博物館ニューストップページ博物館ニュース011(1993年7月10日発行)「魔よけ」をめぐるフォークロア(011号CultureClub)

「魔よけ」をめぐるフォークロア【CultureClub】

大阪大学文学部助教授 小松和彦

「いざなぎ流」との出会いから「のろい」研究へ

20年ほど前、大学院生だった私は、社会人類学的な調査をするため、剣山の南側の山村である高知県物部(ものべ)村へ出向いた。親族関係や村の社会構造などを研究するつもりだったが、調査を進めていくうちに憑(つ)き物の信仰があることを知った。興味を持って、さらに調査を進めていくと、「のろい」や陰陽道(おんみょうどう)のような信仰がその村に生きていることもわかってきた。そうした信仰を支えているのが、そこに伝わる「いざなぎ流」という民俗宗教であった。

当時、憑き物や「のろい」などを研究対象にしているといっても、まわりの研究者にはまともに相手にされなかった。しかし、そういうものがリアルに生きている「いざなぎ流」の世界は、私には、過去の日本人の精神生活を伝えているように感じられた。そして、これを追究することによって、いずれは日本文化全体を考えるための、大きな手掛かりが得られるはずだとも思えた。そのため、以後、物部村を調査地として研究を続けてきたのである。

ところで、「いざなぎ流」では、「すそ」ということばが頻繁に使われる。祭で読み上げられるいくつもの祭文のなかには、「すその祭文(さいもん)」というものもある。それを見ると、驚くべきことに、「のろい」をかけたり、返したりという、実におどろおどろしい物語が記されているのである。これは同時に、「いざなぎ流」の太夫(祈祷師(きとうし))には「のろい」をかける能力があるということを物語ってもいる(もっとも、実際に人をのろうと公言する太夫はほとんどいなかったが)。このことから、「すそ」とは「呪詛(じゅそ)」、すなわち「のろい」を意味していることがわかった。そして、そのような「のろい」の物語が公然と読み上げられていることに少なからず衝撃を受けると同時に、私は「のろい」が「いざなぎ流」のキーワードでもあると確信した。そうして、「のろい」に対する関心を深めていったのである。

「のろい」ばかりを強調しすぎたようだが、広く考えれば、「のろい」とは呪術(じゅじゅつ)あるいは宗教のー形態である。そして、呪術とは、神秘的な力を借りることで、人間の意志に基づき、世界を変えようとすることである。「のろい」について考えようとするなら、それを呪術の世界の中に位置付けることが大切なのである。

魔と魔よけ-その観念と方法

さて、呪術の性格を考えてみると、「招福(しょうふく)」と「除炎(じょさい)」のふたつの側面がある。前者は、積極的に幸運を呼び寄せようとすることである。後者は、災いや病気など、好ましくない状態から抜け出ようとすることであり、これを「魔よけ」と呼ぶことができる。ここでの主題は、後者について考えていくことである。

日本人は、好ましくない状態がもたらされた原因を魔によるものと考え、次のような3種類の説明をしてきた。まず、人間に不幸をもたらそうとする精霊の働きがある。2番目に、人間に害を与えるつもりのない精霊を人聞が怒らせたために加えられる制裁がある。これが「たたり」である。3番目は、人間が人間に対して神秘的な方法でしかける攻撃であり、これが「のろい」である。
こうした魔の働きに対して、人々はどのように対応してきたのだろうか。いざなぎ流神楽(高知県物部村宗石家〉

いざなぎ流神楽(高知県物部村宗石家〉

まず、貴族社会の例について見てみよう。『北野天神縁起』には、出産の場でのさまざまな魔よけの様子が描かれており、興味深い(「別冊太陽73占いとまじない』98-99ページ参照) 。その場面から、僧侶(そうりょ)や陰陽師(おんみようじ)による祈祷、武士が行う鳴弦(めいげん)の法(弓をビンビン鳴らす魔よけ法)などが行われていたことを知ることができる。武士が魔よけにかかわるというのは、奇妙なことと思われるかもしれないが、もともと武士は鬼や妖怪を退治する能力を備えた者だったのである。

いざなぎ流病人祈祷 (高知県物部村) 宗石家

いざなぎ流病人祈祷 (高知県物部村) 宗石家

また、民俗例から、民間における魔よけについて知ることができる(『別冊太陽73占いとまじない』128-131ページ参照)。例をいくつかあげてみよう。まず、蘇民将来(そみんしょうらい)札がある。蘇民将来とは、伝説上の人物の名である。午頭天王(ごずてんのう)が疫病を流行させたとき、以前、天王に宿を貸したことがあったため、救われた人物である。そこで、蘇民将来の子孫であるということを示す札を家の入口に貼れば、疫病などの災いをよけることができると信じられているのである。また、年や季節の変わり目に、目籠(めかご)という粗目の籠を軒下に飾ることもある。目がたくさんあることから、妖怪をおどかすために使われるのである。ヒイラギの葉のようなとげの多いもの、ニンニクや菖蒲(しょうぶ)、ヨモギのような匂いのきついものなども、とげや匂いが魔物を追い払う力をもつと信じられ、民家の入口に備えられる。そのほか、よく知られているように、尾根の上に鬼瓦(おにがわら)が載せられることも多い。恐い鬼の顔を備えることで、外からやって来る鬼を威嚇し、追い払うのが本来の目的である。

このように、家のまわりには、さまざまな魔よけの装置が備えられているのだが、それだけでは飽きたらず、屋内に護符(ごふ)が貼られることも多い。さらに、村の境界の魔よけとして、注連縄(しめなわ)が張られたり、魔物をおどかすために大きな人形が立てられたりすることもある。

描かれた鬼の姿 (長谷雄草子(模本))

描かれた鬼の姿 (長谷雄草子(模本))

以上のような、各種の魔よけが破られ、病気やさまざまな災いがもたらされた場合は、秩序を回復するための呪術が行われ、「魔」が追放される。この呪術は、山伏(やばぶし)や巫女(みこ)などの宗教者の手にゆだねられることが多かった。

現代と「のろい」、そして闇の世界の再発見へ

先に述べたように、「のろい」とは、人間が人間に不幸をもたらすもので、魔の一種である。このような「のろい」心は、すなわち恨み心であり、現代にもなお生きているものである。複雑化した現代社会の人間関係は、ストレスを生みだし、それが同時に「のろい」心をもっくりだしているのである。ひとりひとりが、「のろい」心に負けないよう、これを解消していく方法を見つけていくことが大切なのだと思う。
ところで、かつて日本人の生活のなかにあったものが、ギンギラの光に満ちた現代の生活からは失われてしまっていることに注意したい。言い換えれば、闇の世界がないということである。そのため、闇の世界の住人であり、魔の中心だった妖怪や鬼たちも姿を消してしまった。だが、本当は、彼らがいなくなったのではなく、人間が闇に対する想像力を失ってしまっただけのことなのだろう。今一度、闇の世界を見つめ、そこに妖怪などを見出していた人聞の姿や歴史を再発見していただきたいとも思うのである。

以上の文章は、平成5年度第1回企画展「祈り・のろい・はらい」 (平成5年4月20日~5月23日)の開催を記念して、4月25日に行われた講演(205名出席)の内容を、録音テープをもとにまとめたものです。(文責 当館歴史担当学芸員 長谷川賢二)

カテゴリー

ページトップに戻る