板碑【館蔵品紹介】
歴史担当 長谷川賢二
板碑は、中世に石を板状に加工してつくられた供養塔で、死者の追善供養や、生前のうちに死後の往生を願うことを目的にたてられました。中世の日本では、各地で特色のある板碑がたてられており、徳島県内でも、2,000~3,000基(年号のわかるものは200基余り)が確認されています。全国的にみても、これほど多数の板碑が集中している地域は埼玉県や大分県、宮城県などを除くとあまりなく、徳島県は中世の板碑文化の中心地のひとつだったといえます。
徳島県内にみられる板碑の多くは、頭部が山形になっており、その下に二本の切り込みが入っています。さらにその下の塔身部には、仏像や梵字(ぼんじ)などの標識、たてた人の名、たてた目的や年号が刻まれています。標識の形態によって、(1)名号(みょうごう)板碑(「南無阿弥陀(なむあみだぶつ)」と刻まれている)、(2)種子(しゅじ)板碑(阿弥陀如来(にょらい)や大日如来などの仏菩薩を表す梵字が刻まれている)、(3)画像板碑(仏や五輪塔などの画像が刻まれている)と分類することができます。分布する地域はおもに吉野川の流域で、材質は青石(緑泥変岩)でできているものがほとんどです。
以上のような板碑は、中世の人々の信仰や、人々の結びつきなどを知る手がかりが得られる貴重な資料です。
さて、当館では、県内の板碑のうち、特徴的なものを選んで、実物を借用したり複製品を製作して、展示しています。また、徳島県博物館学術奨励基金による助成研究の成果である、神山町や石井町の板碑の拓本も収蔵しています。ここでは、現在複製品を製作して展示しているうちの1基を紹介しましよう(図1は原資料)。
図1 阿弥陀画像板碑
この板碑は、名西郡神山町広野長瀬の旧上山(かみやま)街道の峠にあり、神山町指定文化財となっています。地上長は約1.6メートルに及ぶかなり大きなものです。表面には、阿弥陀如来が浄土に往生(おうじょう)しようとしている人を迎えに来る様子を描いた絵(来迎図(らいごうず))が刻まれています。民俗学の成果によれば、峠は現世と来世との境界であると意識されたといわれます。阿弥陀如来の迎えを描いたこの板碑も、そのような感覚を背景として峠にたてられたのかもしれません。
現在は表面の剥離が激しいため、はっきりと読みとるのは困難ですが、銘があり、南北朝時代の応安6(1373)年にたてられたことが記されているようです。応安は、北朝の年号なので、当時の政治勢力の動きを知る手がかりにもなるのです。
(歴史担当 長谷川賢二)