀られる。網元の家では、床の間や神棚にヨベッサン(エビス)とリョースケサン(良助または漁助)が祀られている。家によっては、須家(すや)と呼ばれる厨子に御神体として二体一対の木偶を納めて祀る。リョースケサンはヨベッサンの「家来」、「奴(やっこ)さん」とされる。なかには一対ではなく、ヨベッサンだけしか祀っていない家もある。が、いずれも豊漁や航海安全を祈念する神として、祀られているのである。
 では、この漁の神となった木偶はどこから来たのだろうか。網元の家では、一世代、二世代前に徳島県西部から毎年のように拝みに来ていた木偶まわしの芸人が置いていっただとか、そうした芸人に頼んで購入したなどと伝えられている。毎年鰯網の始まる五月頃に徳島県から来た木偶まわし芸人が、浜の加工場と丘のヨベッサンのある床間で木偶を舞わしていたという。ヨベッサンなどの木偶には、「ワダ天狗久」などの焼き印があり、天狗久により製作されたものであることが裏付けられる。
この木偶については、窪田利栄「木偶のヨベッサンとリョースケサン」、芝原生活文化研究所「でこまわし」などによる報告がある。木偶の内側に墨書された内銘によると、そのほとんどが昭和10年代に天狗久によって作られたものである。もっとも古いもので明治34年の天狗久の製作によるものがある。天狗久のほかには、天狗弁(1873~1969年)や人形忠(1840~1912年)による製作のものもある。一人遣い用として作られたのか、小型のものばかりである。
伊吹島の網元の家で祀られるヨベッサンとリョウースケサンの木偶は、そのほとんどが昭和10年代に作られた木偶であることから、木偶を漁の神として祀るようになったのは、その時代から始まった習俗である可能性が高い。また、それらの木偶は、木偶まわしの芸人を介在して入手したものであるようだということが聞き取りより明らかである。伊吹島の漁業や社会生活と結びつき、阿波の木偶は網元の家で漁の神として祀られる。

 写真1 網元の家の床の間に設置された須家の中で祀られるヨベッサンとリョースケサン。向かって右がヨベッサン,左がリョースケサン。(2010年11月撮影)  写真2 網元の家の床の間で祀られるヨベッサンとリョウースケサン。ヨベッサンのみ須屋の中に祀られる。(2010年11月撮影)