博物館ニューストップページ博物館ニュース037(1999年12月1日発行)Q日本で米づくりが始まったのはいつからですか(037号QandA)

Q日本で米づくりが始まったのはいつからですか。【リファレンスQ&A】

考古担当 天羽利夫

米づくりが始まったのは弥生(やよい)時代からと答える人がほとんどだと思います。全国各地の弥生時代の遺跡からは、立派な水田や水路そして木製の農具などが発見され、米づくりが一般的に行われていたことが証明されています。この米づくりは、北部九州で始まり、さらに関東地方から東北地方にまで伝えられたと考えられています。

 

徳島大学医学部構内から発見された弥生時代初めの水路(上)

徳島大学医学部構内から発見された弥生時代初めのせき (下)

徳島大学医学部構内から発見された弥生時代初めの水路(上)とせき (下)。 写真提供:徳島大学埋蔵文化財調査室

しかし、最近、考古学者の間では、米づくりは弥生時代より前の縄文(じょうもん)時代からすでに行われていた、と言われるようになりました。20年ほど前になりますが、福岡県福岡市にある板付(いたづけ)遺跡から縄文時代の終わりの頃の水田や水路が発見され、大きな話題になったことがあります。その水田はあぜで区切られ、水路にはせきがあり、弥生時代のものとまったく変わりのないものでした。
その後、佐賀県唐津(からつ)市にある菜畑(なばたけ)遺跡から、田を掘り起こしたリ、ならしたりする諸手鍬(もろてぐわ)や工ブリなどの木製の農具、農具を作る石器、そしてアワ、オオムギ、ソバ、アズキ、シソ、ゴボウ、ヒヨウタン、メロンなどの種子(たね)が大量に発見されました。この遺跡も板付遺跡と同じ縄文時代の終わり頃の遺跡だったのです。

このような発見によって、縄文時代の終わり頃、つまリ紀元前5世紀頃には、玄界灘(げんかいなだ)沿岸一帯で米づくりがすでに始まっていたことが明らかになりました。この地域は、朝鮮半島に近く、人びとの行き来がさかんで、大陸の文化をいち早く取り入れることができたのでしょう。
今年の1月のことですが、高知県土佐(とさ)市にある居徳(いとく)遺跡から木製の鍬(くわ)が発見されました。縄文時代の終わり頃のものです。香川県や愛媛県からも同じ頃に作られた木製の農異が発見されています。いかに早いスピードで米づくりが伝わったか、おわかりいただけるでしょうか。
徳島県では、今のところ縄文時代に米づくりが行われていたことを証明する発見はありませんが、弥生時代の初めには米づくりが行われていたことが明らかになっています。三好(みよし)郡三好町にある大柿(おおがき)遺跡からは全国で珍しい棚田(たなだ)が発見されています。また、徳島市蔵本(くらもと)町の徳島大学医学部(いがくぶ)キャンパスにある庄(しょう)・蔵本遺跡からは何本もの水路が発見されています。
今までの話は、縄文時代の終わリ頃から明らかに水田で米づくりをしていたということですが、最後に縄文時代のもっと古い時期にイネがあったという話をしておきます。

今年4月、岡山理科大学がショッキングなことを発表しました。それは、岡山県岡山市の朝寝鼻貝塚(あさねばなかいづか)の発掘で、6,000年前のイネのプラントオパールを発見したというのです。プラントオパールは、植物体の細胞の中にケイ酸が蓄(たくわ)えられてガラス質の組織のまま残った物で、植物によって形が異なっています。イネのプラントオパールが発見されたことによって、イネがその時代にあったことになります。日本にはイネが野生していなかった訳ですから、ヒトが持ち込んだと考えられます。それまで、イネのプラントオパールは岡山県や鹿児島県の縄文時代の遺跡からつぎつぎと発見されていたのですが、こんなに古い時期のものは初めてです。

イネのプラントオパールの発見からだけでは、イネがどのように作られていたのかはわかりません。縄文時代の米づくりがしだいに明らかになってくるのが楽しみです。

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