博物館ニューストップページ博物館ニュース133(2023年12月1日発行)空海の修行地「大滝岳」はどこ?(133号 収蔵品紹介)

空海の修行地「大滝岳(たいりょうのたけ」はどこ? ―阿波国大滝寺所領注進状―

歴史担当:長谷川賢二

 讃岐(香川県)出身の僧弘法大師空海(774~835)は、平安時代に真言宗を開いた僧として有名で、「お大師さん」と呼ばれて親しまれています。今年は、彼の生誕1250年にあたることから、改めて関心が高まっています。

 ところで、空海は正式に出家する以前、四国で修行しました。彼の若き日の著作『三教指帰(さんごうしいき』の序文によれば、阿波の「大滝岳」が修行地の一つでした(図1)。

 図1 続日本後紀
 図1 続日本後紀

寛政7年(1795) 原著:貞観11年(869)承和2年(835)3月25日条に、淳和上皇による空海への弔書が載せられており、大滝岳での修行についても『三教指帰』から引用されています。
 
所在が書かれていないため、場所を特定できませんが、一般には四国霊場21番太龍寺が立地する太龍寺山(阿南市)といわれています。現在、太龍寺南西の「南舎心ヶ嶽(みなみしゃしんがたけ」には弘法大師坐像が安置されていますが、これは「大滝岳」の伝承地であることを示すものです(図2)。

図2「南舎心ヶ嶽」の弘法大師坐像

図2「南舎心ヶ嶽」の弘法大師坐像

 しかし一方では、戦前から戦後にかけて活躍した徳島の郷土史家・笠井藍水(1891 ~ 1974)のように、「大滝岳」を美馬市と香川県高松市の境界にある大滝山であるとした人もいました(笠井『四国地方郷土研究録』笠井出版部、1941年など)。笠井の場合、現在の美馬市脇町の出身だったことから、地元に引きつけて解釈したのでしょう。
 さて、「大滝岳」の伝承地にかかわる古文書として、「阿波国大滝寺所領注進状」(太龍寺蔵、当館保管、図3)があります。平安時代末期の康和5年(1103)、東寺(京都市)の末寺だった「阿波国大滝寺」の別当らが東寺に所領を報告したものです。「那西郡吉井・加毛」といった地名が見られ、大滝寺領は現在の阿南市吉井町・加茂町周辺にあったことがうかがえます。また、「大滝寺」は弘法大師の「初行霊山」とも記されており、当時「大滝岳」とみなされていたということでしょう。所領の場所をもとにすれば、この山は現在の太龍寺山で、大滝寺は太龍寺の前身とみられます。

図3 阿波国大滝寺所領注進状
 図3 阿波国大滝寺所領注進状

 
 空海の入滅からはだいぶ時を経ていますが、平安時代における「大滝岳」の伝承地が現在と同様であり、太龍寺の歴史が古いことがわかるという点で、「注進状」は重要です。

 

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