左義長
左義長、とんどなどと呼ばれる小正月の火祭りをご存じの方も多いだろう。この日、正月の注連(しめ)飾りや門松、紙札、だるま、書き初めなどを焼く。いや、焼くと言わず、神事(かみごと)であるため「はやす」と言う。元旦に迎えた歳神(としがみ)を、正月15日朝の左義長で送り出す、神送りの意味がある。海陽町宍喰浦竹ケ島の左義長を例に見てみよう。左義長の数日前から地区住民が浜に集まり、ヤマと呼ばれる構造物をつくる。海陽町では、便所の注連飾りなどをはやすとされる小さいヤマと合わせ大小2つのヤマをつくる。
太く長いモウソウチクを心柱にして立て、4方向から藁縄(わらなわ)や針金を張ってバランスを取る。心柱の周囲に木片、笹、シダ、マツの葉、スギの葉などを巻き付けてヤマを完成させる。心柱の先端部の竹の枝には、紅白三角形の色紙でつくったタンザクを多数結びつける。
完成したヤマには、その年の恵方に向かって拝むために祭壇が作られ、鏡餅、神酒(みき)、海の幸、山の幸などの供物が供えられ、鳥居と賽銭(さいせん)箱が設置される。左義長前日の夕方、地区住民はこの祭壇に詣(まい)って拝み、各戸から持ち寄った門松や注連飾り、紙札、だるまなどをヤマにおいて帰る(写真1)。
地区のヤマとは別に、1月12日夜に各戸で竹に紅白三角形の色紙をつけたタンザクを作り、13日の朝から家の戸口、軒下などで飾る(写真2)。左義長前日の14日の夕方、正月の飾りといっしょにヤマまで持って行く。タンザクを各家で作って飾るのは、竹ケ島の特徴ある習俗である。
翌朝夜明け前、地区住民が集まり、ヤマに点火し、はやす。ヤマに火が回ると心柱の竹を引き倒す。恵方向きに支える縄を針金とし、他の3本の藁縄が焼け切れ始めた段階でその年の恵方に向かって引き倒す。
左義長の残り火で、細い棒に刺して餅やみかんを焼き、これを食べる。残った炭を家に持ち帰り、餅などを焼いて食べると、その年健康に過ごせるとされる。また、灰を家の周囲に撒くとヘビ除けになるとか、魔除けになるといわれる。この左義長の火が神性を帯びるという意識から、こんな呪い(まじない)の習俗にも派生していく。
ところで、小正月行事の日にちの変動は大きい。旧暦で満月ごろの夜、または早朝にやっていた行事が、やがて月の運行とは関係ない新暦1月15日に変わった。その日が、戦後にはたまたま「成人の日」と同日になった。次の大きな変化が、2000(平成12)年以降のハッピーマンデーだった。左義長などの小正月行事も「成人の日」といっしょに3連休へ移されたところが多い。それどころか、早いところだと正月4日や5日に左義長、とんどを行うところもある。帰省した青年層、壮年層が地区内にいるうちにという配慮からであろうが、観念的には、かつて半月あった正月休みが短縮され、急いで神送りを済ませていることになる。
こんな風に見てみると、生活の中の身近な年中行事ですら、国の施策や社会情勢の変化の影響を受け、地域の事情に合わせて対応してきた結果、日取りを含めて移り変わってきたことが分かる。
写真1 竹ヶ島の左義長,2008年1月14日撮影 |
写真2 竹ヶ島の各家の前に立てられるタンザク,2007年1月14日撮影。 |