博物館ニューストップページ博物館ニュース011(1993年7月10日発行)Q「阿波のいただきさん」って・・・(011号QandA)

Q.「阿波のいただきさん」ってどんな人?どうしてそんな名前なの?【レファレンスQ&A】

民俗担当 福田珠己

A.昭和はじめごろまで、由岐町阿部(あぶ)、伊座利(いざり)など県南の漁村から、各地に海産物を行商(ぎょうしょう)した女の人たちがいました。この人たちが「阿波のいただきさん」とよばれた人たちです。白い脚半(きゃはん)にわらじをはいて、黒の手甲(てっこう)、木綿(もめん)の前かけをつけた「いただきさん」は、頭の上にかごや広いおけをのせていました。のちには、押し車や自転車など、車をつかつて運ぶようにもなりましたが、頭の上に商品をのせた「いただきさん」の姿は、徳島県内だけでなく日本各地で知られていました。前に、博物館でも「いただきさん」の人形を展示していたので、おぼえている人もいるかもしれません。

じつは「いただきさん」という名前は、この人たちのかっこう、特に、物を運ぶかっこうにちなんでつけられたものなのです。ものを頭の上にのせて運ぶことを、四国・近畿地方では「いただき」というのです。このようなものの運び方は、「源氏物語」にも記されているようにたいへん古くからあるもので、かつては、山村も舎め日本各地でみられました。瀬戸内海沿岸や南九州地方で、は「かべり」、伊豆地方では「ささげ」などと呼び名はちがいますが、各地でみられた運び方なのです。特に、女の人がこのようなやり方でものを運んでいたようです。また、このような運び方は、日本だけのものでもありません。たとえば、おとなりの国、韓国では、今でもよくみられるものです。

このようなやり方で、運ぶものは、たきぎや魚のほか、飲料水などもありました。頭の上にかめなどの容器をのせることができるので、液体を運ぶのにも適していたのです。また、狭い通路や険しい坂道に適した運び方でもありました。そのため、このような運び方は、狭い道が入りこんでいるような漁村を中心に、近年まで残っていたのかもしれません。

いただきさん

いただきさん

みなさんも、この伝統的な運び方にチャレンジしてみませんか?

カテゴリー

ページトップに戻る