Q.古代の土器にはどんな種類があるのですか?また、どのようにしてつくられたのですか?【レファレンスQ&A】

考古担当 高島芳弘

A.土器づくりは人聞が初めて知った化学変化であるとよく言われます。粘土を焼いて、より安定したものへと変えてしまったのです。

日本では、約1万2000年ほど前に土器づくりが始まりました。土器は、その使われた時代によって、縄文(じょうもん)土器、弥生(やよい)土器、土師器(はじき)などと呼ばれます。最初の縄文土器は、煮炊きを目的としたもので、底の深いものが多く見られます。弥生土器、土師器と新しくなるにつれて盛りつけや貯えなどの用途に適しだ形の土器もつくられるようになりました。

土器のつくり方については、遺跡から出土する土器に残された情報ばかりでなく、じっさいに土器をつくってみることで、新たにわかることも多いのです。これらを手がかりとして古代の土器づくりを復元してみましよう。

土器をつくる粘土は、古代の人びとがくらしたムラの近くで手に入れたものです。粘土のねばりけを調節するために、長石、石英などの鉱物が混ぜ込まれました。古い縄文土器のなかには植物の繊維が混ぜられたものもあります。粘土をよく混ぜ十分にこねて、ある期間ねかせました。

土器は、まず底にする円板を作り、ひも状にした粘土を積み上げて形づくられました。小さいものは底から口ぎで一気につくられましたが、大型のものは5・6回にわけて途中で乾かしながら積み上げられたようです。表面はヘラ、板材、貝殻などを使って削ったり、なでたり、磨かれたりしました。最後に縄文や櫛描文(くしがきもん)などの文様がつけられました。

十分に乾かされた土器は野焼きされました。地面を簡単に掘りくぼめるか、地面でそのままマキを燃やし、水分が上がらないようにして焼かれました。その温度は500℃から900℃くらいでした。時代のうつりかわりとともに、形や文様を大きくかえた土器ですが、粘土を積み上げてつくる方法と焼き方はほとんど変わらなかったようです。

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