博物館ニューストップページ博物館ニュース127(2022年6月15日発行)幻の三角縁神獣鏡!?(127号Culture Club)

幻の三角縁神獣鏡 !?【Culture Club】

考古・保存科学担当 植地岳彦

はじめに

 

筆書は、当館が所蔵する「守住家資料(もりずみ」の「古鏡帳(こきょうちょう)」の中に、古墳時代の青銅鏡「三角縁神獣鏡」を描がいた図があることを確認しました。三角縁神獣鏡は、主に3世紀~4世紀(古墳時代前期)の古墳から出土する青銅製の鏡です。直径20~23㎝程度の円形で、縁(ふち)の部分の断面が三角形であること、背面に神や獣(けもの)の像が表現されていることが特徴です。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」』で、邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)の使者が魏の皇帝(こうてい)からもらった「銅鏡百枚」の鏡であるという説もあります。日本国内ではおよそ500面が出土していると言われており、徳島県内では4面が現存しています。図は、三角縁神獣鏡としての特徴が理解できるほど丁寧(ていねい)に描かれているほか、その由来や図の作者に関する情報が注記されており、徳島に現存する4面の鏡とは異なるもののようです。

図1 三角縁神獣鏡図の部分名称
さて、この三角縁神獣鏡図は、どのように評価できるか、考古学的な情報に照らし合わせ探ってみました。

三角縁神獣鏡図の特徴

「古鏡帳」は、20面以上の古い鏡図を集めた冊子で、三角縁神獣鏡図は2枚(図2、図3)あります。
一部に描写が異なる部分がありますが、神像(しんぞう)や獣像(じゅうぞう)の数など特徴的な部分は共通していることから、同じ鏡の図と考えられます。

図2 銅鏡図1図2 銅鏡図2

両図の特徴

  1. 鏡背面(きょうはいめん)図内区(ないく)には、頭を中心側に向けた3つの神像と3つの獣像が交互に配置されています。
  2. 鏡背面の内区と外区(がいく)を分ける獣文帯(じゅうもんたい)は、6つの小乳(しょうにゅう)で区画され、その間には四角形の囲いの中に、一文字ずつ「天」「王」「日」「月(日ヵ)」「日」「月(日ヵ)」の文字と獣像が配置されています。
  3. 断面図から、鏡の縁の断面が三角形になっています。

これらの特徴から、両図は三角縁神獣鏡を描いた図と判断できます。神獣像の描写や銘文(めいぶん)などの特徴から、「三角縁獣帯三神三獣鏡」などと呼ばれる銅鏡で、徳島県内で確認されている三角縁神獣鏡とは異なるデザインです。図の鏡と文様構成が似ている三角縁神獣鏡は、国内で6面が確認されており(表1)、これらの鏡と同笵鏡(どうはんきょう)(同じ鋳型(いがた)でつくった鏡)の可能性があります。また、細かい部分まで丁寧に描写する図2に対して、図3はやや省略した表現があることから、図3は図2を模写したのではないかと考えられます。

表1 古鏡帳の「三角縁神獣鏡図」と構成が似ている鏡の一覧。これらは同笵鏡と考えられている。

注記内容

両図には、鏡に関する情報が文字で記載(きさい)されています。図3の注記は図2より少なく、内容を省
略したもののようです。注記の概要(がいよう)は次の通りです。

  1. 1868年(明治元)の夏に、八幡宮(現在の宇志比古(うしひこ)神社、鳴門市大麻町)の裏山から、大量の矢根(やのね)(鏃(やじり)))が出土した。
  2. 鏡を描き写した当時は、板野郡大谷村に所在する東林院が鏡を所蔵していた。
  3. 池谷(いけのたに)(鳴門市大麻町池谷)で詮之介(せんのすけ)が描き写した。

注目すべきは、注記が示す場所で、鳴門市大麻町に所在する宇志比古神社の北側にあたります。
また、当時この鏡を所蔵していたとされる東林院は宇志比古神社に隣接しています。この場所は、阿讃山脈南麓(あさんさんみゃくなんろく)の東部に広がる「鳴門板野古墳群」の範囲内です。同古墳群では、古墳時代前期から前方後円墳をはじめとする古墳が多数造られましたが、三角縁神獣鏡に関する情報は少なく、板野町吹田(ふきた)で破片一点が採集されたのみです。仮に本図に描かれた鏡が、東林院・宇志比古神社周辺にあった古墳の副葬品であったとすると、鳴門板野古墳群での三角縁神獣鏡出土例として注目される資料になります。

図を描いた「詮之介」は洋画家の守住勇魚(もりずみいさな)の本名で、幕末から明治の前半にかけて活躍したやまと絵画家の守住貫魚(つらな)の子です。守住貫魚は、おりにふれて古器物や同時代の道具等を描き、いわれのある石や貝などの自然物もあつめた好古家(こうこか)としても知られています。詮之介も貫魚と同様に、珍しい「もの」を図に描いて記録したのでしょう。

幻の三角縁神獣鏡!?

2枚の鏡図は、発見の時期や場所が具体的に注記され、その内容は現在の考古学的な視点でも矛盾がなく、徳島でかつて出土した銅鏡を描いた可能性が高いと言えます。残念ながら、現在この図に描かれた銅鏡は行方不明となっており、まさに「幻の三角縁神獣鏡」と言えます。本図に描かれた三角縁神獣鏡が、再発見されることを切に願うばかりです。

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