恐竜だけじゃない、徳島県勝浦町の化石たち【CultureClub】
地学担当 小布施彰太
はじめに
徳島県勝浦町では、2018年に恐竜化石含有層(がんゆうそう)(いわゆるボーン・ベッド)が見つかって以来、当館が中心となって本格的な発掘調査が行われています。この恐竜化石含有層は、約1億3000万年前(前期白亜紀(はくあき)と日本の恐竜化石の産出層としては古い時代のものの一つで、日本の恐竜研究において大きな意義をもたらしています。発掘の成果として、恐竜化石が総計21点発見されており(2022年9月現在)、徳島県は四国・中国地方において最大の恐竜化石の産出地となっています。そんな勝浦町の恐竜化石含有層ですが、見つかる化石は何も恐竜だけではありません。
カメ類の化石脊
脊椎(せきつい)動物(背骨のある動物)の中でも最も多く発見されるのがカメ類の化石です。カメ類の体
を覆(おお)う頑丈(がんじょう)な甲羅(こうら)は、いくつものパーツが組み合わさってできており、それがバラバラになったものが化石としてよく見つかります(図1)。発掘現場からは少なくとも3種類のカメ類の化石が見つかっており、中でも「スッポンモドキ科」というグループのカメ類は、勝浦町から見つかっている化石が世界でも最も古い記録になります。スッポンモドキ科のカメ類は、現在はオセアニア(オーストラリアなど)のみに生息していますが、化石種は前期白亜紀のアジアに出現し、その後世界中に広がっていました。勝浦町で見つかる最古のスッポンモドキ科化石はこのグループの起源に近いと考えられ、その進化を探る上でとても重要となります。
魚類の化石
次に多く発見されるのが魚類の化石で、特に「ガノイン鱗(りん)」とよばれる鱗(うろこ)がよく見つかります(図2)。「ガノイン鱗」は厚みがあり、表面がエナメル層に覆われているのが特徴で、今でもアリゲーターガーなどのいわゆる“古代魚”と呼ばれる魚類に見られます。見つかっているガノイン鱗は、形の特徴から、ひし形のシナミア型と突起が多いレピドーテス型に分けられます。またそれ以外にも、サメやエイのような軟骨魚類の化石が見つかります。ヘテロプチコダス(Heteroptychodus )という学名が付けられた、淡水(たんすい)や汽水(きすい)に生息するサメ類の歯の化石です(図3)。その特徴的な丸い歯は、かたいものを砕(くだ)くのに適しており、よく似た歯を持つ現生のネコザメやトビエイの仲間が貝類(かいるい)や甲殻類(こうかくるい)を食べることから、ヘテロプチコダスもそれらと同じような食性をしていたと考えられています。
ワニ類の化石
発見されている数は少ないですが、大きな意味合いを持つのがワニ類の化石です。ほとんどが歯の化石ですが、体の骨の化石も見つかっています(図4)。ワニ類の顎(あご)には、獲物(えもの)に突き刺すための円錐(えんすい)錐形の歯がたくさん並んでいます。歯は生きているうちには何度も生えかわり、そうして抜け落ちた歯が化石としてよく見つかります。ワニ類の化石は、当時の気候などの古環境(こかんきょう)を知る上で大きな手がかりとなります。現生のワニ類のほとんどは、熱帯や亜熱帯などの一部の地域にしか生息していません。これはワニ類が温度に敏感で、涼しい気候の下では生きていけないからです。この特性は、ワニ類の化石種においても同じであったと考えられています。つまり、ワニ類の化石が見つかるということは、その地域がそれらも生息できるような高い気温の環境であったという証拠になるわけです。
おわりに
これまで紹介してきたように、勝浦町の約1億3000万年前の地層からは、恐竜を含めた多様な生き物の化石が見つかっています(図5)。当時の生物相(せいぶつそう)を明らかにし、他の地域との共通点・相違点を見ていくことで、その場所がどのような環境にあったのか、また古生物の進化においてどのような役割があったのか、ということを解き明かしていくことができます。勝浦町の恐竜化石発掘調査は引き続き行われていきますので、これからも新しい発見にご期待ください。
図5 復元された勝浦町の1億3000万年前の環境(画:山本匠)