津田の盆踊りと精霊流し

 徳島市の津田の盆(ぼに)踊りでも人形が登場する。盆踊りの最後に藁(わら)人形を海に流し、盆に訪れた先祖の霊の精霊(しょうろう)流しとするのである。
 津田の盆踊りとは、徳島市津田地区で行われる盆踊りで、現在は月遅れ盆の新暦8月15日ころに行われる行事で、夕方から夜にかけて行われる行事である。踊りの行列が町内を練り歩く一丁廻りと、踊りの後、津田港で行われる精霊流しにより構成される。練り行列の「先導」は「津田の盆踊り」と書かれた旗をもち、えびす面をつけ、腰には巾着袋と藁草履をさげて進む。子ども踊り、男踊り、女踊りがその後ろに続き、「津田 子持ち組」と書かれた幟をもった女性と、「子持ち組」の面々が続く。「子持ち組」は、現在では実際の子ではなく、赤ん坊の人形を背負って踊る。だが、本来は子をもつ女性たちによって担われてきた。「子持ち組」の後ろにそのほかの踊り子が続き、最後尾に鳴り物がつく。鳴り物は、笛、三味線、大太鼓、鼓、鉦で構成される。一丁廻りの途中、一行は、町内数カ所で輪になって踊る廻り踊りをしながら進む。やがて、踊りの練り行列が津田港に到着し、廻り踊りをして一丁廻りは終わる。
 続いて港で行われるのが精霊流しである。精霊流しの際に中心になるのは「子持ち組」である。海に向かって迎え火を焚き、その手前に供物(くもつ)を供える。藁人形を背負い、迎え火の前に来た「子持ち組」の女性は、藁人形を迎え火の前に置く(写真1)。そのまま、迎え火の前で、「お父(おとう)もんてこいよ(戻って来いよ)、次郎やん必ずもんてこいよ」と海に向かって叫ぶ。その後、「子持ち組」全員で「もんてこいよ」と海に向かって叫んだ後、再びその場で廻り踊りを始める。このとき、「子持ち組」以外の者も踊りに参加し、狂喜乱舞する踊りになる。
 廻り踊りの後、「子持ち組」が岸壁沿いに一列に並び、藁人形を海に流し、祓いのため海に塩を撒き、全員で読経を行う。次いで、読経後に路上に一直線に塩を撒き、その上をまたいで通り、そのままふり返らずに帰宅する。
 以上が津田の盆踊りの一連の流れである。津田地区は、漁業と海運など海にかかわる仕事を主な生業としてきた。事故も多く、明治末までの帆掛船の時代にも多くの遭難者を出していた。出漁中、航海中の遭難で亡くなった夫や身内を呼ぶ一種の魂呼びとして行うのが、一連の盆踊りの中で行われる精霊流しなのである。
 そのとき送る死者を見立てたものが、迎え火の前に置かれた藁人形である。海で亡くなった身内の魂(死者霊)を一端呼び、その後の廻り踊りでは狂喜乱舞して生者と死者がとともに踊り、踊りが終わると再び藁人形にのせて海へと流し、死者を送り出すというのである。一端送り出した後は、死者への畏れのためか、塩をまいてふり返ることなく帰宅するのである。
 津田の盆踊りで登場する藁人形は、亡くなった肉親や先祖の霊が移して送り出すための人形であった。
 
写真1 精霊流しの一場面。「子持ち組」の女性が藁人形を迎え火の前に置く,2010年8月撮影
 
写真2 津田の盆通りで使われる藁人形(津田の盆踊り保存会製作,徳島県立博物館蔵)