うだつの町なみを歩こう【野外博物館】
著者名
民俗担当 庄武憲子
うだつのあがった家をご覧(らん)になったことがあるでしょうか?
うだつは、いつどこで現れたのかよくわかって いませんが、「洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)」に描かれた家屋に、うだつの起こリをみることができ、中世の末頃に京都の町屋(まちや)から発展したと考えられています。お隣(となり)の国、中国にも、うだつのあがった民家形式があリ、日明貿易(にちみんぼうえき)の結果、堺を通じて大阪の町屋にうだつの構造が取り入れられたとの考えもあります。
中世のうだつは、板葺(いたぶき)や草葺(くさぶき)の屋根の両妻(リょうづま)を一段高くあげたものであって、風の影響を受け、壊れやすい屋根の部分の補強を目的としてできたと考えられています。江戸時代に入ると、屋根は瓦葺が多くなり、壁も漆喰(しっくい)をぬった白壁の家がでてきます。同時にうだつも漆喰でぬりかためられ、防火の役割も果たすと考えられるようになりました。また江戸時代後半から明治期にかけて庶民に経済力がついてくると、多くの土地で、様々な意匠(いしょう)をこらしたうだつがあげられるようになりました。こうして、うだつは、家の隆盛(りゅうせい)を示す象徴の意味も、持つようになりました。
徳島は、知られているように、江戸時代から明治時代にかけて藍の商いを中心に大変繁栄した所でした。そのためでしょうか、県内にはうだつのあがった家を多く見ることができます。特に目につくのは、吉野川の流域の町です。
うだつを探して見て回ると、うだつにのせた屋根のかたち、うだつの高さ、厚さ、模様など様々な型があり、比べてみると非常に面白いものです。また、うだつのあがった家のある場所の多くは、かつての町なみの面影(おもかげ)を残していて趣(おもむき)があります。散歩がてら、うだつを眺(なが)めてみてはいかがでしょうか。
なお博物館では、11月21日と、1月8日に普及行事として井川町辻と、脇町の南町を歩きます。興味のある方は是非ご参加ください。
脇町南町で一番古いとされるうだつ。厚みがあり、防火の役割を果たしていたと考えられる。
井川町次の入母屋(いりもや)うだつ
貞光町のうだつ。「鯉の滝登り」のこて絵が描かれている
池田町のうだつの町なみ
雲南省四双納の民家。日本のうだつとよく似たものがある。ここでは「馬頭」と呼んでいる。