東文研 無形民俗文化財研究協議会参加記

 去る2011年10月26日(金)、東京国立博物館平成館において、東京文化財研究所 無形文化遺産部主催で開催された研究協議会に参加しました。第7回無形民俗文化財研究協議会「記憶・記録を伝承する―災害と無形の民俗文化―」というタイトルで開催された研究協議会で、東日本大震災に関連したテーマとしては2年連続で行われたものだったようです。一参加者としてかかわっただけではありますが、たいへん興味深い内容だったため、ここで簡単に紹介してみたいと思います。
 発表者は、飯坂真紀さん(ふるさと岩手の芸能とくらし研究会)、小谷竜介さん(宮城県教育庁文化財保護課)、大山孝正さん(福島県文化財センター白河館)、長坂俊成さん(独立行政法人 防災科学技術研究所)の4方でした。在野の民俗芸能研究者、県の文化財担当者、財団運営施設の無形民俗文化財担当者、国の防災を専門とする研究所の研究員というさまざまな立場から、東日本大震災での津波や原発により被災した地域における無形民俗文化財のレスキューの取り組みについての紹介でした。
 飯坂さんからは、被災した民俗芸能の担い手の生の声を、飯坂さんたちの団体の会誌『とりら』に書いてもらい、現状を広く知ってもらい、応援しようという取り組みを、小谷さんからは、文化財担当者としての現場での葛藤とレスキュー対象の線引きに関するお話を、大山さんからは被災した民俗芸能の復活・継承の取り組みと現場の葛藤のお話を、そして、長坂さんからは311まるごとアーカイブスの取り組みと提案についてお聞きしました。総合討議では、この4方に加え、コメンテーターとして久保田裕道さん(儀礼文化学会)、齋藤裕嗣さん(東京文化財研究所)にコーディネーターの今石みぎわさん(東京文化財研究所)が加わって、白熱した議論が交わされました。
 会の中では、さまざまな問題やテーマが、それぞれの切り口から紹介されたわけですが、私自身話をお聞きしていて関心をもった点として、次の2点があります。1つは何をレスキューの対象と想定するのかという点であり、もう1つは対象となったものを、誰がどう管理するかという点です。
 1つ目の問題は、今回は民俗芸能や民俗技術といった無形民俗文化財が対象になるわけです。ただ、指定文化財であるか、そうでないかが、今回のように対象数が多いときの行政側の境界線となっているようです。理想をいえばすべてを対象とするということですが、現実には境界をつくらざるをえないそうです。それから、それぞれの対象には担い手がいるわけです。地域の生活基盤がなくなった状態で、民俗芸能だけ、技術だけをレスキューすることもまた、多くの矛盾をかかえることになるわけです。一方で復活した民俗芸能が精神的な支柱になる場合もあります。さらに関連して、そもそも無形民俗文化財を救うべきなのか、それとも民俗を救うべきなのか、つまり伝承をともなう生活そのものをという議論も出ました。こうなると、範囲は無限となり、現実には客観的な線引きは難しくなります。
 2つ目の問題は、この研究協議会の最後でも東文研を中心としたアーカイブを立ち上げようという宣言的なものがあったのですが、端的に言うとレスキューされた史資料がどこに行くのかということです。無形民俗文化財の場合、現地保存か、居を移した地元の人たちの手でしかおそらく復活することはできないでしょう。一方、それ以外にも無形の資料はあるという前提の話です。津波の被災地において、持ち主のわからないアルバムが大量に掘り起こされ、回収されたという話はマスコミにも取り上げられることがあったかと思います。これらの写真を公共のものとしてデータ化しようというのです。膨大な数の個人の写真から、その時代や社会の状況、それに付随する個人の記憶を記録しようというものです。著作権、肖像権など権利関係を解決した上での話ではありますが。
これが、311まるごとアーカイブスの取り組みの核になる部分だそうです。現地で保管できない、あるいは所有者すらはっきりしないが、資料的な価値があるとみなされる写真、それが個人の記録であっても重要な資料だとしての取り組みです。この先の展開を注視したいものです。
 とりとめもない話になってしまいましたが、こうした問題は徳島でも起こりうるし、もっといえば、日常の資料整理の延長線上にあった問題であって、非常時だからこそ余計に顕在化したようにも思えました。普段から、具体的に何を対象として、どのように処理するのか、いざというときに少しでも動きやすいよう、少しずつコンセンサスを築いていく必要性を感じました。