博物館ニューストップページ博物館ニュース019(1995年6月25日発行)Q.徳島にもたくさんの古墳があると・・・(019号QandA)

Q.徳島にもたくさんの古墳があると聞きますが、なぜ古墳をつくったのですか。【レファレンスQ&A】

考古担当 天羽利夫

古墳のイメージイラスト

古墳のイメージイラスト

A.考古学では、3世紀後半から7世紀にかけて、大きく土を盛ってつくられた墓のことを古墳と呼んでいます。

徳島県内にはおよそ1,000基の古墳があるといわれていますが、徳島市西部の鮎喰(あくい)川流域や鳴門市大麻町から板野郡板野町一帯の阿讃山麓にたくさんつくられています。

古墳には、丸い形の円贋や四角い形の方墳、円墳に三味線のバチをくっつけた形の前方後円墳などがあります。前方後円墳には、大阪府堺市にある大仙(だいせん)古墳(仁徳陵(にんとくりょう)古墳)のように、長さが486mもあるものもあり、まるで山のように大きく、全体の形は空からでないとわかりません。普通は、直径10mから20mぐらいの円墳がほとんどです。

古墳には、死者を埋葬した施設があります。死者の2~3倍もある長い丸木をくり抜いてつくった棺を中央におき、その棺を包むように石室を築き、死者のまわりには鏡や刀剣、玉などたくさんの副葬品をそなえています。

このように大きな古墳に葬られた人物は、その地域を支配する首長であったと考えられます。古墳が大きければ大きいほど、また副葬品の種類や量が多いほど、埋葬された人物の権力が強いことがうかがわれます。古墳は、権力者のシンボルとしてつくられたといえます。

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