石仏信仰と人形

 地蔵尊、庚申塔(こうしんとう)、地神塔(じじんとう)、不動尊など路傍(ろぼう)の石仏は、民間信仰の対象であり、ムラや講、家などにより信仰され、祀られている。石仏信仰の祈りのかたちは、もともとあった信仰に加え、時代や地域ごとの現世利益(げんぜりやく)を求める祈願を付加したかたちに変化してきた。その祈りのかたちとして、形代(かたしろ)となる人形、神としての人形がつくられ、つかわれることがある。以降では、2つの事例を紹介したい。
 庚申塔に「身代わり猿」(赤布猿)を供える例がある。庚申信仰は、道教の三尸(さんし)の説に地域のさまざまな習俗が結びついたものである。江戸時代に建てられ、猿田彦(さるたひこ)や青面金剛(しょうめんこんごう)を本尊とするものが、現存する庚申塔には多い。三尸の説とは、人の体内にいる三尸(虫)が、庚申の日の夜に眠ると体内から抜け出し、その人の罪過を天帝に告げ、その結果、天帝はその人を早死にさせるというものである。そのため、長生きするためには庚申の日にみなが庚申堂などに集まり、夜を徹してお日待ちをする。
 では、この「身代わり猿」が庚申信仰に直接結びつくものかというとそうではない。むしろ、後に付加された信仰だと考えられる。写真1は、三好市池田町ウヱノの丸山神社境内にある庚申塔である。「身代わり猿」が縄に吊され、庚申塔に巻き付けられている。これは、祈願者の病などを移し、身代わりとする形代として供えられたもので、眼病治癒や疫病予防の祈願のしるしである。長寿を願う信仰に、眼病治癒(がんびょうちゆ)などの祈願の人形が付加されたものである。
 徳島県域の多くの地域には地神塔がある。地区ごとに地の神、農の神として祀られるものである。春秋の社日(春分、秋分に近い戌の日)には地神塔前には供物が供えられ、祭りを行う。神職らが訪れ、祝詞(のりと)をあげる地区も多い。その地神の祭りの際、木偶による三番叟(さんばそう)の奉納を行うことがある。こうした習俗は各地に江戸時代末からあったようで、「地神芝居」「地神木偶」とも呼ばれた。かつては、三番叟の奉納だけではなく、人形芝居を興じる地区もあり、賑やかな祭りだったようである。
現在でも社日に三番叟を奉納する地域の1つが、勝浦町久国地区である。地神に三番叟を奉納するのは、地元の勝浦座である。笛と鼓(つづみ)にあわせ、千歳(せんざい)、翁(おきな)、三番叟の順に地神塔の前で舞う。三番叟の舞には、足を上下に動かして大地の四隅を踏み固める所作がある。大地を踏みしめ、地下の魑魅魍魎(ちみもうりょう)を踏み鎮(しず)めるとされる(写真2)。地神信仰や社日の祭りに三番叟による呪術(じゅじゅつ)が結びついたためか、三番叟が社日に舞を奉納する習俗が付加されている。
 石仏信仰と人形のかかわりについて事例を紹介した。今回の事例に登場する人形も、病などを引き受けてくれる人形であり、あるいは神として現れ、鎮めの意味をもつ所作を行う人形であった。いずれの人形も、神性を帯びた存在であった。
 
写真1 三好市ウヱノの丸山神社境内にある庚申塔と「身代わり猿」,2010年12月撮影
 
写真2 勝浦町久国の地神塔前で社日に三番叟を奉納する,2010年3月撮影