博物館ニューストップページ博物館ニュース135(2024年6月15日発行)Q .住所にある「郡」とは、どのようなものですか?(135号QandA)

Q.住所にある「郡」とは、どのようなものですか?【レファレンスQandA】

 歴史担当:小林篤正

A. みなさんが住んでいる場所は住所で表示されます。住所には、主に都道府県、郡市町村の単位があり、単位ごとに県庁、市役所、町役場、村役場などがあります。みなさんが普段の生活でなにかこまったことがあれば、役所や役場にいき、行政サービスを受けることができます。

図1現在の徳島県郡名

このような、自治体(じちたい)や、地方制度が出来たのは明治時代以降のことです。江戸時代には「ムラ」が存在し、共同体(きょうどうたい)としての生活を維持(いじ)しました。「ムラ」は徳島県域では500以上もあったといわれています。これが、市制町村制(しせいちょうそんせい)が施行(しこう)された明治22年(1889)に1市2町137村となりました。

さて、これらの市町村に対して、郡という単位はどうでしょうか。現在、郡役所(ぐんやくしょ)という役場はありません。しかし徳島県域における郡は7~8世紀に成立したといわれ、10世紀の『延喜式(えんぎしき)』に、現在につながる9つの郡名を確認することができます。もちろん、古代の郡の範囲(はんい)と機能は、現在のそれと必ずしも一致しませんし、中世、近世にもさまざまな変化がありました。

近代の郡は、明治11年(1878)の郡区町村(ぐんくちょうそん)編制法(へんせいほう)という制度からはじまります。徳島県では10の郡が設置され、各郡には郡長(ぐんちょう)と郡役所の職員が配置され、個々の町村では資金面などから運営が難しい、学校や道路の設置、河川(かせん)の改修(かいしゅう)などを連携して行いました。その後、地方制度の改革により、明治23年に郡制(ぐんせい)という新たな制度ができ、前年施行の市制町村制とともに地方制度を形作りました。しかし大正時代になると、郡制と郡役所は廃止(はいし)され、郡が地域区分としてのみ残りました。

図2漁業鑑札 明治18年8月18日付けの漁業許可書。「徳島県海部郡役所印」の焼き印がある。

さらに、「平成の大合併(だいがっぺい)」(1999 ~ 2010)により、徳島では阿波、麻植の2つの郡が市に移るなどし、現在では8つの郡が残っています。現在、徳島県には8市15町1村の市町村があり、各町と村は8つの郡のいずれかに属しています。徳島において、郡という単位で地域の歴史を考えてみることも、面白いかもしれません。

 

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